2012年4月19日木曜日

秘技

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2012年3月17日土曜日

2012年1月28日土曜日

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(3)


シリア面白話①

シリアの紙幣には銀行のスタンプが押してある。ダマス滞在中に妹がJICAの給料を貰って来た。
100US$札が数枚あったが1/3ほどが偽札だった。

かつて精巧なコピーを誇ったSuper-Kなら我々一般人にはわからないが、明らかに紙質がヘボく、しかも印刷が曲がっているので一目瞭然で偽札である。でも銀行のスタンプは同じように押してある。即ち「偽札も普通に使える」のだ。
が、さすがに使えるのはシリア国内だけ。よってシリアにおける偽札は「ババ抜きのババ」みたいなもんで、掴んだら出来るだけ早く使ってしまわなければならない。
「あと何枚か有るからお兄ちゃん、交換して」と妹からtanakabuchoの手に移ったババは合計10枚ほど。これらはハイヤーの運転手やアレッポのホテル代などに還元させて頂きました。
駐在者は余り旅行など行く機会が無いから、偽100US$の使途は悩みの種らしい。
ちなみにシリアの正式通貨はシリア・ポンド。軒並みくしゃくしゃの札で、経済の疲弊を感じさせる。
しかしさすが悪の枢軸国シリア。北朝鮮ももっと真面目に偽札を作りなさいね(1998年当時の実話です)
(続く)

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(2)


12月9日~10日 アレッポ観光

アレッポの名産品はオリーブ石鹸だ(沢山買い込み過ぎて、後に帰り便の手荷物が重くて苦労することになる)。
アレッポはダマスにつぐ大都市で、ヨーロッパの入口、トルコに近い。

シリアは社会主義国でスーパーマーケットのようなものは無いので、買い物はスークと呼ぶ市場、または雑貨屋(ドカーンと呼ぶので笑える)で買うしかない。

アレッポの巨大スークに迷い込むともう異次元だ。迷路のように細い路地が続き店がひしめく。ロバなんかも普通に連れて入って来るので我々からすると日常が阿鼻叫喚である。
日本人を見かけると、オートーマキマキオートーマキマキと店員の青年たちが歌いだした。良く聞くと「糸巻き巻き糸巻き巻き引いて引いてトントン・・・」の歌だった。JICAやODAの日本人から教わったんだろう。嬉しい瞬間だ。

ホテル名は失念したが、市街中心部の綺麗なホテルに泊まった。
ベルボーイは我々を部屋に案内した時に「私の英語がpoorで済みません、私はクルド人なので」と流暢な英語で言った。
知らない世界に来ていると言うことを実感する瞬間である。

アレッポ城は高台に築かれた広大な城で、外周を回れたように思う。
ひとりだけ離れて歩いている時に、アラブ人2カップル集団とすれ違った。生意気そう(で金持ちそう)な♂に「マルハバ」と挨拶したら「トルコ野郎!(It's Turkish!)」と言いやがった。
マルハバはアラビア語口語体の、こんにちわである。むっとしたがそれだけでは引き下がらずにすかさず「アッサレームアレイクム」と返したら今度はハグして来た。
アッサレーム~はイスラム共通の挨拶で、「神の御加護のもとに」みたいな意味だ。

言葉を多少なり覚えていれば海外生活での安全度合いは高まる。
連れのLady達はグラマラスで美人だったがきっと今頃はジャンボになっていることだろう。

ホテルの窓からカルナック(遠距離バス会社)バスの車庫が見えたが、日本の成田・羽田空港リムジンと同じ車体・デザインだったのが妙に印象的だった。

アレッポから数十km北の街や城、モスクなどにも行ったのだが、残念ながら詳しいことは忘れてしまった。トルコ国境まであと30km位のところまで行ったんだけどね
(続く)

