2019年9月16日月曜日

ツール・ド・東北 6年連続6回目の完走

ツール・ド・東北(TdT)には2014年の第2回大会から皆勤賞で同じコースを走り定点観測を続けてきた。
初回参加の年、女川港に近い七十七銀行の建物はまだ横倒しになったままで道はボコボコ、いたるところに鉄板が敷かれていた。その鉄板の上を、滑らないように注意しながら自転車で走行した。
ライフル射撃場へ上がる道中最初の急な登りの手前右側には仮設住宅がずらりと並び、沿道でおばちゃんおばあちゃん達が「ここから登りだよー、がんばってー」と手を振って応援してくれた。
サングラスの奥に涙が滲んだ。
前年に使われた駐車場も仮設住宅に変わり、我々の駐車場は雲雀野埠頭とやらまで遠ざけられ不便になった(スタート地点の石巻専修大学まで8kmも有り、しかも駐車場は砂利)。
女川市街地へ出る道は毎年変遷した。今はバイパスが貫いている。
総じて、仮設住宅が大きく減っている。

津波で完全に流された女川駅は高台に移り、目を見張る綺麗な駅へ変貌を遂げて津波から4年後の2015年3月に開通・再開した。おかげで道中最初の女川AS(エイドステーション(補給所)。女川汁(つみれ汁)が出る)へは高台へ漕ぎ登る羽目になった
高台へ移転して鉄道も再開した女川駅前広場(新・女川AS。2015年撮影)
女川ASから次の雄勝ASまでは道中で上り下りが一番厳しい難所だが、その道(御殿峠、リアスブルーライン)沿いにも高台の集落が建ち始め、指ケ浜、分浜、水浜と集落が復活した。水浜の大漁旗にはいつも元気づけられる。TdTの行程で一番好きな景色だ
毎年ありがとう!(2019年撮影)
雄勝ASは15m以上の津波を被り2018年まではASも仮設風だったが、スーパー堤防の工事が着々と進み、2019年のASは例年よりは少し良い高台へ移った。ここでは例年ホタテ焼きを喰わせてくれる。ここ数年は塩むすびも出るようになった。

雄勝ASから峠に有る1km弱の釜谷トンネルまでだらだら坂を登るが、その途中に雄勝側の3.11津波の到達標識が出来ていた。津波はこんな山奥にまで!である。
国土地理院の地形図で見ると標高は20mを超えている
まさしく「こんな山奥にまで!」で有る(2019年撮影)
峠を越す釜谷トンネルを通過すると快適な下り、下り切ったところで100km以上のフォンドは直進、65kmは左折。ちょうどこの下り切った橋の右側手前に悲劇の大川小学校が有った。
大川小学校の児童たちはわずか数㍍高台まで走れば間に合ったものを、大人の判断ミスで大勢がそのまま校庭に残されて津波に呑まれた。小学校には車も有ったので、ピストン輸送ででも、今自転車で降りて来た釜谷トンネル方向へ数十㍍も運んでやれば何の問題もなかった。
大川小学校前はTdTのコースには入っていないが、手を合わせに立ち寄るライダーも多い
大川小学校跡地(2017年撮影)
上の写真の右隅の拡大写真がこれ
斜面右中ほどの小さな白い札が津波到達の高さ。わずかここまで駆け上がっていれば児童はみな助かったのに、そこにいた大人たちは罪深い。大人の言うことを守ったがために亡くなった児童が哀れだ(2017年撮影)
2014年〜19年のゼッケンの推移
2014年
2015年
2016年
2017年。折りたたみ自転車でのチャレンジ
2018年。チームの参加ライダーは最多の8人を数えた
2019年。サングラスも6年連続参戦!
昨年までは招待ゼッケン枠だったのに今年は一般参加
もう激しいアップダウンは無いが北上川沿いのラスト20kmは単調な道、且つたいていアゲンストなので面白くない。65km組は途中に平椀を出してくれる大忍寺の河北AS、ここには津波で亡くなった大川小学校児童の慰霊地蔵が有る
快晴のラスト20km北上川上流方向(2019年撮影)
同 河口方向。遠くに見える新北上大橋の右奥が大川小学校跡地。写真を撮っているここも津波到着地だ
コース途中に有ったココストアもみなファミリーマートに変わった
2015年撮影
TdTの普遍のテーマ「応援してたら、応援されてた」。
毎年野宿して走るだけで何のカネも落として来ない我々ですが、今後も出来る限り参加させて下さい
感謝とともに(了)

