2016年9月22日木曜日

<3年連続出場&5名全員完走!>ツール・ド・東北2016

連続3回目の出場となる2016ツール・ド・東北。復興支援を目的に2013年から始まった同大会だが、我らは第2回の14年大会から参戦。
ここまでを振り返ってみると下表の通り、監督を除く延べ出場選手は12名になった(数字はkm)。

2014年大会(初参戦)

東雲の自転車を借りて初出場(初自転車大会)、緊張の面持ちで女川の町を走るtanakabucho。この写真はまだ20km地点、これから悶え苦しむ地獄の登り坂に幾つも遭遇することになる
2015年大会

津波で流された女川駅が高台に移って開通していた。前年14年のライドではまだビルが横倒しになったままの旧女川町内を走ったがこの年からバイパスに変わった。我がチームの100km参戦も始まった
そして今年もやって来た2016年大会‥
星野総監督と宮臺の初参戦に、何と170km南三陸フォンドに中山と宮臺が挑むと言う新たなステージを迎えた2016年大会。
中山傷だらけ号に二瓶、tanakabuchoローラ号に堀内、宮臺は諸般の事情で単独、そして総監督も諸般の事情で新幹線はやぶさ号立ち席特急券でそれぞれに向かった石巻。

2016年9月17日(土)
いわきまでは晴れていた常磐道を選んだローラ号は「ニッポンのチェルノブイリ」を未だ見ていなかった堀内ヒデキの社会科見学を兼ねて広野ICで降り、車でしか通過出来ない富岡〜双葉〜南相馬の国道6号線を北上する。
この区間は帰宅困難高濃度区域で「いちえふ(福島第一原発のことを今はこう呼ぶ)」のすぐ脇を通る。自動車以外、即ち歩行者・自転車・軽車両・原付・自動二輪車の通行は禁止されている。途中の信号はすべて黄色点滅、要は停車しないで走り抜けなければならない区間で、交差する道や家々の入口はすべてバリケードで封鎖されていてそこかしこに警備員や警官が立って居る。

この区間14kmの建物はすべて放置され片付けさえもされないからまるで営業中のように、そこら中に看板が出たままになっている。しかしパチンコ屋は傾きガソリンスタンドは廃れ、中古車屋の中古車も放置されて生い茂った雑草に埋もれている。ファミリーマートも1店舗放置されたままそこに残る。街道沿いの立派な家々も主を失ってただただ建ちすくんでいる。

ENEOSの看板は出ているが営業はしていない、片付けにも入れない区域。家々1軒ずつの前もバリケードで封鎖されている。この状態は6号線開通時から変わっていない

震災から5年6ヶ月。使い古された言葉だがここだけ時間が止まっている。
とは言え時間は進む。
今は建っている建物もやがて痛み腐り傾き倒れる。この街道沿いをすべて更地にして棄てる時期が来る。
6号線の開通は往来を良くしたが、何も手がつけられない現状をさらけ出したものとも言える。
もう取り外されて暫く経つが、tanakabuchoが再開通後初めてここを通った時はまだこの看板がバリケードの向こう側に有った。原発は雇用とカネを生み、地元を潤した。
長い期間に渡って恩恵を受けた住民も沢山居たはずだ
やがて南相馬で帰宅困難高濃度区域が終わると今度は原発事故でなく津波被害が大きかった地域に入る。シュウイチが住む南相馬だ。
東日本大震災
津波浸水区間
ここから
の看板とともに一面の枯れ野原に風景が変わる。野原には除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグと呼ばれるでかい黒い袋がまるで堤防のように積まれている。
南相馬市小高区に入る。何だか横浜市鶴見区のような政令指定都市風ネーミングである。
小高区に入るとようやくヒトの生活臭が漂い始める。すき家も現れる。
6号線を左に折れ、まだ不通区間の常磐線桃内駅〜小高駅間のサビサビ線路の踏切を渡って突き当りを右折、暫くして右折すると正面に小高駅。

シュウイチの家は多分これだろうと家のそばを巡回するが表札も無くシュウイチが居るかもわからずもちろん何の連絡もしていないので、とりあえず駅前のPに駐車し、tanakabuchoは再開業した小高駅を覗いて時刻表と乗車駅証明書を頂戴した。小高駅からまだ東京方面へは行けず、仙台方面も相馬駅までだ。


♫どこかで掛け違えてきて 気がつけばひとつ余ったボタン♫
はMr.Childrenの名曲「くるみ」
駅舎から出ると堀内が何やら地元民と親しげに話し込んでいた。近づくと紛れも無くシュウイチで有った!
聞くと①ツイッターを見ていた②そろそろかと外を見ると堀内らしきヒトが居た③後方に見える初心者マーク付きの軽バンが愛車④買い物は原町方面へ出なければ出来ない と言った状況だそうだが何しろ元気そうで良かった。何もお土産を持って来なかったことを侘びつつ、小高駅の証明書を見ての通り時刻は13時を回り石巻専修大学14:45集合に間に合わないばかりか星野総監督石巻駅着15:17にも微妙な時間になって来ている状況であることから(目的地まで何しろまだ130km以上有るのだ)、我々は惜しみつつも再開を約束して別れた。
来年はシュウイチもツール・ド・東北に出場するそうだからその時は同じ道を来てここでピックアップしよう。

3.11をtanakabuchoに書かせると長くなる。3.11南相馬市の犠牲者数は約1千人。これから行く石巻市は約3千5百人余が亡くなった。道中の町々でも多数の犠牲者が出た。津波は天災、原発事故は人災。5年6ヶ月経過。改めて合掌。

