2020年3月19日木曜日

やんばるの旅(釣りキャンプ&ダムカード)

Cabin Crew, remain seated,
 2020年3月14日(金)14:07、機長のアナウンスと共にJAL909便は那覇空港に向けて降下を開始した。新型コロナウイルス騒ぎで換気を強めているようで、機内は寒い。
キャンプ道具を詰め込んだ31kgの重たいスーツケースを転がしてゆいレール那覇空港駅から美栄橋駅へ。ゆいレールも3/10から交通系相互利用に参加していて、SuicaやPASMOで乗ることが出来るようになっていた。QRコード改札もなかなか良いものでは有るが


ゆいレール那覇空港駅のドンツキ
美栄橋駅下車、沖映通りを徒歩で国際通りむつみ橋交差点から長老マンション。スーツケースを置かせて貰う。
人手がやや寂しい国際通りを歩いてゆいレール牧志駅から首里駅へ。
首里駅から首里城までは徒歩で約15分

<首里城>
中では片付け作業が行われているが、朱色の壁の中は一切立ち入り禁止。分厚い城壁のみが往時の貫禄を残す


ゆいレールの現在の終着駅は『てだこ浦西駅』。
変な地名だが沖縄の方言で太陽を意味する「てだ」と、その子どもで「てだこ」だそうだ

首里城からゆいレール儀保駅まで歩き、牧志駅で下車。
沖縄ロイヤルオリオンホテルのラグーンで送別会宴席、牡蠣小屋、泡盛バーで深酒

朝、3月14日(土)
 酒が残る中を朝8時半に起きて久米のレンタカー屋へ徒歩20分。長老マンション下の国際通りにレンタカー(トヨタ・タンク)を停めてキャンプ道具を積み込む。スタートは小雨。
ダッヂオーブンを當間先輩に借りに行く前に、琉球ハ社の一社で長老がまだ御朱印を貰えていなかった識名宮、何とちょうど宮司さんがいらして御朱印ゲットで八社コンプリート。
この調子で今回は沖縄本島ダムカード・コンプリート狙いなんだが、まず最寄りの金城ダムへ行ったところ新型コロナウイルス騒動でダムカード配布は痛恨の休止!
来訪証拠写真だけ撮って退散。

市民体育館そばの當間先輩宅でダッヂオーブンを借り、差し入れも頂く。
沖縄ICから高速、途中一時は激しい雨、中城PAでうどん、沖縄北ICで降りて念のための倉敷ダム。続いて金武ICで降りて金武ダム。いずれも言わずもがなのダムカード配布休止。北部の新川(あらかわ)ダムを含めてこの4枚が手に入れば沖縄本島のダムカードはコンプリート出来るのに誠に遺憾だ。新型コロナ感染防止には都心からど田舎まで一律に不要不急の外出禁止や学校の休校が行われているが、ハッキリ言ってダムカードの配布とコロナは関係無い。せめて、開いている近隣の売店や道の駅などで配れば良いではないか(怒)
後にテン場で流れた村内放送によれば、週明け3/16(月)から沖縄県内の学校は再開するそうだ。そうなればダムカード配布も再開されるかも知れない。月曜日の復路に期待するしか無い。

金武から東西を結ぶ県道104号線で西海岸へ出て、国道58号線で名護市街。サンエー、HCさくもとで豆炭、JAコープなどで買い出し。屋我地橋の下、屋我地ビーチを覗くもこの日は西からの風が強くまたワシらのキャンプ好適地にもイメージが遠いので、いよいよ目的地をやんばる国頭村東側の安田(あだ)に定める。

ここで少し安田(あだ)について触れておくと、住所は沖縄県国頭郡国頭村字安田、国頭村(くにがみそん)は人口4,900人程度の沖縄本島最北端の自治体で村域の95%が森林(ジャングル)、天然記念物のヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネが生息している貴重なエリア。安田は沖縄本島の「最東端」に位置する、人口約180人の小さな集落である。ちなみに隣の集落は伊部で、アダ(ム)とイブである。

国道58号線を北上、やがて奥間、沖縄本島最北端のファミリーマートを通過、与那海岸を右折で県道2号線に入る。ちなみに沖縄県道1号線は欠番(今の国道58号線の前身)なので、国頭村内で唯一西海岸(東シナ海)と東海岸(太平洋)を結び東側集落の孤立を防ぐこの通称・与那安田横断道路は由緒正しき2号県道と言えよう。

県道2号線は安田集落の小学校前まで続いている。手前を左折し坂を登り下りするとやがて右側にビーチ入口とトイレが有る。クルマはトイレ前に路駐、ここが今回のテン場になり、3往復して荷物を運ぶ。岬が左右に張り出したワンドで、ちょうど風を防いでくれるナイスなところ。晴れ間も射し始めて、これからの天気に心配は無さそうだ。
テント設営、ダッヂオーブンの鷄丸焼きとシチューの準備、薪拾い。一息ついたところでエーヤー之神詣で(道中の安全祈願)、ドローン空撮。ここはどこででもドローン(ドロンジョ)を飛ばせてありがたい。


ここで道中2泊3日の献立を披露しておこう

初日夜 
  • 若鶏の丸焼き、腹の中にチャーハンとニンニク
  • 豚三枚肉コーンクリームシチュー
  • ニンニクのオリーブ油炊き
翌朝 
  • 炊き込み鷄ご飯
  • シチューの残り
昼飯 
  • 間食にバナナロール
  • カップ麺
晩飯
  • イシミーバイのホイル焼き
  • ゆで卵と三枚肉の生姜煮
  • 寄せ鍋
  • 鷄雑炊
最終日朝飯
  • 目玉焼きロール、サラダ、コーンスープ、ベトナムコーヒー
軽食
  • 茹で卵
初日の晩はナカンダカリ君から頂いた泡盛を2人で1本空けた。
ッヂオーブンの鶏は上手に焼けて大変美味かった!

満天の星空。ぐるりと照らす瀬嵩埼灯台の灯が夜空に優しい。漆黒の闇ながら、流れ星は観られず、肌寒くもなって来たのでテントへ潜り込む。

日曜日、7時起床、晴れ。
右の岬の上に陽が上り始めた。さっそくドロンジョを飛ばして空撮する。朝ビール。

ドロンジョ空撮 テン場上空50㍍
米を研いでメシを炊き、細かくした昨日の鷄を混ぜる。シチューを牛乳で伸ばす。
朝飯の後は竿、餌、釣り仕掛けと水、バナナ、ロールパン、お菓子、などを持って釣り場探し。
まず安田共同売店で100円コーヒーと情報集め。駐在さんと売店の主人が和やかに談笑中だった。ご主人は「『こんなところでも』子どもは(新型コロナウイルス騒ぎで)休校で自宅から外出禁止」とぼやく。外に出れば爽やかな風、もの凄く低い人口密度、公共交通機関無し…家の中に居るよりオモテへ出ている方が安全なのは火を見るより明らかであろう。
そんなこんなで、東京都阿佐ヶ谷出身のご主人と、西国分寺に娘さんが住んでいる駐在さん(ワタクシも含めて中央線繋がり)から得た情報は、
  • 安田漁港は全面釣り禁止
  • 釣り人が入っているのは学校脇の道のドンツキから入る海だそうだが、二人とも行ったことがないのでその先がどうなっているのかはわからない
  • 隣の伊部でも釣れるらしい、
と言うもので有った。2人の談笑は尽きず地元のオバアらが行き交う。失礼して釣り場探しを開始する。

まずは全面釣り禁止の安田漁港を見物。到るところに釣り禁止の看板。トラブっても嫌なので、ここでの釣りは断念。漁港の外に低い堤防が1本有ったが、小魚すら泳いでいないのでパス。
釣り禁止になる前の安田漁港は、やんばるの釣りのメッカとして有名だったと聞く。漁協の意向なのかマナーの問題だったのか、釣り人が去って以降の安田集落にはもう賑やかさは望めない。色々事情は有るのだろうが、共存共栄を改めて図って貰いたいものだ。

次に学校脇ドンツキから安田漁港ビーチ。テトラ積みが左右に2本有り、それぞれ釣り人が見える。左のテトラの中央から左サイドへひいこらヒイコラとテトラを登り渡る。ようやくのことで真ん中先まで行ったがポジション良くなく、オキアミ餌を忘れて来たことにも気付いて場所替え。テン場を通過して北へ向かう。しばらくは断崖絶壁、低くなったところが楚洲。路駐して楚洲のビーチ。ちょうど満潮で暴れていた海は引き潮に向かって少しずつおとなしくなり始めた。磯場に潮溜りになりそうなところを探し暫く粘るが蟹と小魚のみであきらめてバナナロールを食す。
テン場へ一旦戻ってビール、カップ麺。

禁断のバナナロール最高!
戻る道すがらにバイク同士の軽度?接触?事故。今朝の安田の駐在さんがパトライト点けたパトカーを真面目な顔で疾走させていた。久しぶりの事故なんだろうか?

