2012年1月28日土曜日

アラブ探検記/シリア・ヨルダン自遊自在(1)

tanakabucho一行シリア行きのスケジュールは確かこうだった。

1998年12月5日(土)バンコック0:30発アンマン行きロイヤルヨルダン(RJ)航空181便、アンマン着5:15(時差5h)。
その日は陸路国境超えでシリア・ダマスに入ったのが午後。SEMIRAMIS HOTELで妹と待ち合わせ。ここまでは既に書いた。
その晩から妹の家に泊まったはず。1F~半地下で3つ~4つ部屋が有る、古くて味の有る建物だった。

そこからはたぶんこんな感じだった。

  • 12月6日(日)ダマス市内観光とシリア人ウォッチング(アラブ人は余り面白くない。タイ人は面白い。このところ見て来たインドネシア人も面白かった)
  • 7日(月)運転手付ハイヤーを1日借り切って(100US$)、シルクロードのオアシスとして栄えた世界遺産「パルミラ」日帰り観光。ダマスから北へ200kmチョイのところ
    Palmyra Theatre - http://panoramio.com/photo/7004390
  • 8日(火)ダマス滞在
  • 9日(水)同じくハイヤーを1泊2日で借り切って(これも100US$(運転手の宿代含む))、アラブの北の果ての世界遺産「アレッポ」へ1泊観光。ダマスから約300km。あと60km北上するとトルコ国境。宿泊したホテル名失念
    【参考】旅行のクチコミサイト フォートラベル
    http://4travel.jp/overseas/area/middle_east/syria/aleppo/travelogue/10390904/
  • 10日(木)アレッポと周辺の観光後、ダマスへ戻る
  • 11日(金)朝8:00頃に妹と別れ、妹宅を運転手付ハイヤーで出て一路南下し、再度国境を越えてアンマンを通り越しぺトラ遺跡へ。
    国境を挟み距離約450kmと言う長旅(これもまた100US$)。ペトラ遺跡近くで予約無しで飛び込んだドミトリー、Petra Moon Hotel泊。5人用相部屋をちょうど貸切り。朝飯付5人で1万円以下だったはず。晩飯は近所のホテルへ食いに行った。結婚式をやってて日本人は珍しがられた
    General view of the Treasury. Petra, Jordan. - http://panoramio.com/photo/21705248
  • 12日(土)ペトラ遺跡観光。遺跡内の案内所で今晩のホテルを尋ねたところ、★★★★★のTaybet Zaman Hotel & Resortを紹介してくれた。最後の晩なので奮発して堪能した
    Taybeh - Hotel Taybet Zaman - http://panoramio.com/photo/7560170
  • 13日(日)ゆっくりとホテルをチェックアウトしてハイヤーを借りる。30US$くらいで交渉したと記憶している。死海に寄ったりしつつ、アンマン・クイーンアリア空港22:00発のRJ180便でバンコックへ出発14日(月)午前中にバンコック空港着。
    一目散に空港の日本料理屋へ行って「うどん」を喰った

--Details--

12月7日、パルミラ観光

シリアは男尊女卑のイスラム教国なので街中には女性はまったく居ない。ホテルもレストランも雑貨屋も係員や店員はみんな髭を生やした暑苦しい男である。
たまーに女性が居ると真っ黒な頭巾を上から下まで被っている(亭主以外に姿を見せちゃいけないんだと)。そう言うわけでまったくもって華の無い国である。

そこにtanakabucho一行である。
妹とその友達も連れているので「男tanakabucho以外は母親、女房、長女、次女、妹、妹の友達と言う男1:女6」と言うシリア人の男ども垂涎の一行となっている。
みんな羨ましそーぅに見てたので堂々と連れてゾロゾロと道の真ん中を歩いた。
しかしながらさばき方は結構大変で、レストランに入る度に「ミスター。ファーストマダムはどちらでしょうか?」とうやうやしく聞かれるので面倒くさいから年功序列で母親を1st.にしておいた。

パルミラは273年に陥落、廃墟になりその後放置されたとある。ダマスは世界一早くから人が住み始めた町、と言われているが、それにしても旧い歴史を持ったところである。
文明の源、チグリス・ユーフラテス川も今はイラク。
キャラバンの当時に流れていた悠久の時間は、近年になってねじ曲がってしまったらしい
(続く)

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