2017年2月21日火曜日

JR東京近郊区間途中下車無し大回り

JR東京近郊区間途中下車無し大回りをふと、やろうと思った。

「大都市近郊区間内のみをご利用になる場合の特例」
と言うのが有って、大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券で利用する場合は、実際に乗車になる経路にかかわらず最も安くなる経路で計算した運賃で乗車する事が出来る重複しない限り乗車経路は自由に選べるが、途中下車はできない。
簡単に言うと池袋駅から隣駅の大塚駅までは2分140円だが、山手線を逆回りに新宿→田町→巣鴨経由で大塚へ行っても140円。この大回り(一筆書き)を出来るだけ大きくして関東一円を乗り鉄旅しようと言うのが今回の狙い。

愛読書の宮脇俊三先生著「時刻表2万キロ」には遠く遠く及ばないが、身近な未達成感、不完全燃焼感みたいなものがずっとココロの片隅に有った。

スケジュールをあたると出張予定が無くなった2月18日(土)がぽっかり空いていた。
その前日は日帰り出張で大阪を往復した。東京駅~新大阪駅間552kmをのぞみは所要2時間半であっけなく走る。大回りはざっと計算して約700kmを17~18時間。始まると終われない耐久戦。
しかもtanakabuchoは撮り鉄でこそあれ乗り鉄では無い。

大阪から帰路の旧型のぞみ車内で考えた。明日を逃せば次の機会はもう暑くなっているかも知れない。汗だくの大回りは勘弁願いたいところ。しかし果たして、ケツと腰はもつだろうか。精神力をどこまで維持出来るだろうか等々…色々考えはしたものの結局のところ大回り走破のキュリオシティを抑え切れるはずも無く、のぞみが東京に近づくに連れて明日の大回りも確実に着実に決行へと向かったのであった。

家に着くと晩飯もそこそこに、大回り乗車プランをメモ帳に書き出した。
「三鷹駅スタートで1都5県を左回りの大回りで武蔵境駅がゴール、まず房総半島安房鴨川駅まで行く」ことは決めて有ったのでそこからの行程を時刻表とにらめっこして書き出した。
成東と我孫子が乗り換え時間1分で連絡がどうなのかわからないので、成東・我孫子で乗れなかった場合のBプラン、Cプランも作った。
大回り最長区間記録を目指したものでは無く、あくまでも色々な線に乗って三鷹~武蔵境を一筆書きで遠回りすることが目的なので「もっと遠回り出来るじゃん」的指摘はご勘弁下され

早朝、中央線 三鷹スタート
中央線で東京
→ 総武本線 東京→千葉
→ 内房線 千葉→君津→安房鴨川
→ 外房線 安房鴨川→大網
→ 東金線 大網→成東
→ 総武本線 成東→佐倉経由成田
→ 成田線 成田→我孫子
→ 常磐線 我孫子→友部
→ 水戸線 友部→小山
→ 両毛線 小山→高崎
→ 八高線 高崎→拝島
→ 青梅線 拝島→立川
→ 中央線 立川→武蔵境ゴール


書き出しを終えると皆さんからバレンタインに頂いたチョコを携行食とし、ペットボトル、充電池、サングラス、文庫本、競馬新聞、ポケット時刻表、小型メモ帳と筆記具を♪カバンに詰め込んで♪浮き浮きしながら寝た。既に小学生の遠足前日モードである。

そして翌日2017年2月18日(土)の朝

最寄りの駅を5:51に乗車。一旦三鷹駅で改札を出て140円区間の切符を買う
発券時刻は0612
中央特快で東京駅。御茶ノ水~総武線~錦糸町から乗車でも良かったんだが万一最初からトラブっても何なので、当初想定通り東京駅地下ホームへ行く

東京0718発快速君津行き。千葉駅で始発電車に乗り換えられるが、空いてて座れているので終点の君津まで行った



君津で館山行、館山で安房鴨川行きに乗り換えて、安房鴨川に1055着
乗り換え待ち時間も適度で至極順調である
 安房鴨川駅。館山辺りからかなり暖かくなった。菜の花は満開に近く、ソテツやフェニックスの木も見え始める
安房鴨川駅までは内房線。ここから外房線。安房鴨川行きの特急わかしおは外房線経由
 安房鴨川駅では2分の待ち合わせで外房線が発車する。大網まで行って東金線に乗り換える