夕方にまたテトラへ行こうかとも考えたが結局(酒も飲んじゃったし)、干潮時ならテン場から歩いて行けるキャンプ場向かい左側の磯場で撒き餌の後にジグを垂らすと早々にイシミーバイが掛かった。こりゃ数釣りのチャンスとオキアミ餌に切り替えたところ結構良い形のカサゴ(無念のバラし。煮付けで喰いたかった!)、中型イシミーバイ、タスキモンガラと立て続けに上がりよしよし大漁!と意気込んだものの、干潮のピークを迎えてまるで当たりが無くなった。
タスキモンガラはリリース、ともかく晩飯に1人1匹ずつイシミーバイを喰えることにはなった。


美味な高級魚、イシミーバイ(カンモンハタ)
ウロコを取りハラワタを抜いて、イシミーバイの喰い方は「ホイル焼き」に決定した。
煮卵用に卵を茹で、3枚肉と生姜を麺つゆで煮る。
しめじ、人参、長ネギ、豆腐と3枚肉で寄せ鍋。
酒は山梨ウイスキー蜂角鷹(はちくま)37度。800円台なのにストレートでも旨い秀逸な酒。仕上げは鷄ご飯の残りと卵2個を投入した雑炊を完食。
今宵も酒はひと瓶空いた。2晩連続の満天の星空だが、見られた流れ星は暗くて短いひと筋のみだった。満天の星の数と流れ星の数は比例しないらしい。ついでに言うと、オリオン座のベテルギウスも超新星爆発しなかった。人工衛星は1つだけ観えた。
昨夜より寒く感じて今夜もテントへ潜り込む。

月曜日、7時起床、晴れ
今日はすっかりもう釣りをする気はなく、撤収して午前中に出発して18時に當間先輩にダッヂオーブンを返す。帰り道にダメ元でダムに寄る、と言う呑気なスケジュール。朝ビール。
ロールパンを焼き、野菜と目玉焼きを挟んで喰う。コーンスープにコーヒー。
釣り餌の残りを海に捨て、片付けに入る。当初の予定では11時頃に早めの昼飯でうどんを喰って出発だったが、9時に片付いてしまったのでうどんは見送って、茹で卵だけ喰って10時前にテン場を発った。スーツケースは相変わらずバッチリ収まった。
安田共同売店で100円コーヒー。不思議とコーヒーは、自分で淹れたものより他人が淹れてくれたものの方が美味しく感じる。昨日の活躍でお疲れなのか、駐在さんは今朝は不在




あだ協同店の名物100円コーヒー
今日はダム沿いに、東海岸を南下する。
まずは新川(あらかわ)ダム

やんばるの福地(ふくじ)、☆新川(あらかわ)、安波(あは)、普久川(ふんがわ)、辺野喜(べのき)の5ダムは北部5ダムと呼ばれ、水路トンネルで結ばれて統合運用されている。貯水容量の大きい福地・安波ダムを「貯留ダム」、貯水容量の小さい新川・普久川・辺野喜ダムを「取水ダム」として位置づけ、取水ダムの水を貯留ダムへ導入して貯留することで河川水を有効利用する。これらダムは観光インフラとしてダムカード以外にインフラカードも発行されている。
この5ダム以外に沖縄本島には大保ダム、漢那ダム、羽地ダム、☆金武ダム、☆倉敷ダム、☆金城ダムが有り、☆の4ダムが揃うとワタクシの沖縄本島ダムカードコンプリートとなる。
沖縄県内の学校は今日から再開されたとカーラジオから流れている。ダムカード配布も再開されただろうことを信じてまずは新川ダムへ進路を取る。安田から30分ほどで到着。
新川ダムのダムカードは元々、福地ダムで配布されている。行った証拠が要るので自撮りして福地ダムへ向かう。これも所要30分。
案の定、と言うか、やっぱり福地ダムでのダムカード配布休止は継続していた
失意のまま、福地ダムを後にする。もしダムカードの配布が再開されているならば、金武ダム→倉敷ダム→金城ダムと南下、一昨日を逆トレースしようと考えていたのだが無駄足になることがわかった。
そう言うわけでダムカードは諦めて、東海岸観光南下と相成った。

しかしながら東海岸の見どころは満載、
  • サキシマスオウノキSakishima Sappanwood Tree
西表島以来の再会だが、こちらの木の方が立派
  • 福地川海浜公園
  • 東村村民の森つつじエコパーク(屋外施設なのにコロナ閉園中)
  • 昼飯は、
  • あいうえお
  • 〒905-1205 沖縄県国頭郡東村字慶佐次56−1、0980-43-2566
  • https://goo.gl/maps/Kwe9j7EV9vpSMZjk6
  • ボリューム満点のグルクンフライ定食。ピラフや鷄唐揚げ定食も美味そうだった
    2.5人分位有った
  • 慶佐次湾のヒルギ林
  • 辺野古ゲバ見物(関わりたくないので車窓から眺めるのみ)
  • 道の駅宜野座でお土産を物色
そして石川ICから高速で那覇→那覇空港のヤマトに重たいスーツケースを預け(大型スーツケースなら1日600円とお得!)→長老マンションでシャワー→當間先輩へダッヂオーブンを返却→116円の安いガソリンスタンドで満タンにしてレンタカー返却。
450km走行で25ℓ、リッター18kmと燃費の良いクルマだった。
その後は當間先輩を交えてぼんぢり屋でじゃぐち泡盛(各テーブルに泡盛が出て来る蛇口が付いていて、泡盛だけなら2h呑み放題600円)、その後更にひと騒ぎして長老マンション泊

翌朝那覇空港で預けておいたスーツケース(復路も31kg)を引取り、10時10分那覇空港発のガラガラのフライトで帰京。エアバスA350-900新型機(首里城復興デカール機)は快適。ひと眠りしている内に羽田空港に着陸。
重たいスーツケースを転がしてこれから自宅まで帰るのが実は一番の難作業だったりする
(了)
當間先輩、長老&安田の皆さん、濃密なキャンプ2泊をありがとうございました!

