2023年8月20日日曜日

A Making Of The "V8 ENGINE" with MACHINE WORKS

縄那覇在住の先輩モデラーから唐突にプレゼントが届いた。
それがMACHINE WORKS社製の「V8 ENGINE 組み立てキット」だった。
届いた箱を開けてみたらプラモじゃない!
それはたまには嬉しいが、マニュアル(組み立て説明書)が英語のみ。これは苦しい。
で、日本語化を考えてみたのだが、全ページスキャンしてのpdfからOCRで日本語機械翻訳は精度的に苦しかろう。
そう言うわけでネットで色々探すと有った有りました、提供社名がHaynesで、今のMACHINE WORKSの恐らく前身だが中身は一緒の英文マニュアルが!
ここからの翻訳手順は以下の通り
  1. pdfをダウンロードしてGoogleドライブに保存
  2. Googleドキュメントで読み込み
  3. これをMS Wordで開き、Wordの翻訳機能(校閲→ドキュメント翻訳)で翻訳
このやり方の優れている所はレイアウトが崩れない事

BEFORE

AFTER。ね、ほぼ完ぺきな仕上がり!

置きが長くなりましたが本編に入りましょう。

先輩から届いたのはこの大きな箱

箱の裏面です。かなりの賑やかさ

箱のオモテ面をGoogleレンズで翻訳してみるとこんな感じ

日本語版マニュアルをiPad Miniで用意して、それでは制作を開始します

材質はPPと言うのか、柔らかく塩ビ系で、付属のねじでねじ穴が切れる素材。でかくて柔らかいので少々扱いにくい

マニュアルのSTEPに忠実に、まずはピストンから小手調べ。すべての部品は接着剤無しで「押し込む」

クランクシャフトとピストン。それぞれねじ止めします。付属の+ドライバーはショボいので自分のを使いましょう

クランクシャフトの組み上がり。ねじ16個締めます

次は台座です。大きいのでこれは簡単。ねじ8本。左端が単三3本用電池ボックス。電池ボックスの配線などは既に出来ているので作る必要なし

シリンダーブロックにクランクシャフトに付けたピストンを差し込む。ここは知恵の輪的な発想が要ります。日本語翻訳もこの辺は難しいので感性で切り抜けましょう!

一所懸命翻訳してくれてるんですけどね、もちろん日本語版が無いよりは100万倍有りがたい

はまったら回転を確認します

ちょっと回転がかったるくてこの後が心配だったので、ここで一旦ばらしてグリスを入れておきました

次は排気バルブ

こは説明書不親切で且つ、部品のバリ(金型成形残)を良く削らないと受け側パーツ(右写真下から2番目のパーツ)がはまらない「困難エリア」。押し込みに力を入れ過ぎて部品を折ってしまうとしたらここ。じゅうぶん注意して切り抜けましょう

アームの組み立て。左右シンメトリーに2本作ります。シャフトはスチール製

ねじ20本で止めます

ガスケットとシリンダーヘッドの取り付け

だいぶエンジンらしくなって来ました

タイミングベルトとアイドラープーリーの取り付け。ピストンの位置合わせが重要らしく、ガイド用パーツも付属している。ここで位置を間違うと動かないんだろうか。少々心配になる

こでひっくり返して背面のボックスに電池(単三3本)を入れます。

タイミングベルトカバーとファン、ファンベルトの取り付け

よいよ点火タイミングの調整

(音が出ます、動画再生に注意!)
の時のために組み立てていると言っても良いでしょう、
ディストリビュータの取り付けと、点火タイミングの調整はかなりマニアック。
赤ランプはプラグの点火です。なおエンジンサウンドは内蔵されています


ディスキャップからの配線を整理して完成をみたV8エンジン。ディスキャップ奥のカバー内にはモーターが取り付けてあります

が持った初めての車は41年前の18歳の時、先輩からもらったダイハツハイゼット2スト360cc。あの頃は近所に解体屋が何軒もあって、プラグやディスキャップ、パワーコードなどを貰って(拾って)来てはリーンバーン改造などにいそしんだものだった。マイナスドライバー1本でガス量エア量を調整出来た。プラグやコードを変えれば良いも悪いも、てきめんに効果が出た。
それが今や車は家電製品。
内燃機関は30年も使えるんだからよっぽどエコに映りますがね..