廃墟の行川アイランドには駅が駅名もそのままに残っていて律儀に列車は停まる。しばらくジャングルの中を走る。外房線は面白い。途中の上総一ノ宮駅到着がちょうど1200。携行食を喰いながら前進あるのみ。大網は4分の接続だが外房線ホームと東金線ホームはかなり離れているので油断せずに乗換えを急がなければならない
遠くに見える高架が外房線、こちらは東金線(共に高架ホーム)
東金線には大荷物を持った若い男女がたくさんグダグダと乗っている。途中、求名(ぐみょう)と言う周りに何も無くわけがわからん難読駅でみんな降りた。何が有るのかとGoogle Mapで調べたら城西国際大学だった。
すさまじいナ、今の大学のキャンパスのど田舎化は..
成東→総武本線佐倉経由成田→成田線で安孫子、1分の乗換えで向かいのホームに来た水戸行きに飛び乗り友部から水戸線で小山。ただの電車乗継でこの辺りまったく面白くない。
やがて後半の白眉は両毛線。一度両毛線に乗ってしまうとJR線とは交差しないので140円大回り途中下車不可組としては終点の高崎まで行くしかないと言う覚悟の路線。所要1時間47分。
小山に16:56着、待ち合わせ時間は6分。小山駅到着間近の両毛線車内ではこれからtanakabuchoが乗ろうとしている1702発の乗換え案内アナウンスは無く、1735発だと言ったので不思議に思った。時刻表を見直しても確かに1702発が有る。
両毛線ホームへ移動する途中でようやく有った売店NewDaysでビールとパンを急いで買い、最後は両毛線ホームまで走った。乗ると間もなく発車した。両毛線のホームまで遠いが故に1702発の乗換えアナウンスをしなかったようだ。
小山駅は「両毛線だけホームが遠い」。要注意だ。
両毛線も電車。今日はここまで全部電車で正直なところロマンや風情が一切無い
両毛線車両はクロスシートで無くロングシートだが、どうせ両毛線なので遠慮なく缶ビールを開けて菓子パンを喰った。良い気分になっていたら両毛線乗車の最大の目的だった秒速5センチメートル「桜花抄」岩舟駅と戦隊モノの聖地岩船山をやり過ごしてしまった。今日初の失態である。
足利駅で小山行き115系湘南電車と上り下り交換したので(岩舟まで戻ろうかな?)と一瞬考えたが今日は一筆書きでないと140円を守れないことを想い出し、後ろ髪をひかれる想いで高崎駅へ向かって前進した。陽も暮れた。まさに前進有るのみ、である

高崎着18:49。三鷹駅を朝乗ってから12時間余りが経過した。これからの予定は、
19:03 八高線 高崎駅発
20:28 高麗川駅着
20:43 同 発
21:10 拝島駅着
21:32 同 発
21:44 立川着
21:48 同 発
22:03 武蔵境着
だった。
が、正直なところ列車にはもう乗り飽きてしまった。房総半島一周と両毛線走破の両方を終えて目的を達成済みと言う思いも強かった。真っ暗で車窓も面白くなくなった。明日の朝も早いので一刻も早く帰りたいとも思ってしまった。

そう言ったわけで、路線としてはつまらないながら高崎線で大宮まで行き→埼京線武蔵浦和→武蔵野線西国分寺→中央線武蔵境と言うルートで帰ることに決定した。
tanakabuchoの出発を待っていた八高線の列車に別れを告げに行った。今でも悪いことをしたと思っている。どうか赦して欲しい
乗らずにごめんね八高線キハ110系くん
そう言うわけで味もそっけもない行程になった帰路。高崎→大宮は新幹線ならすぐだが、在来線だとひたすら長い
 武蔵境駅2129着、ミッションコンプリート!
終わって無効印を押して貰った140円切符
高崎名物だるま弁当はキティちゃんバージョンをチョイス。帰宅後喰ったが美味かった!
不完全燃焼は岩舟と八高線のふたつだが、これくらいは次回の課題に残しておこうか。


5時45分に家を出て21時55分帰宅、約16時間で662kmは平均時速41.375kmで結構速い。
1日は長い。実に有意義な140円1都5県を巡った1日で有った!
 (了)

2017年1月16日月曜日

2017.1.15岩舟駅ロケハン

岩船山は3.11で一部崩れてカタチが変わったそうです。あいにく雪は降っておらず。


岩舟駅を佐野駅側から。電話ボックスが省かれている以外は見事なトレース。



やっぱ雪の夜に来なきゃ駄目かね..2.17.1.15 日光輪王寺/二荒山神社御参りの帰りに立ち寄り

2016年12月10日土曜日

2016ジブリ忘年会(2016年12月7日(水))

今年はバロッサをお借りして総勢約70名の大所帯。

http://a.scn.jp/pub/1yAak3J

投票結果
1位 トトロ
2位 おソノさんの旦那
3位 シータDX
年々クオリティが増すジブリ大会。いったいいつまでどこまで続くのか‥
なお3クール目放映を記念して今回は勇者ヨシヒコ一行も参戦。
ちなみに、
勇者ヨシヒコ 高森
ダンジョー ザキヤマ
メレブ 中山
仏 山谷
ヒサ 山田
ムラサキ なっちゃん(NA社)
皆さん今年もお疲れ様でした!