2020年1月28日火曜日

氷点下の3日間

氷点下の3日間

The DAY-1
2020年1月24日(金)
東京~飛行機で釧路~花咲線で根室(泊)

Cabin crew, prepare for landing,
1月24日(金)9時24分、搭乗中のJAL541は機長のアナウンスと共にたんちょう釧路空港への降下を開始した。羽田〜釧路空港間のフライト時間は1時間15分と短い。しかも早割で1万円だ。
機内アナウンスでアイヌ語のあいさつ「イランカラプテ」の紹介を聞く。アイヌ語で「こんにちは」、「あなたの心にそっとふれさせていただきます」という想いが込められた言葉で(宮古島のニフエーデービルみたいなもんさね)、北海道を挙げての「おもてなし」キャンペーンが始まっているそうだ。

ANA便で先着していた最果て旅の同士おじさん2名(呼称:Mr.オカップとMr.ハッピー)と合流。連絡バスは釧路空港を10:01に出て10:43釧路駅に到着。釧路駅→根室駅2,860円のキップを買うとちょうど快速ノサップの改札が始まった

国鉄時代は団地だった?かのような釧路駅


【ミッション1「駅弁予約大作戦」】

JAL便が到着する間を利用してハッピーが駅弁を予約する。今日の往路は途中の厚岸駅ホームで氏家待合のかきめしを受け取り、明日の復路は根室駅8:24の列車に乗る直前にタイエーのやきとり弁当と焼さんま寿司を駅で受け取るのだ

11:12 花咲線 釧路駅発 根室駅行き キハ54 525 1両編成の快速ノサップは結構な混みようで、地元の人々と観光客がほぼ半々、早めに座席を取って正解。この日は札幌からの特急スーパーおおぞらが大幅な遅れで接続しなかったが、乗り継ぎ客が乗ったら更に相当混んだことだろう

こじんまりと可愛らしい快速ノサップ。これから根釧台地、地球探索の旅に出る

車窓からはエゾ鹿がそこかしこに屯(たむろ)していて、上尾幌付近はサファリパークのよう。たまーに来る列車を、あれは何だろう、とばかりにじっと眺めている。ヒトも鹿を見るが鹿もヒトを見る。車窓にはクルマもヒトも無く、動いているのは鹿と狐のみである

11:58 厚岸駅ホームで予約しておいた氏家かきめしを、ハッピーが可愛い配達女子から受け取る。車内で頂くと、ごはん一粒一粒に味が染みていて、全くもって美味。ミッション1の1/2クリア!
牡蠣どっさり厚岸氏家待合の絶品かきめし

12:14 車窓左にオオワシの群れ。列車は徐行してくれる
12:18 故モンキーパンチ先生の出身地と言うことで茶内駅には銭形警部が、隣の浜中駅にはルパン3世がいた

故モンキー・パンチ先生は浜中町出身だった

根釧台地を一所懸命登るキハ54 525が愛おしい。
黙々と東進した快速ノサップは日本最東端の無人駅 東根室駅を通過、やがて日本最東端の有人駅である終着根室駅に到着。
まずは隣接するインフォメーションセンター(観光案内所)へ行き、レンタカーを借りて、「日本最東端ツアー」の始まりだ!

【ミッション2「最東端コレクション」】
1/24(金)13:22 根室駅到着後の動き
① トヨタレンタカーへ電話して迎えに来てもらう。翌朝の返却時刻は8時
→クリア
② 根室駅隣接の観光案内所で「四極踏破証明書」「東根室駅到達証」をゲットする
→クリア
③ そば屋の裏にポツンとある、根室本線終点看板へ行く
→クリア
ドンツキ好きのワタクシとしては、函館駅、稚内駅、留萌駅、室蘭駅、旧増毛駅、旧夕張駅、鵡川駅、新十津川駅、ここ根室駅と明日行く予定の様似駅で北海道ドンツキが全部揃うのが嬉しい。もちろん本州最南端の枕崎駅ドンツキも制覇済み

④ 振興局林務課で治山ダムカードをゲットする
→クリア。ついでに市役所で正規版(セルフ版じゃない)四極踏破証明書を貰う。
オホーツク振興局に続いて北海道治山ダムカードは2枚目。全27ヶ所を果てから攻めている
⑤ 宮司が居る日本最東端の神社「根室金比羅(ことひら)神社」で御朱印をゲットする
→クリア。初穂料は500円。この辺から雪が強く舞い出す
⑥ 根室港臨時ターミナルで北方領土連絡船えとぴりか号を視察
→風雪激しくなり港に車ごと落ちそうなので捜索を断念
⑦ JR本州最東端の東根室駅(無人駅)
→風雪の中をクリア
⑧ 日本最東端珸瑤瑁(ごようまい)郵便局でポスト型はがきを送る
→クリア。ついでに並びにある日本最東端の自己コンビニ板垣商店で最東端ガラナドリンクをゲット。PayPayで払えた
超難読地名「ごようまい」。納沙布岬と歯舞群島の間の海峡の名も「珸瑤瑁水道」
⑨ 納沙布岬、岬のライブカメラに映る
→命懸けでクリア

方館にはたくさんの望遠鏡が設えて有り、北方領土の島々を大きく観ることが出来る。貝殻島の灯台などは距離3.7km、望遠鏡なら手が届きそうなほどに近い。納沙布岬沖わずか3.7kmまでロシアに支配されていると言うのが、実は一番怖いところなんだろう。
暗くなり始め、命の危機も感じ始めたのでホテルチェックインを急ぐことにして早々に退散する
⑩ ヲンネモトチャシ跡(日本百名城の第1番目)→断念。訪問証は観光案内所でゲット済み
11 根室市豊里 北方原生花園→断念。行ったところでもう真っ暗、閉園だったはず
12 ホテル ねむろ 海陽亭にチェックイン→クリア。フロントの青年にお奨めのの居酒屋を聞き「和風ダイニングひだまり」へ繰り出す
お奨めありがとうの大正解。宿とは片道徒歩10分、根室港からの北風が吹き抜けるメインストリートを下り切ったところにある。
赤ガレイ刺身、甘海老唐揚げ、巨大ザンギ、コマイ、ホッケ、北の勝に締めのエスカロップで根室の美味を満喫且つリーズナブル
凍てつく街、根室

The DAY-2
2020年1月25日(土)
根室~釧路~SLで標茶~スーパーおおぞらで帯広(泊)

むろ 海陽亭の朝飯は超豪華、勝手丼、朝蕎麦、根室鍋、炊き込みご飯(蟹)、雑炊(蟹)等々なんでも有る。7時から7時半の朝飯の後、クルマ5分で根室駅。ガソリンを入れてレンタカーを返して、7時50分には根室駅改札前にスタンバイした。
根室駅 8:24発釧路行き各停は風光明媚なポイントを徐行してくれる観光列車。快速ノサップや快速はなさきに比べると所要時間が15分くらい余計に掛かる。運良くルパン3世のラッピングで入線した。改札を待って座席を取り(1両編成の車両中央部にテーブル付き4人席が有った。この車両は座席を回転出来ない)、しばし東の果て根室との別れを惜しむ。
8:15 タイエーからやきとり弁当と焼さんま寿司の配達が駅に届く!
→ミッション1、全クリア!
迫力の銭形警部

球探索鉄道の冠を付ける花咲線(根室本線の、釧路〜根室間の愛称)はその名の通りジオの見どころが満載だ。根室駅から落石海岸、別寒辺牛湿原、厚岸湖、厚岸湾と圧巻の景色が続くが‥しかし2018年度の営業係数は781(100円稼ぐのに781円掛かる)で道内ワースト5の辺り。皆さん乗って下さい、と頼んでも135.4kmの道のりに1日上下16本の運転のみで、所要2時間半..やはり廃線という文字がちらつく多難極まりない前途である
オオワシの群れ
右下隅にエゾ鹿

内にはなんと元峰不二子も居た。聞けばルパンラッピング列車に今日2回目の乗車!(要は釧路5:35発に乗車して釧路~根室間を往復したのだ!)で、過日は故モンキーパンチ先生のふるさと浜中町を一日掛けて回ったそうだ。鉄女でなくルパン女子。御年60歳台?お若い頃は不二子も敵わない美人だったに違いない。
10:45定刻に釧路駅着。20分後の11:05にSLが出発する。この乗り換えも結構慌ただしい

【ミッション3「SL 1番列車に乗れ!」】
20年目を迎えたSL冬の湿原号はこの日が今シーズンの1番列車、なので釧路駅での出発セレモニーが盛大だ。沿線の撮り鉄の数ももの凄い。わしも本来はあっち側だな、などと考えつつ今日は乗り鉄をする。異様に降雪が少ない今年の北海道。釧路湿原は芦原のような寒々しさだったがそれでも優雅なタンチョウを、根室のやきとり弁当と焼さんま寿司を喰いながら見た。
ちなみに指定席乗車券は既定の1ヶ月の更に1週間前から先行予約出来る「えきねっと」を使った。このようにJR北海道の予約システムは既にJR東日本に乗っかっている。JR東日本がどうJR北海道を飲み込んで支援するか、と言う考えも有るに違いない
素晴らしいコンビネーションの行き先表示板
撮り鉄の群れとSLの蒸気