祝!完成!!
面白い工作を届けて頂きましてありがとうございました!


は動かしてみましょう!

(音が出ます、動画再生に注意!)

Mr.Ken-ichi san, Thanks a lot!

2023年7月20日木曜日

ア・メイキング・オブ・フューリー

先輩プラモ仲間とたまたま「泥」の話になり、ブラピのフューリーを思い出してヨドバシへ出向き、Netflixを繰り返し観て「地雷踏んでスタックする直前のフューリー号」をイメージして、この製作は始まった。

目指したのはこれくらい汚れた車体

ブラピのタンカースジャケットも研究した

仲間たちのいでたちや服装も出来るだけ再現することにした

そう言うわけでまずフィギュア5人組の塗装から入った。フィギュアが上手くいけばきっと戦車本体のモチベーション維持も上手くいく(先輩談)

少しブラピに似て来た?

塗装前の戦闘員仮設。履帯には錆び色のサーフェイサーを吹いてある

基礎塗装を完了。下地黒鉄色(下半分)マットブラック(上半分)、その上にオリーブドラブ。エアブラシ持っていないのですべて缶スプレーで塗装

筆で手書きのFURY

錆びの色が明るすぎて派手過ぎ。泥汚し塗料で修正を繰り返す

何とか少し、落ち着きを取り戻す。どろんこイメージが強く、汚し過ぎのきらいも少々

脇腹にぶら下げる丸太を作る。縮尺比ではφ4mm。材料を迷ったが、正月用祝箸の触感が良かったので細く削る。65mmに切り、塗装、乾燥の後で端を削る

ジオラマ撮影用に、画像生成AIに描いて貰った「戦争で破壊された町」

長かった製作も間もなく終わりを迎える。乗組員たちも嬉しそう?

㊗そして完成をみた、地雷踏んでスタック寸前のフューリー号

積み荷はたっぷり、がフューリーのお約束。アンテナはφ0.3mmのステンレス棒を使った

なかなかの迫力、自画自賛!

もっと振り切って汚しても良かったような気もします

映画のワンシーン(上)との比較。履帯の泥が明る過ぎたか

戦車のプラモは少々部品が欠けようが接着剤がはみ出そうが、後で汚すので上手いこと隠れる。プラモは自由だ。次作ではもうちょい振り切ってみよう!
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と、一旦は完成をみたフューリー号では有ったが、
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完成後にゴルフへ行った。7月のクソ暑い中の、霞ケ浦に近いゴルフ場。

ゴルフ場には、日なたでカラカラに乾いた小枝が落ちていた。フューリー号の丸太にちょうど良さそうなのを拾ってきた

そして、迷ったものの元の割りばしの丸太は外し、

出来上がった[改]バージョンがこれで有ります

何となく自然の小枝の方が、情報量は多いような気がします。履帯もこの際、少し黒くしました。
さてようやくフューリー号にも、落ち着ける時が来たでしょうか..
(了)

2023年6月19日月曜日

第3回青少年強化合宿

第1回 青少年強化合宿 一の瀬高原キャンプ場
第2回 同上 本栖湖洪庵キャンプ場(明け方マイナス13℃!)
2回続けてべらぼうな快晴を重ねて来た我がキャンプ軍団、TCG。
若手ドレイ長、ドレイを見てもどうにも晴れ男風では無いがワタクシ、タナカ隊長は公私ともに認める晴れ男。よってこの3人(隊長、ドレイ長、ドレイ)の関係は1✕(-1✕-1)=+1で陽性なのであろう。

そして第3回。
過去2回は4月、1月とまだ冬の気候だったが今回は6月中旬で梅雨のど真ん中。
元々の予定だった前々週6月3日は激しい荒天、翌週10日も雨だった。
そこに来ての2023年6月17日はまさに奇跡の快晴である。