2019年9月9日月曜日

乗り鉄北海道最北端の旅 2019年9月

the DAY-1
9/4(水)東京曇り、北海道は晴れ
我が家の最寄駅を0532発、東京駅0625着、東京駅0632発北海道新幹線はやぶさ1号に乗車。
修学旅行のガキどもが新青森駅〜新函館北斗駅間を買い占めやがって(運賃を半額しか払わないガキは立ってりゃ良いのだ)、新青森駅で指定席から追い出される。ちょうど座り続けでもあったのでデッキに立って車窓を眺める。

白鳥が青函トンネルをくぐっていた頃は最深部通過まであと何分とか盛り上げてくれたものだが、はやぶさはドライだ。自然にトンネルへ入って、自然に北海道へ出る。
新函館北斗駅に定刻到着。旧名 渡島大野駅、北海道新幹線開業前には無人駅だったとは思えない賑やかさだが、中高年団体とガキ共の乗り換え客で在来線ホームは阿鼻叫喚を極める。スーパー北斗の指定席を取っておいて良かった。
快晴の駒ケ岳と内浦湾(噴火湾)を右に観ながら
①キハ261系スーパー北斗9号は函館本線を北上する。
大混雑 新函館北斗駅の阿鼻叫喚
スーパー北斗(右側)
函館行き特急スーパー北斗8号の遅れとかで黒岩駅で6分間の停車で上り下り交換、その少し前に四季島とすれ違った。長万部を6分遅れで出たが回復運転がなされ、東室蘭駅には定刻の到着。一服して昼のホッケ弁当を買い、14時発の
②785系特急すずらん7号札幌行きのガラガラの自由席に乗車。白老、社台と馬産地を突っ走る。やがて苫小牧、南千歳、北広島、新札幌。退屈な車窓は眠気を誘い、しばし寝落ちする。
すずらん
札幌からは本日3つ目の北海道特急
③261系スーパーとかち。自由席に並ぶ。すずらんは5両編成中4両が自由席だったが「とかち」の自由席は5両中1両のみ。自由席は半分位の席が埋まって札幌駅を定刻1608に発車した。
スーパーとかちは先ほどすずらんが通って来た線路を南千歳まで戻り、ここで大勢の客を乗せて自由席は満席になり石勝線に入る。追分で室蘭本線と合流したら更に東へ分離する。この路線は鹿との衝突が多い。その防止の為に侵入防止柵が張り巡らされているがJR北海道にすればこのコストも馬鹿にならないだろう。現に線路からほど近い原野で鹿が跳ねている。
スーパーとかち
追分駅は夕張線がバリバリだった頃の始発駅でデカい駅だ。
隣駅が、この3月で夕張支線が廃線になった新夕張駅。占冠、トマムと魅力的な駅が続く。トマムでは星野リゾートへ吸い込まれる中国人がみな降りた。
トマムから新得までは山登り、大きく迂回する線路のところどころで大きな十勝平野を遠くに見る。
帯広駅1900到着。もう日は暮れていた。駅至近のホテルにチェックインしてから晩飯を喰いに繁華街へ出る。海鮮居酒屋の500円刺し盛りに感激。酒は北の勝。
混んでて入れなかったが、せんべろの屋台風飲み屋通りが盛ん。22時でも人が退けない、稀有な地方都市とみた。
この刺し身の盛り合わせが500円とは!手前は北の勝の飲み比べ
本日の総乗車時間は10h33m、総距離は1,383.5km

the DAY-2
9/5(木)晴れ
泊まったホテルは朝食付き、腹一杯喰って0745に帯広駅へ向かい、0802発の
④283系スーパーおおぞら2号に乗車。昨日のスーパーとかちを逆トレースして札幌駅へ戻る。北海道の駅は札幌と旭川のふたつのみがハブで、どこかへ行こうとすれば必ずこのいずれかを通る。今回の旅程でも札幌駅へは3回行くが、いずれも乗り換えのみで街へは出ない。札幌の街に降り立つのは、出張の時だけで充分だ。
スーパーおおぞら
15分の乗り継ぎで、
⑤電車特急ライラック13号789系旭川行き。札幌〜旭川間は北海道唯一の経済交流圏でライラックとカムイはビジネスシャトル、両都市間をわずか1.5hで結ぶ。コーナリングもスムーズだ。
ライラック
但し車窓は中途半端、まるで千葉県を走っているようで退屈だ。
特急ライラックは岩見沢駅を過ぎると砂川駅、滝川駅、深川駅、終着旭川駅と、川シリーズに停まる。滝川駅近くには新十津川駅も有りまさに川のオンパレード。
奈良県十津川村の人々が入植して名付けられた新十津川を除けばアイヌ語発祥の地名なので、川が続いたのはどうやら偶然らしい。
旭川駅到着後、駅ビル内の「なの花」で旭川ラーメンの昼飯。
1335発の
⑥HET 261特急サロベツ1号がこの旅前半の白眉。自由席車両は1両だけなので早めに並ぶ。自由席7割位の着席で発車。HET 261はHokkaido Express Train キハ261系の意味。
10歳の頃から時刻表でみて憧れていたサロベツ。あれから乗るのに45年掛かってしまった。
ちなみにサロベツとは芦の原、芦の川を意味するアイヌ語。
そして明日稚内からの帰路は、特急サロベツではなく特急宗谷に乗るのだ!
サロベツ。ヘッドマークはサロベツ・宗谷共通で北海道の上(北)の方の絵が描いてある
HET 261特急サロベツ1号は快調に飛ばすが、旭川から1時間弱で名寄、その後約1時間で音威子府、そこから2時間で終着と稚内はまだまだ遠い。
名寄では自由席車両から7〜8人降りて同じくらいの人数を乗せ、普通列車と交換の後、特急サロベツ1号はまたゆるりと走り出した。
名寄川を渡る。
次は美深駅。
美唄、美瑛、美深と、この辺りには素敵な駅名が多い。きっと美人が多く居るに違いない。