ょうど1時間半でSLの終着 標茶駅。SLとの別れもそこそこに跨線橋を渡り、5分後に発車する釧路行き快速しれとこ摩周号で折り返す。2両編成で高校生も多く座れないヒトも居る。快速は怠惰にしかし定刻に釧路駅に到着した。接続する特急スーパーおおぞら8号との接続時間はわずか6分。自由席に滑り込むと社内はガラガラでひと安心。北海道の特急はこの3月のダイヤ改正から「スーパー」の文字が消える。特急スーパー〇〇に乗るのもこれが最後かな、と大橋俊夫元アナの美声車内アナウンスを聞きながら感慨に浸る。
ミッション3、クリア!
標茶駅から釧路駅へ戻るのは快速しれとこ摩周、2両編成

【ミッション4「帯広競馬場で旅費を回収しろ!」】

寒旅の道中に意表を突いた帯広十勝ばんえい競馬場参戦。
個人協賛競走(協賛金は1レース1万円)で第8R ハッピーカップ、第9R オカップを仕込んでおいた。
第1回ハッピーカップは16:50、第1回オカップは17:25の発走。釧路駅から乗ったスーパーおおぞらは15:19に帯広駅に着いて、駅前のレンタカーで競馬場へ。第7R発走前に到着したので総合案内所に来場を告げた後にまずは運試し。結局7R~10Rまでやって、
  • Mr.オカップ 4戦2勝 立派
  • Mr.ハッピー 4戦2勝 立派。しかも自身のハッピーカップも当てている
  • ワタクシ 4戦0勝 競馬歴40年弱..お恥ずかしい
と言う成績。ハッピーカップ、オカップの各レース後には表彰式セレモニーも行われ、2個レース連続の個人協賛は大変盛り上がった
ミッション4、クリア!

馬場を後にした我ら一行はクルマを20分ほど走らせ、今日の宿であるテトラリゾート十勝川温泉にチェックイン。2食付きの晩飯に60分1,300円と言う中途半端な価格設定の飲み放題を付ける。風呂に入りつつ続きは部屋呑み。ここまで飛ばせずフラストレーションが溜まったので呑みながら室内でドローン飛ばし。今夜の帯広は今年一番の寒さだとか。

話休題、
「氷点下の3日間」と言うのは誇張では無く、気温がマイナスでなかったのは最終日のえりも町付近での0℃のみ、それもホンの一瞬。あとはずっとマイナスだった。毎年毎年こんな季節を迎える北海道の方々には頭が下がる。
ここで場所ごとの気温を見てみよう。
  • 1/24(金)16時の納沙布岬はマイナス8.7℃、風速8.6㍍、体感温度マイナス19.3℃!
  • 寒さに加えてもの凄い風だが、写真にそれらは写らない。薄暗くなり北方館も閉館、命の危険を感じて16:20に退散
  • 1/25(土)朝8時の根室は晴れ、キリリとマイナス6.2℃、体感温度マイナス12.8℃。ここは始終、根室港からの北風が強く吹き付けている「凍てつく街」だ
  • 1/25 (土)SLに乗る11時の釧路は晴れ、マイナス4.8℃。風もなく穏やかな寒さ
  • 1/25 (土)16時の帯広競馬場はマイナス5.8℃でその後どんどん下がった。競馬場スタッフ達も今日明日の帯広は今年一番寒いです、暖かい時にまた来て下さい、と口々に言った
  • 1/26 (日)朝7時の帯広はマイナス12.9℃で今季最寒の快晴
ちょうど日の出だった(当日の日の出時刻は6時49分)
  • 1/26 (日)朝9時のジュエリーアイス海岸(十勝川河口、豊頃町大津海岸)は快晴、マイナス14℃! 
  • 我がドローン「ドロンジョ」を70㍍まで上げたが機体低温になり緊急帰還、惜しくも70㍍上空からの空撮動画を失ったOrz..この低気温だとバッテリーがもたない。昨晩の帯広競馬場ではデジカメのバッテリーが逝った…バッテリーは常に優しく温めておく必要がある
  • 1/26 (日)14時襟裳岬は快晴、マイナス2.2℃ 風速9.9㍍、体感温度マイナス13.3℃。「風極の地」と自ら名乗っている通りの暴風地獄
その名も「風の館」は冬季閉鎖中。しかしながら初日の出の元旦の朝だけは営業すると書いてあった。いざという時のシェルターが無いと死人が出るんだろうなー

の北海道旅を遂行するには天候の助け(運)が必要だ。吹雪けば列車は遅れて乗り継ぎ出来ず、積雪でバスやレンタカーの移動距離が制限される。今回は大変恵まれたので道中に遅延の支障無しと言う奇跡!


The DAY-3
2020年1月26日(日)
帯広十勝川温泉~大津海岸~日高山脈~天馬街道~様似~襟裳岬~広尾~帯広空港

【ミッション5「魅惑のジュエリーアイス」】
7時のホテル駐車場はマイナス12.9℃で今季最寒の快晴。
7時朝食、8時出発。朝食バイキングには十勝小豆のお汁粉も有った。
まず向かうは「ジュエリーアイス@豊頃町大津海岸」。小一時間で到着。幸い無風なのでドローンを70㍍まで上げたが急遽帰還は前述の通り。温かい休憩所で200円のココアを飲みながら地元のおばちゃんに聞くと「氷自体は昔から有った」「豊頃町出身の英語教師浦島氏がジュエリーアイスと名付けて大ブレーク中。氏は現在帯広在住」だそうで、名前からしてもっとロマンチックなものかと思いきや、ただ大きな氷が浜に転がっているのみ。もっとも良く探せば形や色の素晴らしいのも有るんだろうがいかんせんマイナス14℃は寒くて長居出来ない。
休憩所でドローンも温まったので次の目的地を「大樹町ロケット見学場」に定めて移動開始した。
大樹町ロケット見学場へは結局消防車とパトカーに翻弄されて到着出来ず、とりあえず先を急ぐことにした
ミッション5はクリア!

【ミッション6「日高山脈最南端を目指せ」】
回9月はノシャップ岬と宗谷岬を攻めたMr.オカップとワタクシめ。今回は納沙布岬に続けて南端「襟裳岬」も攻略する。
浦河へ向かう道は「天馬街道」と名付けられていた。天馬トウショウボーイの生まれ故郷からのロマン溢れるネーミングなんだろう。
当初の行動プランは以下のようになっていた

① 日高本線 様似駅(現在鉄道は不通の、日高本線のドンツキ)
→クリア
日高本線最南端 様似駅のドンツキ

② えりも住吉神社で御朱印ゲット
→クリア。襟裳神社(無人)の御朱印も貰った
③ 襟裳岬
→クリア。森進一は何も無いと唄ったが、暴風と灯台と、逆さの北海道が有った
珍しい、逆さの北海道。カムチャツカ半島からロシアはニッポンをこう見ている
④ 十勝神社でハッピーが関わる怪しい「十勝プロジェクト」とやらの成功祈願
→クリア。宮司のご自宅で御朱印をゲット
⑤ 道の駅 コスモール大樹で買い物
→ クリア
5.5 昨日のリベンジで急きょ追加「大樹町宇宙交流センターSORA」
→クリア
⑥ 旧愛国駅→時間の都合で割愛
⑦ 旧幸福駅
→クリア。悪趣味ながらまだ続いている
相変わらずの悪趣味
⑧ 帯広空港でレンタカー返却
→17時返却予定に対し17時10分の返却と予定通り。走行距離360km
⑨ 帯広空港内反省会
→クリア。結構時間が有ったので、残っていた焼酎にトカップ紅白を割としこたま飲んで、18:45に搭乗ゲートへ
ミッション6、クリア!