今回のキャンプ場はタナカ隊長の古巣、入笠山を選定した。
来年還暦のワタクシが12~3歳の頃から毎年のように通って来たキャンプ場がここJAハウス(旧名:農協ハウス)キャンプ場。もう45年以上になるが、木が若干太くなった以外は何も変わっていない稀有な場所である。
宿舎(ハウス)が有るのでカブやビーバースカウトのちびっこやキャンプ未経験者も連れて来られる。
先輩や同僚の送別会をわざわざここまで来てやったことも数回ある。みんなでキノコを採って天ぷらパーティーもやった。勇者ヨシヒコの仮装で撮影もした(何しろ45年以上も何も変わっていないプリミティブな場所なのでヨシヒコ風ロケには最適なのだ)。

長くお世話になっている管理人のM澤さんと5月に連絡を取った。相変わらず元気そうなお声だった。上述の通り当初の6月3日をずらして17日~18日の一泊の予約を入れて貰った。

ワタクシ、タナカ隊長が入笠を訪れるのは2021年8月2日以来だ、その時の訪問は管理人のM澤さんがブログに書いてくれている。

45年も来ていればこのキャンプ場では様々な思い出がある。
  • 上司の死と共にヘッドライトの球が切れた2tトラックで夜道を登ったこと(山上のロッジ紅葉軒前の赤電話で会社へ電話して死をたまたま知った)、その晩は0時からスカウトを叩き起こして夜中の撤営。ライトが切れているので明るくなるのを待って荷物満載のトラックで下山、自宅で礼服を取り、トラックでそのまま護国寺周辺の葬儀会場へ。これは20代の頃だから30年以上も前
  • 天狗をモチーフにしたハイキングの祟りか、落雷に直撃されホウホウのテイでテントサイトへ戻ったこと。辺りが全面ピンク色になり落ちた雷は3㍍ほど前で渦のようにぐるぐると火の玉が回った。あれ以来イベントに天狗を使うのはやめた。
まだある。
  • ボーイスカウトのキャンプで撤収下山が間に合わず台風を迎え撃った時。スカウトをテント内に入れたまま、Aテン(三角テント)のポールを強風豪雨の中、何時間も押さえたこと
  • トラックがぬかるみに沈んでしまい地元猟師のジムニーで引っ張って貰ったこと
  • 軽乗用車の2輪が同時にパンクして応急措置でこわごわと帰って来たこと
  • 林道の排水溝のカバーがはねて乗用車のオイルパンを割ってしまい、スカウトをゴンドラと電車で帰らせたこと..
枚挙にいとまがないが45年も通ってりゃそりゃそうだ、積み重ねた年輪が多過ぎる。

そんな回顧をしつつ、キャンプ道具満載のセレナは富士見側から林道に入る。

今朝は府中スマートICを0730に乗ったが既に渋滞は始まっていて、小仏トンネルを出て藤野の辺りまで断続渋滞を強いられた。小淵沢ICで降りていつも通りもののけ姫の乙事(おっこと)集落を通る道で富士見西友で買い出し、の予定だったが、
「リニアの実験走行を観に行こう」とひらめいて、躊躇せず笛吹八代スマートICで降りた。ここからリニアを観られる花鳥山展望台までは10分ほどだ

運よく我々到着の約5分後に、リニアは上野原基地を発車した。ここ笛吹市まで42.9km有るが所要時間は8分だ
このシェルターを出ると実験区間西方の終点。軌道上には架線もレールも無い。この先は静岡県の馬鹿知事が工事を止めてる区間。静岡県にリニア駅が出来ないからと言ってすねるなよな、国策なんだから

リニア見物を堪能した後は下道で行こうと思ったが20号が思いのほか混んでいるので甲府昭和ICから高速に乗った。すると須玉~韮崎の対面通行集中工事にはまってしまい、30分ほどロスをした。それでも下道よりは早かったかな、と思い直して小淵沢IC~乙事~富士見西友で買い物。M澤さん向けのビールも仕込む。

入笠登山林道は沢入駐車場以遠はマイカー規制、沢入駐車場は満車、停められない車が林道に沢山路駐していて危ないことこの上ない。富士見パノラマスキー場駐車場に停める案内をしないと事故が起きそうだ。

泊まりの我々は規制をスルー。
登り慣れた道を上がって大阿原湿原。散策するがモウセンゴケはまだ無かった。
ほどなく八ヶ岳ビューポイント

本日も快晴なり!