さてこのままでは間に合わないし紙面も尽きるのでペースを上げる。南相馬ICから再度常磐道に乗る。南相馬鹿島SAでなみえ焼きそばの昼飯。相馬、山元、亘理、岩沼、名取、多賀城、塩釜、利府、松島、奥松島と名だたる被災地を通過してやがて石巻。なみえ焼きそばは他のメニューより少々調理時間が掛かり、昼メシを喰い終わって南相馬鹿島SAを出たのが14時10分。あと110km、石巻駅での総監督迎えは10分遅れと目星を付けていた。

そんなこんなで総監督石巻駅ピックアップはおおよそ予定通りの15:20。マンガッタンライナー車両で運用の15:24発あおば通行きが総監督の到着と入れ替わりに発車した。

マンガッタンライナー車両の運用予定はわからないらしいから、偶然見られたのは相当ラッキーだ
15:50頃
相当早く着いて時間を持て余していた宮臺と受付で合流。キャンパスの軒下で雨宿りして傷だらけ号を待つ
16:20頃
傷だらけ号到着、受付を済ます。時間が遅くなってしまうので風呂はパス
17:00頃
コープみやぎで晩飯&朝飯の買い出し。宮城県限定販売ウィスキー「伊達」も買う
17:45頃
雲雀野駐車場着(相変わらず砂利)、タープを立てて宴会&仮眠場所確保
18:20頃
宴会開始

こうしている間も雨はずっと降り続く。天気予報を見る度に降水確率が上がる。 
とりあえずキリン秋味を開け鮪、烏賊、鯵などの刺し身を喰う。伊達の水割りも飲む。みな様々買って来た晩飯を喰う。銚子のちょうしたのサンマの蒲焼缶や魚肉ソーセージも喰う。
明日170km組は5:30集合、6時から順次スタート。4時起きで片付けて準備して遅くとも5時には駐車場を出発しなければならない。寝場所は傷だらけ号にふたり、ローラ号に監督、タープの下の寝袋に残り3人。たまに雨粒がtanakabuchoの顔に落ちて来てその都度目が覚めたがどうにか寝た。雨が吹き込んで寝袋は結構濡れた。せっかく持って行ったテントを立てりゃ良かったんだが、仮眠と言う事でどうかご容赦を。

写真はここに!

2016年9月18日(日)天候:雨
4時起床。雨が一時的に上がっている。この機にびしょ濡れのタープとブルーシートを手早く片付ける。ゴミを段ボールにまとめる。サイクルウェアに着替え、ゼッケンを付ける。雲古もする。
そうして5時。暗い砂利道ぬかるみの中をスタート地点の石巻専修大学に向けて漕ぎ出す。雨が降り出しやがて本降りになる。
全く以てこの駐車場は非道いもんで、足元は悪いわ遠いわ(駐車場からスタート地点まで9km弱をまず漕がなければならない)、津波が来たら一撃だわで、どうせならここをスタート地点にしてくれた方が手っ取り早い。
もっとも津波危険地帯だからここでのスタート/ゴールは無いとすれば、せめて駐車場を高台に上げてもらわないと、ライド中に津波に車をさらわれたらかなわんのよ。

雨が降り続く中、170kmのふたりはスタート列に並び、6:30に出発した。中山が所要9時間50分で16:20ゴール、宮臺がそれより少し早くて15:45位のゴール(所要9時間15分)だったからふたりとも本当に大したもの。
60kmの3人が9:20スタートでちょうど4時間後の到着だから、170km組の図抜けた速さがわかろう。改めて拍手!

コースの両脇に仮設住宅が並ぶ。仮設住宅に身を寄せているお年寄りが道端に出て来て旗を振って応援してくれる。仮設じゃなくとも、不便な生活を強いられているだろう住民のみなさんが声援してくれる。
「応援してたら応援されてた。」3年続きで応援されてしまいました(T_T)

今日は宮臺の大切なお妃と姫が、昨日の監督よりも1時間早い14:17分着で石巻駅へやって来る。今回の最大ミッションとなるお迎え係は監督だ。本来の計画は60km組と関係無くお迎えに行く計画だったが作戦を変更、ゴール済みの堀内・tanakabuchoを積んで一旦駐車場へ行き、宮臺と中山の車を回収してゴール地点の近くまで持って来ておくことにした。
監督は駐車場から宮臺号に乗り換えて、石巻駅でお妃と姫を積む。
残りの2台を堀内とtanakabuchoで運んで来て時刻は概ね15時。宮臺から15:30〜15:45の到着見込みとツイートが入り、ゴール地点へ移動して待ち構える。中山も宮臺からは遅れるものの30分落ちくらいで戻って来そうだ。まったくこのふたり、170kmをこのスピードで駆け抜けて来るとはまったくどうかしてる。

やがてふたりのゴールは対象的で有った。

これ以上無いヨロコビを体現してゴールする宮臺パパ
いつも以上にクールに「170km走って来ましたが何か?」的な中山
そう言う訳で中山の「人間の心を探す旅」は無事に終えた。
来年はアスリート澤田社長の参戦も予想され騒々しくなるかも知れぬ。
いったいtanakabuchoは次回何kmをどの自転車で走るのか?
その辺のことはまた少し先まで置いておこう。

二瓶の登場が少ないので最後に1枚
スタート前なのにグロッキー状態の二瓶
写真はここに!

Special Thanks to,

  • Ishinomaki, Onagawa, Ogatsu and other Ju-min no minasan,
  • CRM Members of FM,
  • So-Kantoku,
  • Megumi-tsuma and Hinano chan,
    And also, O-en shite kureta Unyo-Bu no minasan.

(了)