2011年6月2日木曜日

アラブ探検隊 ~シリア・ダマスカス到着~

ロイヤルヨルダン航空バンコック発アンマン行きはクウェート、サウジ上空を順調に飛んで、ヨルダンの首都アンマンに有るクイーンアリア国際空港に着陸した。荷物が出て来るのを待ちながらカートを探しに行くと、暗い眼をした青年が有料だと金額を言った。

詳しい単価やレートは忘れてしまったが、ヨルダンの通貨であるヨルダン・ディナール(JD)で払うと100円程度、US$だと2ドルとか、ともかく「ドルで払うと2倍」程になる。であって、これはここのみならず、アラブ探検旅行中、これからどこでも遭遇することになる。

カートを借りて荷物を積み、外に出てタクシーのドライバーにとりあえず「アブダリ・バスターミナル」と告げる。
どこへ行くのか? と聞かれたのでダマスカス、と言うと「ダマスカスへ行くドライバーが居るツーリストが有る」と言うので、バスターミナルでなく、そこへ運んでもらうことにした。

ドアに「Damascus」と書いてある町外れの民家のような建物の前に停まり、タクシーの運転手が話をしに行って戻ってきた。ドライバーが来るからここで待て、と言ってタクシーは去った。
10分ほど待っていると明らかに今起きたばかりの正統派アラブ人が埃だらけの毛布を持ってやって来た。車に乗れと言うので荷物をトランクに積んで乗り込む。tanakabuchoは助手席、家族は後部座席。埃だらけの毛布は運転席と助手席の間に置かれた。
黄色のBuickだったと思うが、幅広のアメ車で広くて快適だった。

料金は100ドルで交渉成立。「1回100ドル」と言うのもアラブの決まり文句だ。我々からすると100ドルで約200kmの距離を国境またいで5人乗っけて運んでくれれば飛行機よりは勿論安いし御の字だが、アラブ人から見たら相当の価値・金額だろう。
そう言うわけでアラブ旅行イコールUSダラー集めなので注意が必要だ。

古風な町並みが素敵なアンマン市街を抜けて、やがて車は砂漠の一本道に入り、国境に向けて北上する。
砂漠は砂ではなく砂礫が粒々で、ざらざらゴツゴツしたタイプだ。
車窓に見るものも何も無いが、道中にただひとつだけ、道路標識が有った。
「直進シリア、右折イラク」である。たまにイラクで日本人も犠牲になるが、彼らはそこを右折したに違いない。まったく南無阿弥陀仏な交差点である。

快適にとばしていたらどうやらスピード違反で捕まったらしい。ドライバーが降りて行き、警官と話し、しばらくして戻って来た。しかし例えばこの辺でHOLD-UPでもされたらイチコロだったなぁ。でもその辺はアラブよりむしろアメリカの方が危なかったりするんだろう。がめつさを除けば人は良いんだよなぁきっと、アラブ人は。

やがてドライブインが現れ、トイレへ行き小休止。ドライバーは後ろのナンバープレートを上げた中に有る給油口へ、ガロン缶から自分でガソリンを補給した。そしてドライブインの店でお菓子を大量に買い込んで車に積んだ。シリアで売るか卸すかするのだろう。

さて、いよいよシリア国境が近づいて来た。
シリアへ入るには緩衝地帯を通らねばならないから、陸路では車で無いと入国出来ない。
シリアへ近づいたのは一目瞭然で解る。アサド大統領のどでかい肖像画が道の両脇にずらりと並び始めるからだ(ちなみに今のアサド大統領は当時の大統領の次男)。
我々はこれから独裁者が君臨する社会主義国へ入るのである。

緩衝地帯前で一度パスポートと荷物のチェック。
国境で再度チェック。
イミグレーションは問題なく速やかに抜けた。ngaamが取ってきてくれたVisaのお陰である。
入国カードが硬い大きな紙(大昔の国鉄の硬券切符のでかいやつ)なので持ち歩きに難儀した覚えが有る。
ともかくもシリアへの陸路入国は割とあっけなく完了した。

シリア側の緩衝地帯を抜けて今一度チェックを受けた後、砂漠から徐々に町へ入って行く。
妹に電話をしたかったが今まで物理的に電話機が無かった。
その内、こじんまりとしたドライブインを見つけて休憩。電話機が有ったので電話を試みるが、結局掛け方がわからずに断念した。

このままホテルまで行けるのかと思いきや、ダマスカス(以下、ダマス)の街の中で「ヨルダンの車が入れるのはここまで」とドライバーに通告されると同時に群がってきたダマスのタクシー運ちゃん連中に勝手に荷物を出され積み込まれる。この「群がり」もアラブの日常茶飯事の光景だ。
大騒ぎしている運ちゃん連中から冷静に1台を選ぶ。

さて、ようやく妹と落ち合うホテルに着いた。
朝、アンマンに着いて、ダマスのホテル着は確か13時~14時頃だったか。ともかく旅前半の大冒険、陸路国境越え・社会主義国入りは無事に成し遂げた。

フロント(ここから先、店員や従業員はすべて男です)にMiss Junko Tanakaがチェックインしているかと聞くと、Yesと言って部屋番号を教えてくれた。

妹は、何の連絡も寄越して来ないが多分アンマンには着陸してるだろうはずの兄達にじれながらも、きっと来るだろうと早めにチェックインして待っていたらしい。
感動の再会の瞬間であったが、安堵でビールを飲んでしまったtanakabuchoはその辺の事を良く覚えていないのであるが。

【まとめ】
「2倍」「100ドル」「群れる男達」。初日に早くも3つのアラブ事情を学んでしまったのであった。

(続く)

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