お花畑はレンゲツツジが綺麗で沢山のハイカーが居る。待ちに待ったコロナ明けと雨の降らない週末。みな嬉しそうだ。

やがて見慣れたキャンプ場に到着してM澤さんとご挨拶。そこからはこんな風に時間が流れた。
  • おにぎりとカップラーメンの昼食
  • テント2張と小型マーキーの設営
  • 車で入笠登山口へ移動。マナスル山荘に牛乳は無し。ドレイ長とドレイは1,955㍍入笠山初登頂
  • テン場へ戻って晩飯の用意。焚火の準備
  • M澤さんへ持参の酒とシウマイのご献上
ここで朗報!(決してわらしべ長者狙いでは無いが)何と鹿のもも肉が手に入った!

どーんと豪快に炭火焼き!下のBBQ台の網の直径は33㌢

鹿のもも肉を頂けたお陰で晩飯はべらぼうに充実!
パーシャル冷凍で熟成したのか、背ロース肉と同じくらいに柔らかく赤身でヘルシー、食べやすくめちゃくちゃ美味い我が史上最高のジビエ料理になった。鹿肉にはニンニクとポン酢が良く合う。レモンが有ったらもっと良かった。
西友で買って来た牛肉豚肉は影が薄くなったが明日朝も焼肉延長戦、頑張って喰おう。

美味そうデショ!

M澤さんお手製露天風呂を借り、ウィスキー1本空いて、流れ星も幾つか流れた新月の満天星空を観ながら眠る。これほどの極楽が有るだろうか

超快適だった今回のテン場

結構喰い尽くした鹿もも肉。ごちそうさまでした!

朝起きると夜露が思いのほか激しかった。フライもテントもびちょびちょだ。
幸い天候は今日も晴れ。テントやマーキーを陽の当たる場所へ移して乾燥させる。

卵を6個ゆでる。そのあと同じお湯でチンご飯3個とレトルトカレー3個を温める。
フランスパン的なロールパンををホイルでくるんでフライパンで軽く焼き、スライス面にバターを塗る。
フライパンで目玉焼きを3個作り、そのわきでウインナーを炒める。
キュウリをスライスしてウインナーと共にパンに挟み塩を振る。
1本ずつホイルでくるむ。まず昼飯用のサンドイッチとゆで卵が完成した。

何しろカセットコンロ1、鍋1、フライパン1で全部やるので順番が肝心だ。

ごはん、カレーに目玉焼きを乗せて「朝カレー」、
昨日の残りの肉をフライパンで焼いてカレーと共に喰らう。ビールも飲む。
充実の朝飯である。

今日のこの後の行動は、M澤さんの出身地でもある辰野町に有る「日本中心のゼロポイント」を目指すことにした。ここから1.5hほどのところだ。サイトの撤収に入る。

0900 撤収・ゴミ拾いしてM澤さんにさらばを告げ、市道黒河内線で芝平(しびら)峠方向へ下る。通行止めの噂も有るのでその確認も含む。法華道方向~高遠へつながる左の道はやはり通行止めだった。千代田湖方面へ降り、県道490号から国道152号「高遠スケッチ街道」で高遠城址を目指す。
伊那市を右折して箕輪から辰野。ちょうど昨日今日と辰野町ほたる祭りが行われている。入笠のキャンプ場には、さすがに1,700㍍の標高と言うことも有って、蛍は居ないようだった。