特急サロベツ1号は何も考えていないかのように、ただひたすらに原野と原生林の間を北上する。人も牛も走っている車も鳥も、何もいない。少なくともこの小一時間は草木と川、池以外何も見かけていない。
車窓にヒトの生活を感じるようになるとやがて音威子府駅、北海道最小の村。ここも子どもの頃からの憧れの駅だった。
次の停車駅は天塩中川駅。
その昔、カミノテシオと言う響きの良い名前の競走馬が居た。ハイセイコーの同期だ。
その頃は天塩駅も廃線になった羽幌線に有った。
次は幌延駅だが、実は今日の宿は幌延駅前。稚内駅からレンタカーで戻る。たまには特急列車以外の乗り物に乗ってリフレッシュすることも必要だ、秘境駅にも寄れるしね。

南稚内の手前からは、植物の植生が変わる。ここまで緯度が上がると森林限界の標高が低くなる。
かくして、3h48mの耐久戦を経てサンセット間近の稚内駅に到着!
レンタカーを借りた後、夕日が丘パーキングに行ったがサンセットは雲が邪魔、ただし利尻富士は拝めた。
幌延の今夜の宿泊地 サロベツ会館へ向かう。
本日の総乗車時間は9h24m、総距離は525.4㎞

晩飯付きの民宿サロベツ会館、メシの後は持ち込んだ焼酎(セコマで買っておいた)に氷を貰い、横になりながらキリンチャレンジカップとバスケを見た。畳敷きの居間の宴会場。他の宿泊客は皆工事現場関係の長逗留者達だ。あいにく星は観えない。ラジオでAM DXをしながら寝る。

the DAY-3
9/6(金)曇り時々晴れ
夕食のみ付いた宿泊プランだったので朝飯はセコマでパンとコーヒーを買って喰い、0710の幌延駅みどりの窓口開店を待って今夕乗る、
⑦特急宗谷のグリーン券を買う。今回の旅で1回はグリーン車利用の贅沢をしたいが、それなら4時間弱乗るここだろうと昨夜決めていたのだ。進行方向右側のD席を取り、ついでにご当地入場券も買う。
ちょっと高級な特急宗谷グリーン車のチケットホルダー
今日のレンタカー周遊プランは盛り盛りだくさんだ。
幌延駅から、
①大規模放牧場
②秘境駅シリーズ 下沼駅
③北緯45°通過点モニュメント
北半球のど真ん中!
④天塩厳島神社で御朱印
⑤道の駅天塩
⑥秘境駅シリーズ 上幌延駅
⑦ 〃 南幌延駅
⑧ 〃 安牛駅
⑨ 〃 雄信内駅
⑩ 〃 糠南駅
11 音威子府駅…へ行きたかったところ、時間が足りなくなる(=特急宗谷で旭川へ戻れなくなる)恐れ有りと言うことで方針変更、
12  通りかかった秘境駅 歌内駅
これら宗谷本線秘境駅(秘境駅とはおこがましく、単に廃駅になっていない廃れた駅)のJR北海道発表 1日当たり乗降客数は以下の通り。

  • 下沼駅 0.4人
  • 南幌延駅 0.0人
  • 上幌延駅 0.6人
  • 安牛駅 0.2人
  • 雄信内駅 0.0人
  • 糠南駅 0.0人
  • 歌内駅 0.0人