2016年11月8日火曜日

【HSN】2016初冬の入笠山探検隊


アルバム「2016初冬の入笠山探検隊」

思い返せば宏美さん入笠山初陣の2年前は雨で、星はひとつも観えなかった。
寿退職の送別会を入笠山のハウスで。宏美さん送別会@入笠山(HSN)は怨念にも似た「星空リベンジ」の使命をも帯びつつ、仲間たちは続々と参集して総勢10名の大軍団が結成された。

2016年11月5日(土)
富士見Jマート駐車場に11時集合予定。傷だらけ号、横濱号、TB号のクルマ3台ともみな優秀で10:35に集まり早速山登りに入る。首切清水で小休止の後に展望台へ。八ヶ岳連峰を最大級の青空が取り囲む。このまま天候がもってくれれば星空リベンジも可能なんだが..

今夜の星空に希望が持てるような青空と笑顔
 11時過ぎ、ハウス方面の細道へ入ると三澤さんの軽とたまたますれ違った。さっそく小屋へ連れて行ってくれる。天体観測の人が寝てるのでまずはその部屋以外、12畳×3部屋を借り切る。真ん中を宴会場、左右を男女部屋に分けてまずは荷物を運び入れようとしたその時!!

<第1話>ミサワ村突然の来襲
魔物が現れた!
我ら勇者ヨシヒコ一行に立ち塞がるように魔物が現れた!
メレブが呪文で応戦する
何の呪文を覚えたのか?
 どうやら呪文では倒せないようだ。ダンジョーが斬り掛かる!
ダンジョーのコスチューム、低予算で作り過ぎてボロボロ..
なかなか手ごわい魔物だ。ヒサとムラサキも心配そうに見ている。
ムラサキの肩には鳥も居る。両名完成度高し
こうなれば総力戦しかない。
右から魔物、ヨシヒコ、メレブ、ムラサキ、ダンジョー、仏
 どうにか魔物をやっつけた。しかし一安心したのも束の間!
祠(ほこら)の中に2匹目の魔物カンダタが居た!
(続く)



2016年9月22日木曜日

<3年連続出場&5名全員完走!>ツール・ド・東北2016

連続3回目の出場となる2016ツール・ド・東北。復興支援を目的に2013年から始まった同大会だが、我らは第2回の14年大会から参戦。
ここまでを振り返ってみると下表の通り、監督を除く延べ出場選手は12名になった(数字はkm)。

2014年大会(初参戦)

東雲の自転車を借りて初出場(初自転車大会)、緊張の面持ちで女川の町を走るtanakabucho。この写真はまだ20km地点、これから悶え苦しむ地獄の登り坂に幾つも遭遇することになる
2015年大会

津波で流された女川駅が高台に移って開通していた。前年14年のライドではまだビルが横倒しになったままの旧女川町内を走ったがこの年からバイパスに変わった。我がチームの100km参戦も始まった
そして今年もやって来た2016年大会‥
星野総監督と宮臺の初参戦に、何と170km南三陸フォンドに中山と宮臺が挑むと言う新たなステージを迎えた2016年大会。
中山傷だらけ号に二瓶、tanakabuchoローラ号に堀内、宮臺は諸般の事情で単独、そして総監督も諸般の事情で新幹線はやぶさ号立ち席特急券でそれぞれに向かった石巻。

2016年9月17日(土)
いわきまでは晴れていた常磐道を選んだローラ号は「ニッポンのチェルノブイリ」を未だ見ていなかった堀内ヒデキの社会科見学を兼ねて広野ICで降り、車でしか通過出来ない富岡〜双葉〜南相馬の国道6号線を北上する。
この区間は帰宅困難高濃度区域で「いちえふ(福島第一原発のことを今はこう呼ぶ)」のすぐ脇を通る。自動車以外、即ち歩行者・自転車・軽車両・原付・自動二輪車の通行は禁止されている。途中の信号はすべて黄色点滅、要は停車しないで走り抜けなければならない区間で、交差する道や家々の入口はすべてバリケードで封鎖されていてそこかしこに警備員や警官が立って居る。

