その名も宝島。
鹿児島県吐噶喇(トカラ)列島の最南端に位置する離島で奄美大島まで90km。
鹿児島港から口之島、中之島、諏訪之瀬島、平島、悪石島、小宝島、宝島と続く各島には空港が無く、十島村営船の「フェリーとしま」のみが移動の足。鹿児島港から各島を通って宝島まで南へ約345km、所要12時間半。奄美大島とは3時間。
フェリーとしまは週2便(繁忙期のみ週3便)の運航なので台風シーズンなど荒天でフネが出なければ5日くらいは軽く足止めされることを覚悟しなければならないまさに「宇宙よりも遠い場所」で有る
<宝島の概要>
- 周囲 14km弱(富士五湖の西湖の周囲が約10km弱)
- 人口 148人(H27国調)
- 公共施設:宝島出張所(コミュニティーセンター。乗船券はここで買う。売店とガソリンスタンドを併設)、宝島診療所、宝島小・中学校、郵便局、共同浴場「宝島友の花温泉保養センター」(火曜と土曜の夕方のみ営業)
- 無いもの:交番、消防署、食堂、床屋、道路の信号など
キャンプ場は北部、港の東側に大籠キャンプ(海水浴)場が有る。食事は民宿に泊まれば3食付き、キャンプ自炊の場合は食料を持参する必要がある。売店は有るが朝夕1時間のみの営業、もちろん売り切れれば無くなるがビール、ジュース、加工食品、菓子、日用品など簡単なものは買うことが出来る。
いつ宝島へ行けるだろうか?
構想17年、好機は突然訪れた。平成から天皇譲位を挟んだ2019年のGW10連休である。
この季節ならまだ台風は発生しない。
沖縄から来る長老とスケジュールを合わせると何と宝島で出逢える日が有っ た!
<「宝島集合」と言う無謀にも奇跡的なスケジュール>
元号
|
平成
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令和
| ||||
↓From
|
4/29
(木)
|
30(金)
平成最終日 |
5/1(土)
令和初日
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中略
|
5/4
(土)
|
5
(日)
|
沖縄
長老
|
那覇→
鹿児島移動
鹿児島港
2300 フェリー発 |
1130
フェリーが
宝島着
キャンプ場
設営 |
1140発
奄美
名瀬港 行き フェリー で 一緒に 移動 |
明け方の
フネで 那覇へ 帰る | ||
東京組
|
羽田→奄美、
レンタカーを 借りて 買い出し |
0200
奄美名瀬港 フェリー発
0500
宝島着 めでたく合流 |
飛行機で
東京へ 帰る |
天皇陛下のお陰でともかく宝島3泊(長老は4泊)と言うプランが出来上がった。
GW期間中と言うこともあり早速奄美のじんちゃんにレンタカーの手配をお願いし、軽ワゴンを押さえることが出来た。食材や飲み物を奄美大島で買い出しし、荷物を積んだままレンタカーをフェリーに載せる作戦だ。
フネ(フェリーとしま)は十島村の持ち物だが、下り鹿児島発奄美名瀬行きは中川運輸社、逆の上りは里見海運社が運送代理店になっている。このことを理解しないとスムーズな予約や問い合わせが出来ない。もちろん村民の足なので贅沢は言わないが、パンフレットやホームページにもう少しわかりやすく書いてあったら観光客ももう少し行き易いだろう。
困難を乗り越えつつ勝ち取った令和元年初日の車両積み込み票。車はワゴンR |
名瀬港でフネに車を積むのは出港前日夕方(概ね16時頃)か当日の01時10分〜50分。
人が乗れるのは前日18時〜21時か当日の01時10分〜50分。乗船場所はただの岸壁で待合所も何もないから難儀である。乗る前に晩飯を喰うなら名瀬市街の繁華街へ徒歩30分。
フェリーとしま2は先代に代わって昨年就航した新造船で船内外ともにピカピカ。ちょうど改元時期だったので、こんなサービスも。今回奄美名瀬からは、平成最終日4/30夜に乗船し船内で改元を迎えて、令和初日5/1に出航しております!
さてさてようやく宝島に上陸。
まだ真っ暗な朝5時、激しい風雨の中での下船。右も左もわからずとりあえずキャンプ場方向へ車を走らせてしばらくすると黄色のポンチョの住人?ひとり..何と迎えに出てくれた長老であった!奇跡的な邂逅、お迎えありがとう!