そう言うわけで怒涛の「氷点下の3日間」も終わりを迎えた。Mr.オカップとハッピーは19:25発のANA(エアドゥー)で帰京、ワタクシは更に待って20:10発のJAL。搭乗口検査場の混雑とかで、JAL機は30分以上の出発遅れ。田舎空港なんだから搭乗行為をもっと早くしろっての。

もかく詰め込み過ぎた2泊3日だったが、
  • 地球探索線 花咲線
  • エゾ鹿
  • 厚岸かきめし弁当
  • 東根室駅&根室駅
  • 治山ダムカード
  • 納沙布岬
  • やきとり弁当&焼さんま寿司
  • ルパン列車
  • オオワシ
  • 花咲線からのジオ車窓
  • 釧網本線
  • SL冬の湿原号
  • タンチョウ
夕暮れに帯広空港の近くで見かけた
  • スーパーおおぞら
3月から北海道で見られなくなる「スーパー〇〇」
  • 帯広競馬場 オカップ&ハッピーカップ
  • ジュエリーアイス
  • 天馬街道
  • 様似駅
  • 襟裳岬
  • 大樹町宇宙交流センターSORA(行ってみたら冬季閉館中)
  • 旧幸福駅跡地
  • 御朱印 計4件
ったく良くやりますねー、どうか次の旅も無事に行けますように!
お疲れさまでした!
Thanks a lot for JR Hokkaido and Samui Chiiki Ni Osumai No Minasan!
(了)

2019年9月16日月曜日

ツール・ド・東北 6年連続6回目の完走

ツール・ド・東北(TdT)には2014年の第2回大会から皆勤賞で同じコースを走り定点観測を続けてきた。
初回参加の年、女川港に近い七十七銀行の建物はまだ横倒しになったままで道はボコボコ、いたるところに鉄板が敷かれていた。その鉄板の上を、滑らないように注意しながら自転車で走行した。
ライフル射撃場へ上がる道中最初の急な登りの手前右側には仮設住宅がずらりと並び、沿道でおばちゃんおばあちゃん達が「ここから登りだよー、がんばってー」と手を振って応援してくれた。
サングラスの奥に涙が滲んだ。
前年に使われた駐車場も仮設住宅に変わり、我々の駐車場は雲雀野埠頭とやらまで遠ざけられ不便になった(スタート地点の石巻専修大学まで8kmも有り、しかも駐車場は砂利)。
女川市街地へ出る道は毎年変遷した。今はバイパスが貫いている。
総じて、仮設住宅が大きく減っている。

津波で完全に流された女川駅は高台に移り、目を見張る綺麗な駅へ変貌を遂げて津波から4年後の2015年3月に開通・再開した。おかげで道中最初の女川AS(エイドステーション(補給所)。女川汁(つみれ汁)が出る)へは高台へ漕ぎ登る羽目になった
高台へ移転して鉄道も再開した女川駅前広場(新・女川AS。2015年撮影)
女川ASから次の雄勝ASまでは道中で上り下りが一番厳しい難所だが、その道(御殿峠、リアスブルーライン)沿いにも高台の集落が建ち始め、指ケ浜、分浜、水浜と集落が復活した。水浜の大漁旗にはいつも元気づけられる。TdTの行程で一番好きな景色だ
毎年ありがとう!(2019年撮影)
雄勝ASは15m以上の津波を被り2018年まではASも仮設風だったが、スーパー堤防の工事が着々と進み、2019年のASは例年よりは少し良い高台へ移った。ここでは例年ホタテ焼きを喰わせてくれる。ここ数年は塩むすびも出るようになった。

雄勝ASから峠に有る1km弱の釜谷トンネルまでだらだら坂を登るが、その途中に雄勝側の3.11津波の到達標識が出来ていた。津波はこんな山奥にまで!である。
国土地理院の地形図で見ると標高は20mを超えている
まさしく「こんな山奥にまで!」で有る(2019年撮影)
峠を越す釜谷トンネルを通過すると快適な下り、下り切ったところで100km以上のフォンドは直進、65kmは左折。ちょうどこの下り切った橋の右側手前に悲劇の大川小学校が有った。
大川小学校の児童たちはわずか数㍍高台まで走れば間に合ったものを、大人の判断ミスで大勢がそのまま校庭に残されて津波に呑まれた。小学校には車も有ったので、ピストン輸送ででも、今自転車で降りて来た釜谷トンネル方向へ数十㍍も運んでやれば何の問題もなかった。
大川小学校前はTdTのコースには入っていないが、手を合わせに立ち寄るライダーも多い
大川小学校跡地(2017年撮影)
上の写真の右隅の拡大写真がこれ
斜面右中ほどの小さな白い札が津波到達の高さ。わずかここまで駆け上がっていれば児童はみな助かったのに、そこにいた大人たちは罪深い。大人の言うことを守ったがために亡くなった児童が哀れだ(2017年撮影)
2014年〜19年のゼッケンの推移
2014年
2015年
2016年
2017年。折りたたみ自転車でのチャレンジ
2018年。チームの参加ライダーは最多の8人を数えた
2019年。サングラスも6年連続参戦!
昨年までは招待ゼッケン枠だったのに今年は一般参加
もう激しいアップダウンは無いが北上川沿いのラスト20kmは単調な道、且つたいていアゲンストなので面白くない。65km組は途中に平椀を出してくれる大忍寺の河北AS、ここには津波で亡くなった大川小学校児童の慰霊地蔵が有る
快晴のラスト20km北上川上流方向(2019年撮影)
同 河口方向。遠くに見える新北上大橋の右奥が大川小学校跡地。写真を撮っているここも津波到着地だ
コース途中に有ったココストアもみなファミリーマートに変わった
2015年撮影
TdTの普遍のテーマ「応援してたら、応援されてた」。
毎年野宿して走るだけで何のカネも落として来ない我々ですが、今後も出来る限り参加させて下さい
感謝とともに(了)

2019年9月9日月曜日

乗り鉄北海道最北端の旅 2019年9月

the DAY-1
9/4(水)東京曇り、北海道は晴れ
我が家の最寄駅を0532発、東京駅0625着、東京駅0632発北海道新幹線はやぶさ1号に乗車。
修学旅行のガキどもが新青森駅〜新函館北斗駅間を買い占めやがって(運賃を半額しか払わないガキは立ってりゃ良いのだ)、新青森駅で指定席から追い出される。ちょうど座り続けでもあったのでデッキに立って車窓を眺める。

白鳥が青函トンネルをくぐっていた頃は最深部通過まであと何分とか盛り上げてくれたものだが、はやぶさはドライだ。自然にトンネルへ入って、自然に北海道へ出る。
新函館北斗駅に定刻到着。旧名 渡島大野駅、北海道新幹線開業前には無人駅だったとは思えない賑やかさだが、中高年団体とガキ共の乗り換え客で在来線ホームは阿鼻叫喚を極める。スーパー北斗の指定席を取っておいて良かった。
快晴の駒ケ岳と内浦湾(噴火湾)を右に観ながら
①キハ261系スーパー北斗9号は函館本線を北上する。
大混雑 新函館北斗駅の阿鼻叫喚
スーパー北斗(右側)
函館行き特急スーパー北斗8号の遅れとかで黒岩駅で6分間の停車で上り下り交換、その少し前に四季島とすれ違った。長万部を6分遅れで出たが回復運転がなされ、東室蘭駅には定刻の到着。一服して昼のホッケ弁当を買い、14時発の
②785系特急すずらん7号札幌行きのガラガラの自由席に乗車。白老、社台と馬産地を突っ走る。やがて苫小牧、南千歳、北広島、新札幌。退屈な車窓は眠気を誘い、しばし寝落ちする。
すずらん
札幌からは本日3つ目の北海道特急
③261系スーパーとかち。自由席に並ぶ。すずらんは5両編成中4両が自由席だったが「とかち」の自由席は5両中1両のみ。自由席は半分位の席が埋まって札幌駅を定刻1608に発車した。
スーパーとかちは先ほどすずらんが通って来た線路を南千歳まで戻り、ここで大勢の客を乗せて自由席は満席になり石勝線に入る。追分で室蘭本線と合流したら更に東へ分離する。この路線は鹿との衝突が多い。その防止の為に侵入防止柵が張り巡らされているがJR北海道にすればこのコストも馬鹿にならないだろう。現に線路からほど近い原野で鹿が跳ねている。
スーパーとかち
追分駅は夕張線がバリバリだった頃の始発駅でデカい駅だ。
隣駅が、この3月で夕張支線が廃線になった新夕張駅。占冠、トマムと魅力的な駅が続く。トマムでは星野リゾートへ吸い込まれる中国人がみな降りた。
トマムから新得までは山登り、大きく迂回する線路のところどころで大きな十勝平野を遠くに見る。
帯広駅1900到着。もう日は暮れていた。駅至近のホテルにチェックインしてから晩飯を喰いに繁華街へ出る。海鮮居酒屋の500円刺し盛りに感激。酒は北の勝。
混んでて入れなかったが、せんべろの屋台風飲み屋通りが盛ん。22時でも人が退けない、稀有な地方都市とみた。
この刺し身の盛り合わせが500円とは!手前は北の勝の飲み比べ
本日の総乗車時間は10h33m、総距離は1,383.5km