この区間14kmの建物はすべて放置され片付けさえもされないからまるで営業中のように、そこら中に看板が出たままになっている。しかしパチンコ屋は傾きガソリンスタンドは廃れ、中古車屋の中古車も放置されて生い茂った雑草に埋もれている。ファミリーマートも1店舗放置されたままそこに残る。街道沿いの立派な家々も主を失ってただただ建ちすくんでいる。

ENEOSの看板は出ているが営業はしていない、片付けにも入れない区域。家々1軒ずつの前もバリケードで封鎖されている。この状態は6号線開通時から変わっていない

震災から5年6ヶ月。使い古された言葉だがここだけ時間が止まっている。
とは言え時間は進む。
今は建っている建物もやがて痛み腐り傾き倒れる。この街道沿いをすべて更地にして棄てる時期が来る。
6号線の開通は往来を良くしたが、何も手がつけられない現状をさらけ出したものとも言える。
もう取り外されて暫く経つが、tanakabuchoが再開通後初めてここを通った時はまだこの看板がバリケードの向こう側に有った。原発は雇用とカネを生み、地元を潤した。
長い期間に渡って恩恵を受けた住民も沢山居たはずだ
やがて南相馬で帰宅困難高濃度区域が終わると今度は原発事故でなく津波被害が大きかった地域に入る。シュウイチが住む南相馬だ。
東日本大震災
津波浸水区間
ここから
の看板とともに一面の枯れ野原に風景が変わる。野原には除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグと呼ばれるでかい黒い袋がまるで堤防のように積まれている。
南相馬市小高区に入る。何だか横浜市鶴見区のような政令指定都市風ネーミングである。
小高区に入るとようやくヒトの生活臭が漂い始める。すき家も現れる。
6号線を左に折れ、まだ不通区間の常磐線桃内駅〜小高駅間のサビサビ線路の踏切を渡って突き当りを右折、暫くして右折すると正面に小高駅。

シュウイチの家は多分これだろうと家のそばを巡回するが表札も無くシュウイチが居るかもわからずもちろん何の連絡もしていないので、とりあえず駅前のPに駐車し、tanakabuchoは再開業した小高駅を覗いて時刻表と乗車駅証明書を頂戴した。小高駅からまだ東京方面へは行けず、仙台方面も相馬駅までだ。


♫どこかで掛け違えてきて 気がつけばひとつ余ったボタン♫
はMr.Childrenの名曲「くるみ」
駅舎から出ると堀内が何やら地元民と親しげに話し込んでいた。近づくと紛れも無くシュウイチで有った!
聞くと①ツイッターを見ていた②そろそろかと外を見ると堀内らしきヒトが居た③後方に見える初心者マーク付きの軽バンが愛車④買い物は原町方面へ出なければ出来ない と言った状況だそうだが何しろ元気そうで良かった。何もお土産を持って来なかったことを侘びつつ、小高駅の証明書を見ての通り時刻は13時を回り石巻専修大学14:45集合に間に合わないばかりか星野総監督石巻駅着15:17にも微妙な時間になって来ている状況であることから(目的地まで何しろまだ130km以上有るのだ)、我々は惜しみつつも再開を約束して別れた。
来年はシュウイチもツール・ド・東北に出場するそうだからその時は同じ道を来てここでピックアップしよう。

3.11をtanakabuchoに書かせると長くなる。3.11南相馬市の犠牲者数は約1千人。これから行く石巻市は約3千5百人余が亡くなった。道中の町々でも多数の犠牲者が出た。津波は天災、原発事故は人災。5年6ヶ月経過。改めて合掌。

さてこのままでは間に合わないし紙面も尽きるのでペースを上げる。南相馬ICから再度常磐道に乗る。南相馬鹿島SAでなみえ焼きそばの昼飯。相馬、山元、亘理、岩沼、名取、多賀城、塩釜、利府、松島、奥松島と名だたる被災地を通過してやがて石巻。なみえ焼きそばは他のメニューより少々調理時間が掛かり、昼メシを喰い終わって南相馬鹿島SAを出たのが14時10分。あと110km、石巻駅での総監督迎えは10分遅れと目星を付けていた。

そんなこんなで総監督石巻駅ピックアップはおおよそ予定通りの15:20。マンガッタンライナー車両で運用の15:24発あおば通行きが総監督の到着と入れ替わりに発車した。