早速テン場へ案内してもらい明るくなるのを待つ
5月1日(水)令和元年初日 月齢25.8 長潮 干潮11:20
天候 夕方まで嵐、18時頃から快晴
夜が明けて来た初日のテン場、吹き飛ばされ寸前。後方のイマキラ岳(標高292㍍)さえ雲が掛かっている |
まずは再会の一杯(事情有って献杯)のあと朝飯を喰い、雨なら今日は雨プロで仕方ない、明日からのアクティビティに備えて島内の下見に出ようとするがなかなか小降りにならない。結局早めの昼食うどんを喰ってから島に繰り出す
- ハート型の島で中央上が宝島集落。港から近く、すべての公共施設や民宿はここに集まっている。住民の家も全部この辺で高台に有る
- 我々のキャンプ場は右上の○印。島唯一の海水浴場もここで、水洗トイレ、水シャワーとビーチハウスが有る
- 中央のイマキラ岳は宝島最高峰で頂にトカラ馬型の展望台が有る
- 左上の女神山は神聖な山で人が近づくことは少ないと看板に書いてあったのでその通りに今回は遠くから眺めるのみ
- 女神山から左大回りで行き止まりの道にはトカラ観音堂が鎮座する鍾乳洞(キャプテンキッドが隠した財宝は多分ここに)と、大間泊と呼ばれるダイビング&釣りポイントが有って、今回はここに通うことになった
- 右下の荒木崎は灯台がありそのアプローチが牛の放牧場。ここはまるでジュラシックパークか北海道か、と言うワイルドな景色。暖かい知床半島みたいで、とても南の島の景色とは思えない
- 右側の堤防は宝島港で前籠港の補完港、冬場などたまに使われているとのことだ。堤防が大きく高すぎてわしらの釣り道具では歯が立たない
- 左上、女神山の左側に有る放牧場は大原牧場で、牛1頭に1羽のアマサギが居る。女神山の北側を通る時に、神聖なる女神山の全景を拝むことが出来る
ともかく初日のパトロール(下見)は嵐の中だったので道は川、がけ崩れが怖い箇所も幾つか有った。
釣りの獲物がない今日は骨付きソーセージと野菜を焼き、令和元年初日なので謹んでお赤飯を喰う。
18時過ぎから悪天候が晴天に豹変し、晩は満天の星空になった。初日の内に嵐は去った!
5月2日(木)令和元年2日目 月齢26.8 長潮 干潮11:52
天候 快晴
快晴の朝は気持ち良い。早速ビールを呑み、白飯にポーク玉子、サラダの朝飯。弁当用にサンドイッチも作る。釣り道具と弁当、ビールと水を持って、11時頃から大間泊で泳ぎと釣り
1匹目のミーバイ。この魚はめちゃくちゃ美味い。この日は5匹ゲット。煮付けにして喰った |
出がけに前田敦子似のシュンくんママ(トレラン&ウルトラマラソンランナーのアスリート)に「魚が釣れたらお裾分けします」と約束をしてしまったので小振りな2匹を味噌汁にして出す
東京から寝袋にくるんで大事に運んで来たマッカラン12年1本、黒糖焼酎は1升とじんちゃん差し入れの四合瓶、ビール1箱に低糖発泡酒6本と酒は大量に有る
満天の星空の下、焚き火を熾して酒を呑む。シュンくんファミリーは嵐で3日間民宿に閉じ込められていて(その間は奥さんも走れず)テント2泊後民宿1泊、奄美大島へ渡って更にホテル3泊と、世捨て人なんだかリッチなんだかわからん家族。翌日5月3日は長老の誕生日なので、パーティーがてら朝飯を一緒に喰いましょう、と別れて寝る。
漆黒の夜空。座っているだけで視界の端っこを流れ星が時々行き過ぎる
5月3日(木)長老の誕生日 月齢27.8 中潮 干潮12:22
天候 快晴
快晴の朝は気持ち良い。早速ビールを呑むが長老誕生日の今朝は忙しい。誕生パーティー用にケーキを焼かなければならないのだ。売店にホットケーキミックス粉が売っていたので昨日買って来てある。
まず卵アレルギーが有るシュンくん用に卵抜きのパンケーキを焼き、プチトマトで鼻と頬、アーモンドで目、きゅうりで眉毛と口を作ったアンパンマンケーキを渡す。
続いて大人用は卵入りで、4枚焼いて重ねて、チョコを湯煎した。
キャンプ用スーツケースの中に与論キャンプの残りなのかケーキ用ローソクが5本有ったので大1本(50歳用)、中1本(やや短めにカット10歳用)、小(半分にカット)4本に切り分けて長老64歳パーティーをやった。シュンくんと長老一緒にローソクの火を吹き消した(誰も写真を撮っておらずケーキの写真は無し)
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♩今日のフェリーとしまは鹿児島港を23時に出航します♩
との防災宝島村内放送が流れ、乗船券は今日17時までまたは明日8時半からフェリーが小宝島を出る前に購入せよとのこと。明日フネは来る、奄美大島へ戻れる事は決まった。もしこのフネが出ないとキャンプ延長最低あと2日でGW中に帰れない。
さぁ喰え!
長老のルアーにちょっかい出した魚も居たが結局はミーバイ2匹止まり。小ぶりなのがあと2匹釣れたがバケツをひっくり返して逃してしまった。魚を捌いていると高校生集団がやって来てヤバイヤバイとか言ってる。翌日フェリーとしま入港の時に長靴を履いて手伝いに来てたから、こんなので集まったヤングだろうか?