the DAY-2
9/5(木)晴れ
泊まったホテルは朝食付き、腹一杯喰って0745に帯広駅へ向かい、0802発の
④283系スーパーおおぞら2号に乗車。昨日のスーパーとかちを逆トレースして札幌駅へ戻る。北海道の駅は札幌と旭川のふたつのみがハブで、どこかへ行こうとすれば必ずこのいずれかを通る。今回の旅程でも札幌駅へは3回行くが、いずれも乗り換えのみで街へは出ない。札幌の街に降り立つのは、出張の時だけで充分だ。
スーパーおおぞら
15分の乗り継ぎで、
⑤電車特急ライラック13号789系旭川行き。札幌〜旭川間は北海道唯一の経済交流圏でライラックとカムイはビジネスシャトル、両都市間をわずか1.5hで結ぶ。コーナリングもスムーズだ。
ライラック
但し車窓は中途半端、まるで千葉県を走っているようで退屈だ。
特急ライラックは岩見沢駅を過ぎると砂川駅、滝川駅、深川駅、終着旭川駅と、川シリーズに停まる。滝川駅近くには新十津川駅も有りまさに川のオンパレード。
奈良県十津川村の人々が入植して名付けられた新十津川を除けばアイヌ語発祥の地名なので、川が続いたのはどうやら偶然らしい。
旭川駅到着後、駅ビル内の「なの花」で旭川ラーメンの昼飯。
1335発の
⑥HET 261特急サロベツ1号がこの旅前半の白眉。自由席車両は1両だけなので早めに並ぶ。自由席7割位の着席で発車。HET 261はHokkaido Express Train キハ261系の意味。
10歳の頃から時刻表でみて憧れていたサロベツ。あれから乗るのに45年掛かってしまった。
ちなみにサロベツとは芦の原、芦の川を意味するアイヌ語。
そして明日稚内からの帰路は、特急サロベツではなく特急宗谷に乗るのだ!
サロベツ。ヘッドマークはサロベツ・宗谷共通で北海道の上(北)の方の絵が描いてある
HET 261特急サロベツ1号は快調に飛ばすが、旭川から1時間弱で名寄、その後約1時間で音威子府、そこから2時間で終着と稚内はまだまだ遠い。
名寄では自由席車両から7〜8人降りて同じくらいの人数を乗せ、普通列車と交換の後、特急サロベツ1号はまたゆるりと走り出した。
名寄川を渡る。
次は美深駅。
美唄、美瑛、美深と、この辺りには素敵な駅名が多い。きっと美人が多く居るに違いない。

特急サロベツ1号は何も考えていないかのように、ただひたすらに原野と原生林の間を北上する。人も牛も走っている車も鳥も、何もいない。少なくともこの小一時間は草木と川、池以外何も見かけていない。
車窓にヒトの生活を感じるようになるとやがて音威子府駅、北海道最小の村。ここも子どもの頃からの憧れの駅だった。
次の停車駅は天塩中川駅。
その昔、カミノテシオと言う響きの良い名前の競走馬が居た。ハイセイコーの同期だ。
その頃は天塩駅も廃線になった羽幌線に有った。
次は幌延駅だが、実は今日の宿は幌延駅前。稚内駅からレンタカーで戻る。たまには特急列車以外の乗り物に乗ってリフレッシュすることも必要だ、秘境駅にも寄れるしね。

南稚内の手前からは、植物の植生が変わる。ここまで緯度が上がると森林限界の標高が低くなる。
かくして、3h48mの耐久戦を経てサンセット間近の稚内駅に到着!
レンタカーを借りた後、夕日が丘パーキングに行ったがサンセットは雲が邪魔、ただし利尻富士は拝めた。
幌延の今夜の宿泊地 サロベツ会館へ向かう。
本日の総乗車時間は9h24m、総距離は525.4㎞

晩飯付きの民宿サロベツ会館、メシの後は持ち込んだ焼酎(セコマで買っておいた)に氷を貰い、横になりながらキリンチャレンジカップとバスケを見た。畳敷きの居間の宴会場。他の宿泊客は皆工事現場関係の長逗留者達だ。あいにく星は観えない。ラジオでAM DXをしながら寝る。

the DAY-3
9/6(金)曇り時々晴れ
夕食のみ付いた宿泊プランだったので朝飯はセコマでパンとコーヒーを買って喰い、0710の幌延駅みどりの窓口開店を待って今夕乗る、
⑦特急宗谷のグリーン券を買う。今回の旅で1回はグリーン車利用の贅沢をしたいが、それなら4時間弱乗るここだろうと昨夜決めていたのだ。進行方向右側のD席を取り、ついでにご当地入場券も買う。
ちょっと高級な特急宗谷グリーン車のチケットホルダー
今日のレンタカー周遊プランは盛り盛りだくさんだ。
幌延駅から、
①大規模放牧場
②秘境駅シリーズ 下沼駅
③北緯45°通過点モニュメント
北半球のど真ん中!
④天塩厳島神社で御朱印
⑤道の駅天塩
⑥秘境駅シリーズ 上幌延駅
⑦ 〃 南幌延駅
⑧ 〃 安牛駅
⑨ 〃 雄信内駅
⑩ 〃 糠南駅
11 音威子府駅…へ行きたかったところ、時間が足りなくなる(=特急宗谷で旭川へ戻れなくなる)恐れ有りと言うことで方針変更、
12  通りかかった秘境駅 歌内駅
これら宗谷本線秘境駅(秘境駅とはおこがましく、単に廃駅になっていない廃れた駅)のJR北海道発表 1日当たり乗降客数は以下の通り。

  • 下沼駅 0.4人
  • 南幌延駅 0.0人
  • 上幌延駅 0.6人
  • 安牛駅 0.2人
  • 雄信内駅 0.0人
  • 糠南駅 0.0人
  • 歌内駅 0.0人

ちなみに稚内駅は120人、新宿駅は353"万"人!
幌延町は廃れた駅を自虐的町おこしに使っているが、本来の秘境駅の定義とは異なる駅ばかりだ
これら駅をJR北海道は廃駅したいが、地元幌延町は自虐的町おこしに使いたいと存続を要請。しかしおどろおどろしい錆び錆び駅舎コンテナを残しておく方が悪印象に他ならない。但しJR側とてこれら駅を廃駅したところでコスト削減は見込めない。長いこと無人駅だし、簡易駅舎や待合室の掃除も町やボランティアがやっている。キズを舐め合うどころか応急手当すらせずに放置している。アフリカの貧困国と一緒だ。
こんなオンボロ駅舎を見せられても不愉快
13 一気に宗谷岬。
ここから最北端シリーズに突入、