マンガッタンライナー車両の運用予定はわからないらしいから、偶然見られたのは相当ラッキーだ
15:50頃
相当早く着いて時間を持て余していた宮臺と受付で合流。キャンパスの軒下で雨宿りして傷だらけ号を待つ
16:20頃
傷だらけ号到着、受付を済ます。時間が遅くなってしまうので風呂はパス
17:00頃
コープみやぎで晩飯&朝飯の買い出し。宮城県限定販売ウィスキー「伊達」も買う
17:45頃
雲雀野駐車場着(相変わらず砂利)、タープを立てて宴会&仮眠場所確保
18:20頃
宴会開始

こうしている間も雨はずっと降り続く。天気予報を見る度に降水確率が上がる。 
とりあえずキリン秋味を開け鮪、烏賊、鯵などの刺し身を喰う。伊達の水割りも飲む。みな様々買って来た晩飯を喰う。銚子のちょうしたのサンマの蒲焼缶や魚肉ソーセージも喰う。
明日170km組は5:30集合、6時から順次スタート。4時起きで片付けて準備して遅くとも5時には駐車場を出発しなければならない。寝場所は傷だらけ号にふたり、ローラ号に監督、タープの下の寝袋に残り3人。たまに雨粒がtanakabuchoの顔に落ちて来てその都度目が覚めたがどうにか寝た。雨が吹き込んで寝袋は結構濡れた。せっかく持って行ったテントを立てりゃ良かったんだが、仮眠と言う事でどうかご容赦を。

写真はここに!

2016年9月18日(日)天候:雨
4時起床。雨が一時的に上がっている。この機にびしょ濡れのタープとブルーシートを手早く片付ける。ゴミを段ボールにまとめる。サイクルウェアに着替え、ゼッケンを付ける。雲古もする。
そうして5時。暗い砂利道ぬかるみの中をスタート地点の石巻専修大学に向けて漕ぎ出す。雨が降り出しやがて本降りになる。
全く以てこの駐車場は非道いもんで、足元は悪いわ遠いわ(駐車場からスタート地点まで9km弱をまず漕がなければならない)、津波が来たら一撃だわで、どうせならここをスタート地点にしてくれた方が手っ取り早い。
もっとも津波危険地帯だからここでのスタート/ゴールは無いとすれば、せめて駐車場を高台に上げてもらわないと、ライド中に津波に車をさらわれたらかなわんのよ。

雨が降り続く中、170kmのふたりはスタート列に並び、6:30に出発した。中山が所要9時間50分で16:20ゴール、宮臺がそれより少し早くて15:45位のゴール(所要9時間15分)だったからふたりとも本当に大したもの。
60kmの3人が9:20スタートでちょうど4時間後の到着だから、170km組の図抜けた速さがわかろう。改めて拍手!

コースの両脇に仮設住宅が並ぶ。仮設住宅に身を寄せているお年寄りが道端に出て来て旗を振って応援してくれる。仮設じゃなくとも、不便な生活を強いられているだろう住民のみなさんが声援してくれる。
「応援してたら応援されてた。」3年続きで応援されてしまいました(T_T)

今日は宮臺の大切なお妃と姫が、昨日の監督よりも1時間早い14:17分着で石巻駅へやって来る。今回の最大ミッションとなるお迎え係は監督だ。本来の計画は60km組と関係無くお迎えに行く計画だったが作戦を変更、ゴール済みの堀内・tanakabuchoを積んで一旦駐車場へ行き、宮臺と中山の車を回収してゴール地点の近くまで持って来ておくことにした。
監督は駐車場から宮臺号に乗り換えて、石巻駅でお妃と姫を積む。
残りの2台を堀内とtanakabuchoで運んで来て時刻は概ね15時。宮臺から15:30〜15:45の到着見込みとツイートが入り、ゴール地点へ移動して待ち構える。中山も宮臺からは遅れるものの30分落ちくらいで戻って来そうだ。まったくこのふたり、170kmをこのスピードで駆け抜けて来るとはまったくどうかしてる。

やがてふたりのゴールは対象的で有った。

これ以上無いヨロコビを体現してゴールする宮臺パパ
いつも以上にクールに「170km走って来ましたが何か?」的な中山
そう言う訳で中山の「人間の心を探す旅」は無事に終えた。
来年はアスリート澤田社長の参戦も予想され騒々しくなるかも知れぬ。
いったいtanakabuchoは次回何kmをどの自転車で走るのか?
その辺のことはまた少し先まで置いておこう。

二瓶の登場が少ないので最後に1枚
スタート前なのにグロッキー状態の二瓶
写真はここに!

Special Thanks to,

  • Ishinomaki, Onagawa, Ogatsu and other Ju-min no minasan,
  • CRM Members of FM,
  • So-Kantoku,
  • Megumi-tsuma and Hinano chan,
    And also, O-en shite kureta Unyo-Bu no minasan.

(了)