サンシャイン60ビル26Fでも生命の危険を感じたあの大地震から間もなく5年。
この間に仙石線はつながり石巻線の終点女川駅は高台へ移って運転を再開し、常磐線は少し延び、常磐自動車道も国道6号線も通れるようになった。
しかし違和感がある。
それは津波そのもので生活を失った被災者たちと、津波起因にしろ危険なものを運転していて世界最大級のメルトダウン事故を起こした1F(福島第一原発)のせいで生活を失った被災者たちとは違うと言うことだ。
富岡町〜大熊町〜双葉町から浪江町へ至る国道6号線は2014年に通行制限を解除したが、未だに両側にはバリケードが続き、帰還困難区域となり町自体が放棄された異様な光景が連なる。
15年12月には、バリケードの中に有った双葉町の飾り「原子力 明るい未来のエネルギー」看板も撤去された。
原子力安全神話はもろくも崩れ去ったが、なお一層悲劇的なのは1Fの現状について、1Fを取り巻く町と人の今後について、1Fの廃炉の進み具合について、なにひとつ易しい説明がされないと言うことだ。
このことは東京電力のホームページを見るとよく分かる。一応「状況について(日報)」などとしおらしく書いているが、
- たくさん書いておけば面倒がって全部読むまい
- すべて情報開示した風にしておけば世論を黙らせられる。
- 仕方なく専門用語で情報開示しているので、意味がわからないならそれは読む側が悪い
見え見えである。
廃炉には30年も40年も掛かると聞く。
その間、民衆を愚弄し続けるのか。やがて世代が変われば世論は変わると思っているのか。
確かに完全復興は次世代に託される。もしかすると3.11には生まれていなかった世代が中心になるかも知れない。
- 2011.3.11にフクイチで本当は何が起きたのか
- 日本は世界の中で何を失ったのか
- 政府や東電は幾つ嘘をついたのか、騙したのか
こっぴどいしっぺ返しを喰うのは、近い将来のニッポンである。
この5年間の、真っ当な振り返りを政府と国民はきちんとすべきであろう
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看板だけが残って店は無くなってしまった。看板だけが見事に綺麗なまま立っていた (帰還困難区域では無い南相馬市小高区 2016.3.5) |