  1. 最北端の宗谷岬郵便局で我が家宛郵便を出す
  2. 最北端給油所(出光)でガソリン補給、最北端給油証を貰う
  3. 宗谷岬ではぶっかけ海鮮丼の昼メシを喰い、お土産を買って最北端到達証を貰う
  4. 最北端の宗谷岬神社(御朱印は貰えない)
  5. 最北端のセコマ
  6. 宗谷振興局治山係で最北端「治山ダムカード」を貰う
  7. 宮司さんが居る最北端の北門神社で御朱印を貰う
  8. ノシャップ岬
  9. 最北端の日帰り温泉 童夢で入浴。露天風呂から利尻富士が見えた。最北端入浴証を貰う
  10. 稚内港北防波堤ドーム
  11. 道の駅わっかない
  12. 副港市場で海鮮を宅配
  13. 稚内駅でご当地入場券を入手
  14. サッポロクラシック缶ビールを購入し、特急宗谷にグリーン券で余裕の乗車
と言う騒々しいものになった。
音威子府、浜頓別、猿払には寄れなかったがこれらはまた次回への積み残しと言うことで。
ともかくも1日で廃れた駅7個、御朱印2つ、ご当地入場券2枚、ダムカード1枚、最北端証明証3枚の成果は上々であった。
日本人は最○端に弱いとか言われてる
予定通り17時にレンタカーを返す。
宗谷と、ニッポン最北端線路のドンツキ
下々の民は混んだ自由席で座席取りに苦労しているのだろうが、キロハ261グリーン車はことのほか快適。9席設定に乗車は4人。足を投げ出して少し眠る。

さてここまで読んで来て、乗った特急列車名に○囲み数字が付いていた事に気付いただろうか?
実は今回の「乗り鉄北海道最北端の旅」は、現在走っているJR北海道のすべての特急列車に乗ってやろう!と言う副題が付いているのである。なので初日に一旦東室蘭で降りて特急すずらんに乗り換えたりしている。
稚内行きが一番厄介で、行きにサロベツに乗れば帰りは宗谷、宗谷で行けば帰りは逆になる。そんなこと(時間調整+リフレッシュ)も有って、この日はレンタカーでの稚内探訪に充てて、稚内夕刻発の特急宗谷に乗車した次第。
残る「オホーツク」「大雪」「カムイ」の未乗車特急に乗れば現役特急全10個完乗。これに加え今ちょうど臨時特急ニセコが1往復、函館本線 山線経由函館〜札幌間を運転している。超レアなこれに乗れば11個、往復の北海道新幹線はやぶさを入れると12個と言う事になる(残念ながらH5はやぶさには乗れず)。

特急列車にすべて乗ったらカネが掛かるのでは?
そこは50年以上しっかり生きてきた大人達へのボーナス「大人の休日 東日本 ・北海道スペシャルパス¥26,000 」で全線全特急乗り放題である(無料の座席指定は6個まで)。何かと世知辛い世の中では有るが、長く生きていると稀に良いことが有る。はやぶさで東京〜新函館北斗を往復するだけで45,380円だから価格設定は超お得。
そう言うわけで「北海道特急列車〝闘〝乗記・乗り鉄北海道最北端の旅」はいよいよ後半戦に突入する。

本日の総乗車時間は3h40m、総距離は259.4km
晩飯は焼き鳥にサッポロクラシック、大雪乃蔵純米酒、旭川醤油ラーメン

the DAY-4
9/7(土)朝の旭川は小雨、その後は曇りのち晴れ

今日もアクティビティは豊富だ。
ホテルで朝食後、まず旭川駅0835発
⑧キハ183系特急オホーツク1号の自由席に並ぶ。目的地は遠軽駅。上川、白滝、そして遠軽。遠軽と言えば廃駅になった白滝シリーズ旧白滝駅から遠軽高校へ通っていた女子高生の写真が有名。
ネットから無断転載。失礼!
度重なる廃駅で間引かれたお陰で、上川駅~白滝駅の駅間距離は37.3kmも有り、石勝線新夕張~占冠間34.3kmを抜いて在来線では日本最長である。2位の石勝線区間は一昨日通ったので、今日はその上を行く日本一区間を走行する。東京なら新宿駅から埼玉県の北上尾駅間がちょうど37.3kmだ。
雨は上がっている。
札幌駅始発の特急オホーツク1号は旭川で何人か降り、自由席は50%ほどの旅客で定刻発。
オホーツク(Okhotsk)
【おまけ】2015年10月撮影 スラントノーズのオホーツク
石北トンネルの手前で車掌のアナウンスが流れる。
「北見峠を走行中です。この辺りは列車の走行に大変厳しいところで、5月になっても積雪は3㍍有ります。間も無く標高634㍍の上越信号場を通過して4,329㍍有る石北トンネルに入ります。石北は石狩と北見をつなぐものと言われています。トンネルの通過に4分ほど掛かります。ご辛抱下さい」
かつては蒸気機関車が喘ぎながら登っただろうこの峠をスバルのターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンの特急オホーツクは難なく登る。標高634㍍は東京スカイツリーと同じ高さだ。
石北本線上川〜遠軽間には4つの信号場が有る。上川駅から向かって中越、上越、奥白滝と下白滝の各信号場で、いずれもかつては駅だったが付近から住民が居なくなって廃駅になり今はポイントや設備を管理する作業場になっている。下白滝は2016年の廃駅なので記憶に新しいが、他の3つは物凄い山奥に有り、とても利用客が居たとは思えない「元・駅」で有る。
元 上越駅、現信号場、標高634㍍。車窓からの撮影なのでぶれてしまった
2015年10月にレンタカーで白滝シリーズ(上白滝駅・白滝駅・旧白滝駅・下白滝駅と4駅「白滝」が続き、白滝駅以外は秘境駅で翌春ひとまとめに廃駅になった)に訪れたことが有る。あの時は季節外れの台風が我らの目的地 知床に上陸・鎮座して温帯低気圧で留まり、石北本線も釧網線もまる1日運休で、その日の宿 網走蟹づくし旅館 友愛荘から一歩も出られないと言う嵐の夜を迎えたのだった。もちろん行きがけの白滝シリーズ駅の撮影も嵐の中だった。

特急オホーツクは1013丸瀬布駅で運転停車、特急列車同士の交換。遠軽駅はもうすぐだ。

遠軽駅ではレンタカー、目的地は遠軽神社御朱印、稚内でのレンタカーでは辿り着けなかったオホーツク海を見に道の駅オホーツク紋別、紋別厳島神社御朱印。帰りの特急大雪まで3.5hのアイドルタイムの有効利用。雨は上がってオホーツク海は晴れて来ている。
ガリンコ号を見学。昼メシを喰って遠軽駅へ戻る。
縁がある、の語呂で人気だと言う遠軽神社の御朱印帳は、社務所が留守で買えなかった。
御朱印自体は配布版を貰って来た。
初代ガリンコ号
閑話休題、ガリンコ号の先っぽにはウルトラセブンのマグマライザーのようなドリル(スクリュー)が4本付いていますが、「ネジを回すと食い込んで行く」のはアルキメデスの原理、だそうです。知ってた?
ガリンコ号のドリルはその名も「アルキメディアン・スクリュー」です。

1424発、遠軽駅からの戻りは旭川行き
⑨キハ183-1501大雪4号。先ほど遠軽駅まで乗ったオホーツク1号が終着の網走駅から満を持して戻って来た車両。遠軽駅はスイッチバックなので走る向きを変えて自由席5号車を先頭に、改めて石北トンネル方面へ向かう。自由席は4割ほどの埋まり具合。
旧い気動車特急はおしなべて窓が汚く車窓を楽しめない。何とかならんもんか。
途中の信号場を確認しながら、1619、特急大雪4号は定刻に旭川駅に到着。
大雪
1番線1632発富良野線 普通列車 富良野行きに乗り換え。この旅程で初の特急以外の列車で有る。向かうのは美瑛駅。
訪れる目的は3つ有って、

