2012年12月21日金曜日

2012ジブリがいっぱい忘年会回顧

2012.12.20
今年の運用部の忘年会は、ジブリがいっぱい!

ピン芸人とポルコ豚

光る飛行石。左からムスカ大佐、シータ、大きめパズー

ドーラ船長も参加

ピン芸人の塊。左からバロン、パパンダ、ポニョ、豚

ハク、釜爺、千

ナイスショット!

巨神兵?と乙事主様

王蟲たち

不二子、次元、巨大ジジ

銭形警部を囲んで

カオナシっぽいシシ神様

たむけんに限りなく近いムスカ大佐

可愛いパズー

千尋

ポニョ

なりきり度ナンバー1の、紅の豚

ノロ明けのパパンダ

ダンディなバロン

手作り猫バスと中トトロ(右側)

まっくろくろすけ

モロ他

大中トトロ

千と千尋の神隠しの、かしらとカエル。プロレスの武藤敬司ではない

はまり役、ハク

楽しそう、ジジ

勢揃い

出た、湯婆婆!

警部と不二子

キター、もののけ姫のサン

ナイスペア

ガックシ系カオナシ

ちょっと元気そうなカオナシ

ホントに楽しそう!

ルパンが遅れて登場!

不二子と五右衛門

出たー!

凛々しい!未来少年コナン登場!

飛び入りスタンツ

山ちゃん

王蟲が出た

楽しそうな幹事(アシタカと警部)

濃いねー

クラリス姫

何かまたルパンが騒いでるゾ

とっつぁん「ルパーン逮捕だーっ!」

ホントにふかふか

カンタの婆ちゃんもとい花嫁登場

ニャー(結婚式の続きのようだ)

今日はカヤのK。ヤックル役はさぼったらしい

もののけ姫にまつわるなぞなぞ中

魔女がやって来た!

不二子ちゃん

サンのお面はちょいとでかい

せっかくのカヤが

大部長と進行お手伝いのモロ

ラナからの熱いキス


2012年11月14日水曜日

真剣な紅葉狩り!

2012年11月10日(土)~11日(日)
塩原温泉郷~日塩もみじライン~龍王峡(混んでて寄れず)~鬼怒川温泉駅(駅そばのラーメン屋(演歌歌手 五郎経営)八海山で、もやもやさまぁ~ず「五郎」餃子)~鬼怒川ロープウェイ~東武日光駅(あげゆばまんじゅう)


会津田島行き東武鉄道鬼怒川線快速

東武日光駅にて。JR品川駅行き!



2012年11月10日、塩原「紅の橋」(紅の豚ではない)


色とりどりだが赤が強烈

ホントに日本は良い国

2012年8月16日木曜日

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(6 最終回)

1998年12月12日。
ペトラを堪能した我ら一行は5ツ☆リゾートホテルであるタイベット・ザマーンにチェックインした。
独立した「穴倉風」コテージ風が連なるリゾートで、僻地長旅の最後の晩にふさわしいところだった。
素晴らしい部屋にチェックインしてのんびりする間もなくアラブ人中学生~高校生女子20人ぐらいの一団がやって来て、責任者の先生から「部屋の中を見せて下さい」と頼まれる。
断る必要もなくどうぞ、と行ったら騒々しくどやどやと部屋に入って来てワンダフルみたいなことを言って娘たちと写真を撮ったりして消えた。社会科見学だったのだろうか。
晩飯はリゾートの素敵なレストランで喰えた。
アンマンQueen Alia空港発バンコック行きフライトは夜10時なので、翌朝はゆっくりチェックアウトすることにして朝10時頃にタクシーを呼んだ。

リゾート内地図
翌13日。チェックアウトした我らは確か30US$位でチャーターしたタクシーに乗り、まず死海を目指した。
死海と言うのはたいそう不思議なところで、まず世界一海抜が低い湖でマイナス400メートルである。
海水が閉じ込められた後で水分が蒸発し、生物が棲めないほど塩分が濃くなったので死海(Dead Sea)と呼ばれる。
ヨルダン川から水は流入しているものの蒸発する方が多いので、湖面は徐々に低下している。
海抜が低いので死海に向かっては道を相当下って行くのだが、ここに砂漠の真ん中の奇跡が有って、死海が近づくと緑が見え出す。作物がなっているのだ。
特に赤く熟したトマトは砂漠を見慣れた目にかなりどぎつく且つみずみずしく映った。
桃太郎トマトみたいな立派な出来で、1箱買って行きたい衝動に駆られたがここはヨルダンだったと思いだしてあきらめた。
死海の水は噂通り辛かった。

ここでも運転手と交渉して幾つか観光に回った。
夕方、17時過ぎくらいにQueen Alia空港へ到着して出国審査とチェックインをした。
ガランとした空港で腹ごしらえしながら搭乗時刻を待った。空港利用料の支払いにクレジットカードが使えず、大切に使って来たUS$が底をついた。止む無く、滅茶苦茶低いレートで1万円札を両替した覚えがある。

