2021年12月 初冬の奥津軽彷徨記
<初日>
八甲田山死の彷徨から学ぶこと
東北新幹線はやぶさはたった2時間58分で我々を新青森駅へ運ぶ。
新青森駅は駅前にビジネスホテルとレンタカー屋しかない、よく有るタイプの新幹線駅。
レンタカーを借りてまずは「八甲田山雪中行軍遭難資料館」へ向かう。
1902年(明治35年)1月、八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難し、青森歩兵第5連隊の訓練参加者210名中199名が死亡した悲劇。
同時期に少数精鋭で行軍を成功させた弘前31連隊と、リーダーの在り方や行動の是非が比較され、MBA教材にも取り上げられているノンフィクション。
資料館では係の方の丁寧な案内を聞き、隣接の墓地を御参り。彼らが雪地獄を彷徨した辺りは、あれから約120年経ちクルマで走れる今でも吹雪けば通行止めになるそうだから、白い八甲田は恐ろしいままだ。
積雪の中、立ったまま仮死状態で発見、蘇生された後藤伍長 |
続いて並びにある八甲田神社で御朱印。
16時からのテレワークに備えて青森駅へ移動。旧青函連絡船八甲田丸を外から見物。
途中で酒を買い込み、津軽半島の西側に位置する津軽中里へ向かう。
津軽中里駅は津軽五所川原駅から始まる津軽鉄道の終点で、民鉄最北端駅。
今日の宿は中里の坂田旅館。16時半には真っ暗になった。冬の北方は夕方4時には移動を終えていないと危険な目に遭いそうだ。
本日の坂田旅館は貸し切り。広間でゆっくり晩酌と夕飯。
<2日目>
エセ太宰
昨日間に合わずに寄れなかった「斜陽館」。ここまで来たら寄らないわけには行かない。
7時に朝飯、8時チェックアウト。
津軽中里駅を8時26分に発車する津軽鉄道の列車「走れメロス号」を見送る。撮り鉄1名見参。12/1からストーブ列車が始まっている。
津軽中里駅の隣は「ふこうだ(深郷田)」駅。これから斜陽館へ行くには最高のネーミング。
斜陽館の開館は9時。目の前に出来ていた新しいローソンでコーヒーを飲んで開館を待つ。
中に入り係の方の説明を聞く。もの凄いお屋敷。沢山の小作を使い半分のコメを上納させ、金貸しもやっていた当時「青森県第4の金持ち」。
太宰自体は11人きょうだいの10番目、6男。当時の6男坊なんてのは教育を受け終わったら自分で糊口をしのぐしか無かったに違いない。
一時期は旅館として使われていたそうだ |
今回の津軽旅に向けては、太宰ゆかりの三鷹跨線橋と墓を巡り、著書からは「津軽」と「女生徒」を読んでおいた「エセ太宰」。
説明してくれた係の女性に持参の三鷹跨線橋の写真を進呈する。マントを着て書斎写真も撮る。全く以てエセ太宰である。
津軽海峡冬景色歌謡碑
中里から津軽半島西側を北上する道路は既に冬季通行止めで迂回路は半島東側。
斜陽館を出て中里方面へ戻り、十三湖の手前でやまなみラインに入る。
この道は半島の東西を結ぶ生命線として融雪設備も整っている。半島の真ん中に高い山が無いので峠越えは楽、道幅も広い快適な横断道路。
やがて左折して北海道新幹線奥津軽いまべつ駅。
新幹線駅とJR津軽線の津軽二股駅、道の駅が同居する巨大モニュメントが荒涼とした土地に突然現れる。
海峡線(青函トンネル)は新幹線よりも貨物列車が頻繁に行き来している。
ほどなく青函トンネル広場。ここでは青函トンネルに入る/青函トンネルから出て来るはやぶさを見ることが出来る。タイミング良くほんの数分間で上り18号と下り5号が通過した。雪が舞い始めたがはやぶさ接近の時は小降りになった。色々とラッキーだ。
右が青函トンネル。東京へ向かうはやぶさ18号が出て来たところ |
更にクルマを北上させると、太宰が「鶏小舎」「本州の袋小路」と書いた津軽半島ドンツキの竜飛集落。住まわれている方には失礼ながら本当に寂れている。有名な港を抱える向かいの下北半島大間岬よりも相当寂れ度が高い。
太宰が書いてから約80年、斜陽館のお屋敷から見たら鶏小舎。でもきっとその頃から風景は余り変わっていないのだろう。
展望台方面に坂を上がると有りました!