納竿後、まだ明るく晴れているので、改めてイマキラ岳山頂へ登ることにした。山頂にはドコモのアンテナとトカラウマ型の展望台が有り360°見渡せて(ドコモのアンテナが邪魔)、名画キャスト・アウェイさながらの絶海の孤島感を味わうことが出来る
ドコモと言えば前身の電電公社は沖縄の日本返還に合わせて新生沖縄県民にNHKテレビを観せようと、鹿児島から沖縄まで吐噶喇列島の島々に中継設備を置きマイクロ波を水平線の向こう側へ送った。その難事業は今でもNTT技術資料館に残っている。
宝島もそのルートに入っているが今は海底光ケーブルが代替する。
その引き上げ口が、キャンプ場に有る大籠海岸に有った
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むき出しなので足が引っかかり蹴つまづく。島民のインフラなのに心配だ |
サンセットは見事だったが1時間間違えて済まナンダ。
ミーバイとウインナーを炭火で焼きソーメンチャンプルーを喰らう
3晩続いての漆黒の満天星空(外洋の黒潮で海も黒いので、夜空と夜海の境目は見えない)を見慣れてしまった贅沢。焼酎が空になり北斗七星が下がってカシオペア座が観え出すと23時も近く、眠る時刻。少し残ったマッカランは明日の為に残す
5月4日(金)奄美大島へ戻る日 月齢28.8 中潮 干潮12:53
天候 快晴
朝から個々に撤収に入る。
フネの出港は11:40、撤収完了目標はフネが悪石島を出る9:40に設定した
朝メシは昨夜のソーメンの残りを博多豚骨スープで。
昼の弁当はちょうど6枚残った食パンでサンドイッチと、3個残しておいたゆで卵にオレンジ1切れずつ。これで調味料を除けば、非常用のカップラーメン3個とサトウのご飯3個だけが残った。野菜も全て喰い切った。キャンプ中毎朝レタス・キュウリ・トマトのサラダを喰うという健康に配慮したキャンプメシ。
未消化物は宝島の宝箱と称して、奄美大島で会うじんちゃん家へのお土産にした
途中朝メシを挟み9:20に撤収完了
11時に港へ行く目標で、心残り無きよう、今一度主要ポイントを周る事にした。
まずトカラ観音堂へ行って宝島での無事感謝と、道中最後までの安全を祈願する。
続いて奥の鍾乳洞に、あわよくば金貨の1枚でも、と突入するが水と滑りで10㍍ほどで追い返される
最後は泳ぎと釣りを堪能した大間泊で別れを惜しむ
道中の無事をありがとう、女神山 |
やがて時計は11時を回り、フェリーとしま乗船に向けて港へ移る。
クルマを積みヒトが乗り、フェリーとしま船内は怠惰に過ぎ、40分早く奄美大島名瀬左大熊岸壁に着いた。同じフネに乗って来た山羊島観光ホテル3泊のシュンくんファミリーがタクシーで去る
移動倉庫の役割を終えてフェリーとしまに積まれたワゴンR |
さて、ブルーな課題が残された。
奄美大島から宝島へ向かう前日の晩(4/30の晩)、名瀬の飲み屋で奄美大島龍郷安木屋場渡連キャンプ場オーナー荒田さんの逝去を聞かされて居たのである。そんな事とはつゆ知らず、4/30 14:10にのこのこと無人のキャンプ場を訪れ、宝島キャンプで使う鍋を失敬したのだった(そもそも今日の晩はそこに泊まろうと予約もしていたのだ!)
名瀬のイオンで仏花と線香を買いながら(じんちゃん母が新聞をめくって見つけてくれた訃報記事に記載の)喪主へ電話した。電話を受けた女性に代わった氏曰く、胃がんから最後は肺がんだったそうだ。花を手向けたいのでキャンプ場への立ち入り許可を請うと快諾してくれ、入口にロープが張って有り無人だが、入って右側の白い建物の前にお線香をあげられる場所が有ると聞いた
行ってみると確かに遺影と線香立てが有った。
4/30 14:10に来た時は遺影のすぐ横のドアを、開いていないかとガチャガチャやったのに気づかなかったのだ!
荒田さんに読んでもらえなかった4/30 14:10の書き置きを回収して、営業再開したら連絡して欲しい旨のメモを残した
荒田オーナー、さようなら! |
- あやまる公園でじんちゃんに宝箱を渡す
- トミーを空港へ送る
- 翌朝5時の長老乗船を見送る
長老はこの宝島キャンプの旅で、まるでNTTのマイクロ波中継のように鹿児島港から吐噶喇列島経由那覇港までのフェリー完全走破を達成した。鹿児島から宝島、奄美大島から沖縄那覇、それぞれ12時間以上運搬され大変お疲れ様でした!
(了)