やがてロイヤルヨルダン航空180便は離陸し、我々をバンコック  ドン・ムアン国際空港へ運んだ。
かつおだし醤油味にかなり飢えていた我々一行はそそくさと空港内の日本料理屋「日本亭(にっぽんてい)」へ入り、一目散にうどんを喰った。心底美味かった。

当時のアラブまとめ
(進化が止まりようやく民主化運動が始まった地域。きっと今でも変わっていまい)
  1. 外貨ぼったくり&外貨亡者
  2. ヨルダンは観光立国と名乗っているだけあって英語が通じて便利(シリアでも通じたが)
  3. 主食が豆なのでメシが結構厳しい。世界各国各地域いろんな主食が有るが、豆のところが旅行者には一番キツイのではないかな?(次女は「こんなごはんもうやだ!と1回だけ騒いだ」)
【追記】
  1. 帰国3日後の12月16日に砂漠の狐作戦(米英によるイラク空爆)が行われた。この旅行が1週間遅れていたら行けなかった。そもそもバンコックに住んでて情報に疎かったからなのか、そんな作戦が進んでいるとはつゆ知らず、であった。
  2. 娘に会いたい母親は何と、自分の妹(tanakabuchoのおばさん)を連れて翌年もう一度シリアへ行った! 今度はドイツ→トルコ経由で入ったらしい。恐るべしパワーである!
  • 人類が最初に住みついた町ダマスカス
  • 長旅のキャラバンが立ち寄るシルクロードのオアシス、パルミラ
  • ヨーロッパとアラブの文化が混じり合う街アレッポ
すべてが破壊される前にシリア内戦が終わることを願って止みません。
-了-







2012年7月25日水曜日

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(5)

もうすぐ壊れそうなシリアからは既に脱出済み。アラブ探検記、後半も後半に突入!


ペトラは凄いところだ。まず入場料がべらぼうに高い。幾らかは忘れたが何でも急に何十倍に値上げされたとかで、確かTDL以上の価格設定だったと記憶している。次に乗り物である。ラクダ、馬車、馬、ロバなど揃っているが皆協定価格だからどこで乗っても割高だ。観光立国も外国人からのぼったくりじゃ困る。


まずは入場券を買いシークと呼ばれる崖の間の通路を歩きでスタートする。早速馬車に乗った観光客が追い越して行く。
やがてエル・カズネ(宝物殿)が現れる。太陽が当たると絶妙な紅色に映える、一枚の岩盤を掘った荘厳な遺跡だ。
映画ではインディが中に入り様々な仕掛けを解くのだが、中には部屋がひとつあるだけだ。


ここから先のペトラ「園内」は広大だ。
地図を使いながら当時の行程を説明すると、①から入ってシーク通路を通り④がエル・カズネ。ここでラクダ5頭のキャラバンを組んで、確か22の辺りまで移動。ここから登り道に入るのでラクダからロバに乗り換える。僕のロバに乗ってくれ、尻が大きい、乗り心地が良い等々喋りまくる小僧どもに一斉に囲まれる。
そんな時は「ハラース!」と言う。シャラップ、静まれ小僧ども!のアラビア語である。
一瞬にしてシーンとなる。
その中から小僧の性格が良さそうで一番でかいロバを選んでまずお袋を乗せる。
そうして順々に小僧とロバを選んで家族を乗せて行く。
手綱を引かれたロバは隘(あい)路をザクザクと登る(ラクダもロバも、アラブ人小僧の御者が付いている)。歩いて登る人も居るが相当きつい。tanakabuchoも撮影に徹しようと当初歩きで登ったが途中でバテて、リュックサックを小僧に背負わせた。やがて24番、丘の上にエル・カズネに似た彫り物が現れる。


ロバは登りだけで帰路(下り)は危険なので人を乗せない。
階段をひたすら下るので娘たちに段数を声に出して数えさせていたら「日本語は久しぶりですぅ」と放浪ジャパニーズ(♂)が寄って来た。お仕事ですか?と聞くので「私はヨルダンの日本大使館員だがある特別な任務についていて、シリア政府にばれると殺されるからここで日本人家族と会ったことを他人に話してはならない」と真面目な顔で言ったら信じてしまった。
確かに、6歳と4歳の娘を連れて日本人家族が観光に来ているとは思わないところだ。


階段を下まで降りて来て22の考古学博物館を覗き、7~13の墓の群れを見つつ、6番付近に有った観光案内所で今晩のホテルを紹介してもらった。
TAYBET ZAMAN Hotel & Resortがお薦めだと言うので、5ツ☆で値段は張るが最後の晩なので贅沢しようと、そこに決めた。


夕方になると協定価格にも値引きが入って来る。
帰路の④から①までは少々ディスカウントした馬車で移動した。シークのごつごつの石畳を結構なスピードで、馬車はかっ飛ばした。強行軍だったがラクダ、ロバ、馬(馬車)となかなか面白い行軍であった。


ペトラ園外へ出てホテルへ戻り、預けておいた荷物を積んで、タクシーでTAYBET ZAMANへ移動した。

以上、ペトラ遊園地報告終わり。
(続く)