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(1)

tanakabucho一行シリア行きのスケジュールは確かこうだった。

1998年12月5日(土)バンコック0:30発アンマン行きロイヤルヨルダン(RJ)航空181便、アンマン着5:15(時差5h)。
その日は陸路国境超えでシリア・ダマスに入ったのが午後。SEMIRAMIS HOTELで妹と待ち合わせ。ここまでは既に書いた。
その晩から妹の家に泊まったはず。1F~半地下で3つ~4つ部屋が有る、古くて味の有る建物だった。

そこからはたぶんこんな感じだった。

  • 12月6日(日)ダマス市内観光とシリア人ウォッチング(アラブ人は余り面白くない。タイ人は面白い。このところ見て来たインドネシア人も面白かった)
  • 7日(月)運転手付ハイヤーを1日借り切って(100US$)、シルクロードのオアシスとして栄えた世界遺産「パルミラ」日帰り観光。ダマスから北へ200kmチョイのところ
    Palmyra Theatre - http://panoramio.com/photo/7004390
  • 8日(火)ダマス滞在
  • 9日(水)同じくハイヤーを1泊2日で借り切って(これも100US$(運転手の宿代含む))、アラブの北の果ての世界遺産「アレッポ」へ1泊観光。ダマスから約300km。あと60km北上するとトルコ国境。宿泊したホテル名失念
    【参考】旅行のクチコミサイト フォートラベル
    http://4travel.jp/overseas/area/middle_east/syria/aleppo/travelogue/10390904/
  • 10日(木)アレッポと周辺の観光後、ダマスへ戻る
  • 11日(金)朝8:00頃に妹と別れ、妹宅を運転手付ハイヤーで出て一路南下し、再度国境を越えてアンマンを通り越しぺトラ遺跡へ。
    国境を挟み距離約450kmと言う長旅(これもまた100US$)。ペトラ遺跡近くで予約無しで飛び込んだドミトリー、Petra Moon Hotel泊。5人用相部屋をちょうど貸切り。朝飯付5人で1万円以下だったはず。晩飯は近所のホテルへ食いに行った。結婚式をやってて日本人は珍しがられた
    General view of the Treasury. Petra, Jordan. - http://panoramio.com/photo/21705248
  • 12日(土)ペトラ遺跡観光。遺跡内の案内所で今晩のホテルを尋ねたところ、★★★★★のTaybet Zaman Hotel & Resortを紹介してくれた。最後の晩なので奮発して堪能した
    Taybeh - Hotel Taybet Zaman - http://panoramio.com/photo/7560170
  • 13日(日)ゆっくりとホテルをチェックアウトしてハイヤーを借りる。30US$くらいで交渉したと記憶している。死海に寄ったりしつつ、アンマン・クイーンアリア空港22:00発のRJ180便でバンコックへ出発14日(月)午前中にバンコック空港着。
    一目散に空港の日本料理屋へ行って「うどん」を喰った

--Details--

12月7日、パルミラ観光

シリアは男尊女卑のイスラム教国なので街中には女性はまったく居ない。ホテルもレストランも雑貨屋も係員や店員はみんな髭を生やした暑苦しい男である。
たまーに女性が居ると真っ黒な頭巾を上から下まで被っている(亭主以外に姿を見せちゃいけないんだと)。そう言うわけでまったくもって華の無い国である。

そこにtanakabucho一行である。
妹とその友達も連れているので「男tanakabucho以外は母親、女房、長女、次女、妹、妹の友達と言う男1:女6」と言うシリア人の男ども垂涎の一行となっている。
みんな羨ましそーぅに見てたので堂々と連れてゾロゾロと道の真ん中を歩いた。
しかしながらさばき方は結構大変で、レストランに入る度に「ミスター。ファーストマダムはどちらでしょうか?」とうやうやしく聞かれるので面倒くさいから年功序列で母親を1st.にしておいた。

パルミラは273年に陥落、廃墟になりその後放置されたとある。ダマスは世界一早くから人が住み始めた町、と言われているが、それにしても旧い歴史を持ったところである。
文明の源、チグリス・ユーフラテス川も今はイラク。
キャラバンの当時に流れていた悠久の時間は、近年になってねじ曲がってしまったらしい
(続く)