ゼロポイントへ行くには大城(おうじょう)山を目指して林道に入るが、とっつきは狭い。道も悪い。大城山展望台に登る砂利道も厄介だ。
そこから先、日本中心の碑と展望台までの道はもっと悪い。落石も多いがやがて本格的な悪路になる。車高が高くなく3人乗ってるセレナには苦行だが何とか耐えてもらうしか無い。

やがて大きな問題の無いままセレナは日本中心の展望台に着いた。
360度の絶景では有るが変化に乏しい山々とはな曇り。それよりもメマトイ(羽化したばかりの大量のコバエが顔にたかって来る)に難儀した。またしてもホウホウのテイで脱出。まったくもう ☜メマトイわちゃわちゃ動画はここに

この写真は22年5月に撮ったもの。この日は晴れて虫もまだ居ず、富士山も良く観えた

これも昨年の写真から。この碑は展望塔に隣接している。この時はクルマでは行けない道だろうと思い込んでいて、自転車で来たのだった

セレナは悪路を、元来た道を戻って大城山中腹を目指す。往きに気を付けておいた落石を慎重に避ける。下りも無事にクリアして、これまた悪路の急な道を登って大城山中腹に車を停める。

辰野の町並み一望の展望が素晴らしい
そしていよいよゼロポイントへ。
ゼロポイントへはここから1.1kmの徒歩。杖が有るのでそれなりに険しい道なんだろうとは思ったが
杖を1本借りて歩き出す

分岐があるあと570㍍地点までは平坦だがここから急な山道を下る。帰りが嫌になるくらい下る。やがて現れるのがゼロポイント標と看板


チコちゃんが認定した「中心の中心」は右上のクイのところだそうだ

日本地図を4つに折り畳むとその中心はどこになるか。
我が町こそ日本の中心だ!と自負する地方自治体は多い。
  • 北海道から九州をカバーする円を描くとコンパスの中心は群馬県渋川市
  • 日本列島を収めると千葉県銚子市
  • 本州を切り取った重心地は長野県小川村
  • 東経135° 北緯35°の交点は兵庫県西脇市 ..
ま、そんな争いの中で今んとこ見事勝ち取ったのがここ辰野町と言うことなんでしょう。

ゼロポイントを後にした我らは急坂を登り切り、クルマに戻ってサンドイッチの昼飯。
ちなみにゼロポイントへの下り上りはニッポンの秘境駅No.5、飯田線田本駅往復に似た感じでした(笑)

【おまけ① 日本ど真ん中を標榜している神社は生島足島神社(長野県上田市)】

【おまけ② 北海道の重心地は新得】

【おまけ③ 飯田線 田本駅の入り口(山道を下って徒歩15分)。なんでこの先に駅が】

思ったよりもゼロポイントに時間を取られ、時刻は13時になった。
20kmは並ぶだろう小仏トンネル渋滞に15時前に入りたかったところだがもう慌てても仕方ない。忘れちゃいけないもうひとつのお約束、おぎのや峠の釜めしを買いに諏訪ICで律義に降り、購入の後に再度高速に乗り直すと次の課題は韮崎~須玉間の対面通行規制。その先もどうやら事故渋滞をきっかけに、まだ14時前なのに小仏トンネル渋滞18km3時間以上◢(更に延びそう)と電光掲示板に出ている。
韮崎の渋滞を避けて小淵沢ICで降り、20号を東進して早く帰りたがっているドレイを石和温泉駅で降ろし、その後は大月の手前を右折で都留から上野原を快適に走った。
上野原ICからは高速渋滞のヒトとなったが予定通り、渋滞にはまっている時間が最も短い快適な帰路になった。
我が家着19時だから、すいている時のちょうど2倍だった。

帰宅後はガソリン入れて洗車してキャンプ道具降ろして、その後は安定のディナータイム。あんずが秀逸

笠を持って入る位に雨が多いから入笠山。確かに45年間良く降られてもいるが梅雨のさなかの今回の快晴は僥倖だった。M澤さん、またお邪魔させて頂きます!
Thanks for Nyuukasayama and M-sawa-san!
(了)