石川さゆり「津軽海峡冬景色歌謡碑」!
津軽海峡越しに遠く北海道を見渡す崖沿いに建つこの歌謡碑には歌詞が掘られている以外に何と、ボタンを押すと曲が大音量で流れると言う仕掛けが付いている。
早速ビデオを用意してボタンを押すと度肝を抜く超大音量。風の音に負けないようにしているんだろうけど、我々3人しか居ない殺風景な地に流れるイントロはさながら暴力的だ。
唄は2番から始まります 動画 |
更に上がると階段国道「上」、そして灯台。ここは360度のパノラマを楽しめる。この日唯一の、我々以外の観光客とすれ違う。今この広大な岬にたった7人しか居ない。
気候の良いときに来れはバイク乗りとか一杯居て混んでいるんだろうけど、歌謡碑の津軽海峡冬景色は独り占めして聞きたいものだ。寒い地へは寒いときに行くに限る。
そもそも津軽海峡「冬景色」なんだからここで冬以外に聴くのは邪道にほかならない。
新幹線が真下を通る龍飛崎温泉 ホテル竜飛(この地は龍と竜、崎と岬がごちゃ混ぜで厄介だ)併設のレストラン海峡で鍋焼きうどんの昼飯。寒さを腹の中から暖める。
ホテルのロビー内にある測量基準点鋲 |
山を降りて海岸線へ。果てから順に「階段国道『下』」「龍飛岬郵便局」「太宰治文学碑」。
竜飛岬でやることはすべてやったので往路をトレースして半島最終課題の三厩駅。
ここはJR(津軽線)の半島最北端駅。ここも寂れ感甚だしい。
ちなみに営業係数(100円稼ぐのに幾ら必要か、を示す数値。100未満なら黒字。JR東日本としては公表していない)は恐らく2000円超えの超赤字路線。
かの宮脇俊三先生も来られたのであろう、最果ての三厩駅 |
新幹線が出来ると並行在来線は廃止か3セク化の運命を辿るが、津軽線はそのまま存続され生き永らえている。これは、新青森以北の新幹線はJR北海道、津軽線はJR東日本と管轄(お役所)が分かれている為です。
八戸の夜
240km走ったレンタカーを返し、八戸へ移動。盛岡以北のはやぶさは指定席を取る必要は無く、空いている席に座れば良い。八戸駅でまたもレンタカー。本八戸のホテルにチェックイン。市街の居酒屋で飲み放題とイカ攻め。
八戸はイカ、鯖、鶏の街だ。
2軒めでふらりと入ったカラオケ。文子(フミコ)ママの好みは宇崎竜童だった。
一期一会、お世話になりました。
<3日目>
突撃!カオスワールド
ホテルを0630にチェックアウトして館鼻岸壁朝市、カオスな巨大朝市で買い物と朝飯。中々の規模。朝飯はそばをチョイスしてトッピングは揚げ餅。喰いすぎたけど美味かった。
散策しながら昆布、ふのり、にんにく、ブーメランなどを買う。
にんにくは後の八食センターよりもかなりお買い得だった。
お次はウミネコの営巣地で有名な蕪嶋神社。しかしウミネコが渡って来るのは2月半ばとのことで、今は不気味なほど綺麗で静か。
全焼から再建した本堂でお参りと御朱印。すべてはやがてウミネコの糞まみれになる。
全焼から再建なった立派な本堂。霊験あらたか(の筈) |
帰路のはやぶさまで時間が有るので三沢基地へ足を伸ばす。基地ゲート前のスカイプラザ。コストコ商品や払い下げ品も置かれるプチ・アメリカ。米兵も住むせいかどこかキリッとした印象を与える街だ。
ダイエット・ドクター・ペッパーを飲む。東京でも普通に売って欲しいものだ。
何となくシュッとしている |
八戸へ戻って八食センター。追加の買い物に昼飯。ガソリンを入れてレンタカーを返し、帰路のはやぶさのヒトになる。
昨日最果てに居たのが嘘のように、あっという間に東京へ運ばれて、今回の最果ての保守探訪の旅も無事に終了。また行きましょう!
津軽の皆様、色々とありがとうございました!
(了)