  1. この美しい名前の駅を見てみたいこと
  2. ご当地入場券入手
  3. そして、富良野・美瑛ノロッコ6号で復路を引き返すことだ。

富良野線では旭川側から、

  • 西御料
  • 西瑞穂
  • 西神楽
  • 西聖和

と何故か「西」が付く駅名が4駅続く。

美瑛駅からは首尾よくノロッコ6号の自由席に座れて(この列車はノロッコと言う名前だが美瑛駅→旭川駅間はノンストップで一般の列車よりかなり速い)、旭川駅に着くとディーゼル機関車の撮影会。7番線に回送の「風っこそうや号」も入線していて旭川駅は撮り鉄のお祭り状態。富良野・美瑛ノロッコ6号車内では乗車証明証も配布された。
DE15 1534
さて、臨時特急ニセコを除くJR北海道レギュラー10特急のラストと言う名誉を飾るのは
⑩電車特急789系カムイ42号。カムイで2駅、滝川駅まで乗って、今夜は新十津川に泊まる。来年5月に廃止予定の札沼線 新十津川駅は最終日早朝に訪問予定だ。
新十津川の宿も晩メシ付き。利尻昆布焼酎「りしり」を呑んで、明日の早朝勝負に備えよう!
10番目のレギュラー特急「カムイ」
本日の総乗車時間は4h21m、総距離は302.3km

the DAY-5(最終日)
9/8(土)新十津川の朝は曇り・濃霧、ニセコは晴れ、長万部は曇り

最終日の今朝も早起き、0600 宿にタクシーを呼んで滝川駅への道すがら、新十津川駅に寄って貰う。札沼線浦臼駅と新十津川駅間13.8kmは、列車が1日1往復しか走らない「日本一の閑散路線」で来年5/6がラストラン。既にカウントダウンが始まっている。失くなる前にもう一度来られるだろうか?
列車は1日1本10時発、終電が午前10時と言う「日本一終電が早い駅」でもある。
すみ丸ゴシック体が良い
0632 滝川駅発特急ライラック4号で札幌へ。ライラックはこの行程で2回目。ビジネスシャトルなので混むと嫌だなと思い予め指定席を取っておいたが今日は日曜日で車内はガラガラだった。
0733 札幌駅着は1番線。向かいの2番線から
No.11臨時特急ニセコが0757発。指定券は満席だった。3両編成中先頭車両のみの自由席の列に三十数番目で並び座席を確保、これで北海道11 個目の特急もゲットした!
札幌駅から新函館北斗駅まで5h21m、この行程中最長の乗車時間(新幹線はやぶさより長い!)になる。
特急ニセコ号の自由席は混雑、通路にもヒトが立ち、景色は見えず周りのシャッター音がやかましい。
余市でだいぶ降り通路に立つ人々はいなくなった。ニセコでまた席が空く。指定席はぎゅうぎゅう、自由席はすいていて結果はオーライ。
晴れた空に羊蹄山が美しい。
函館本線 山線は前日に乗った石北本線同様に雑木林の中の坂道を縫うように走る。石北本線は北見峠をピークに登り下りするが、山線は幾度かの峠をトンネルで越す。中でも銀山駅〜小沢駅間にある稲穂トンネル(1,776メートル)が強烈だった。やがて倶知安、ニセコ、ブナの北限・黒松内そして長万部。
函館本線 山線に特急が走るのは多分また何年も先だろう。貴重な特急ニセコ
何年か前(まだトワイライトエクスプレスが走っていた頃)和室四畳半の部屋膳に毛蟹1杯とタラバの脚が設えられ、温泉の1階銭湯は使いたい放題、1泊2食付で6千円位だった長万部の温泉民宿に泊まったことがある。早朝には、大阪を出て札幌へ向かうトワイライトエクスプレスを長万部通過時刻を想定して温泉民宿からほど近い跨線橋へ赴いて見送った。
宿のおバ(婆)ちゃんは「温泉街の方に新幹線の出口が出来るんですよぉ」と嬉しそうだったが、おばちゃんの寿命と北海道新幹線の開業のどちらが早いかは良く知らない。晩メシの時はふすまを開けて階段下に向かって「おばちゃん、ビール」と言うと「ハイヨ」トントントンと運んで来てくれる寅さん風宿だった。
翌日の仕事は函館に有り、朝のスーパー北斗で函館へ向かった(その後、白鳥、はやぶさで帰京)。

本編へ戻る。
長万部を過ぎると新函館北斗駅までに停車するのは森駅のみ。
但し赤井川駅で交換の為、5分停車。左側、噴火湾の駒ケ岳は初日の方が晴れていた。
大沼駅で再度5分の運転停車、スーパー北斗を先に通す。
1304 大沼駅発
仁山駅でまた運転停車。所要時間が掛かるわけだ。
1318 定刻に新函館北斗駅着。今回の旅程はJR北海道の不断の努力のお陰ですべて定時発着運行。冬の間だったらこうは行かないだろう。四合瓶に1/3ほど残っていた利尻昆布焼酎りしりはニセコの中で空になった。
倶知安~ニセコ間では車内販売も行われた
新函館北斗駅構内のKioskで最後のサッポロクラシックと北海道時刻表を2冊買い、1339発のはやぶさ28号。全席満席。どうやら台風影響で新千歳⇨羽田行きの客が流れて来たらしい。
はやぶさは青函トンネルにドライと初日に書いたが、上りのJR北海道は違った。1357にトンネルに入り1419青森上陸とこと細かに教えてくれる。青函トンネル通過速度を140km/hから160km/hに上げる計画が有るとも喋っていた。抽選で北海道の幸が当たる大人の休日切符利用アンケート用紙も配られる。

北海道新幹線は毎年50億円を超す赤字を出すが、いくつも無い観光資源に頼るJR北海道の姿勢は良く分かる。やがて新青森駅で乗務員交代、東京まではやぶさを運転したかろうが、北海道新幹線に於けるJR北海道乗務員の役割はかわいそうにもわずかにここまで。
満席で立ち席券も売られデッキに立ち尽くすヒトも満載のはやぶさ28号。新幹線は乗る、と言うより「運ばれる」だけだ。サッポロクラシックを1本呑んだ以外は特記事項無く、台風接近中の東京駅に1804着。
乗車時間と走行距離(特急列車のみ。旭川〜美瑛間は片道23.8km)
  • 9/4(水)10h33m 1,385.5km
  • 9/5(木)9h24m 525.4km
  • 9/6(金)3h40m 259.4km
  • 9/7(土)4h21m 302.3km 
  • 9/8(日)10h39m 1,214.4km
  • 乗車合計 38h40m
  • 距離合計 3,685.0km は地球の半径6,371 kmの57.8%、北極点から北緯45°線が走る幌延にちょっと足りず(北極点から赤道までちょうど1万km)、か。
東京の台風は22時過ぎから暴れ始め、首都圏に上陸した台風としては過去最大級の風雨をもたらした。各鉄道路線も早々に終電を切り上げた。
復路に東北の特急をあと1、2本乗ろうか、なんて欲張ってたら帰宅も危うかった。
ともかく台風の交通規制より前に家に着き、家の周辺のモノが飛ばされないようヒモで括り付け、最北端到達証などこの旅の戦利品を整理して、台風情報を聞きながら寝た。翌日は8時頃まで首都圏のJR線は予告運休と出ている。明日は明日の風が吹く。

GWの宝島遠征に加えまたひとつ大きな目標を達成してしまった。今後は更に目標設定のハードルを上げなければならない。この次は何処へ行けば良いのか。悩める50代で有る。

Special thanks to JRH, JRE, OkaChan & Hokkaido-no- minasan!
この葉書は宗谷岬郵便局で9/6に投函して、9/12に届いた。結構掛かりましたね、日数が

【P.S.】滅多にやらない乗り鉄でわかったこと2つ
①セーブすべきは宿泊費
②車窓が退屈な時に紀行文をまとめられて仕事が早い(レンタカーではこうは行かない)
(了)