ちなみに稚内駅は120人、新宿駅は353"万"人!
幌延町は廃れた駅を自虐的町おこしに使っているが、本来の秘境駅の定義とは異なる駅ばかりだ
これら駅をJR北海道は廃駅したいが、地元幌延町は自虐的町おこしに使いたいと存続を要請。しかしおどろおどろしい錆び錆び駅舎コンテナを残しておく方が悪印象に他ならない。但しJR側とてこれら駅を廃駅したところでコスト削減は見込めない。長いこと無人駅だし、簡易駅舎や待合室の掃除も町やボランティアがやっている。キズを舐め合うどころか応急手当すらせずに放置している。アフリカの貧困国と一緒だ。
こんなオンボロ駅舎を見せられても不愉快
13 一気に宗谷岬。
ここから最北端シリーズに突入、

  1. 最北端の宗谷岬郵便局で我が家宛郵便を出す
  2. 最北端給油所(出光)でガソリン補給、最北端給油証を貰う
  3. 宗谷岬ではぶっかけ海鮮丼の昼メシを喰い、お土産を買って最北端到達証を貰う
  4. 最北端の宗谷岬神社(御朱印は貰えない)
  5. 最北端のセコマ
  6. 宗谷振興局治山係で最北端「治山ダムカード」を貰う
  7. 宮司さんが居る最北端の北門神社で御朱印を貰う
  8. ノシャップ岬
  9. 最北端の日帰り温泉 童夢で入浴。露天風呂から利尻富士が見えた。最北端入浴証を貰う
  10. 稚内港北防波堤ドーム
  11. 道の駅わっかない
  12. 副港市場で海鮮を宅配
  13. 稚内駅でご当地入場券を入手
  14. サッポロクラシック缶ビールを購入し、特急宗谷にグリーン券で余裕の乗車
と言う騒々しいものになった。
音威子府、浜頓別、猿払には寄れなかったがこれらはまた次回への積み残しと言うことで。
ともかくも1日で廃れた駅7個、御朱印2つ、ご当地入場券2枚、ダムカード1枚、最北端証明証3枚の成果は上々であった。
日本人は最○端に弱いとか言われてる
予定通り17時にレンタカーを返す。
宗谷と、ニッポン最北端線路のドンツキ
下々の民は混んだ自由席で座席取りに苦労しているのだろうが、キロハ261グリーン車はことのほか快適。9席設定に乗車は4人。足を投げ出して少し眠る。

さてここまで読んで来て、乗った特急列車名に○囲み数字が付いていた事に気付いただろうか?
実は今回の「乗り鉄北海道最北端の旅」は、現在走っているJR北海道のすべての特急列車に乗ってやろう!と言う副題が付いているのである。なので初日に一旦東室蘭で降りて特急すずらんに乗り換えたりしている。
稚内行きが一番厄介で、行きにサロベツに乗れば帰りは宗谷、宗谷で行けば帰りは逆になる。そんなこと(時間調整+リフレッシュ)も有って、この日はレンタカーでの稚内探訪に充てて、稚内夕刻発の特急宗谷に乗車した次第。
残る「オホーツク」「大雪」「カムイ」の未乗車特急に乗れば現役特急全10個完乗。これに加え今ちょうど臨時特急ニセコが1往復、函館本線 山線経由函館〜札幌間を運転している。超レアなこれに乗れば11個、往復の北海道新幹線はやぶさを入れると12個と言う事になる(残念ながらH5はやぶさには乗れず)。

特急列車にすべて乗ったらカネが掛かるのでは?
そこは50年以上しっかり生きてきた大人達へのボーナス「大人の休日 東日本 ・北海道スペシャルパス¥26,000 」で全線全特急乗り放題である(無料の座席指定は6個まで)。何かと世知辛い世の中では有るが、長く生きていると稀に良いことが有る。はやぶさで東京〜新函館北斗を往復するだけで45,380円だから価格設定は超お得。
そう言うわけで「北海道特急列車〝闘〝乗記・乗り鉄北海道最北端の旅」はいよいよ後半戦に突入する。

本日の総乗車時間は3h40m、総距離は259.4km
晩飯は焼き鳥にサッポロクラシック、大雪乃蔵純米酒、旭川醤油ラーメン

the DAY-4
9/7(土)朝の旭川は小雨、その後は曇りのち晴れ

今日もアクティビティは豊富だ。
ホテルで朝食後、まず旭川駅0835発
⑧キハ183系特急オホーツク1号の自由席に並ぶ。目的地は遠軽駅。上川、白滝、そして遠軽。遠軽と言えば廃駅になった白滝シリーズ旧白滝駅から遠軽高校へ通っていた女子高生の写真が有名。
ネットから無断転載。失礼!
度重なる廃駅で間引かれたお陰で、上川駅~白滝駅の駅間距離は37.3kmも有り、石勝線新夕張~占冠間34.3kmを抜いて在来線では日本最長である。2位の石勝線区間は一昨日通ったので、今日はその上を行く日本一区間を走行する。東京なら新宿駅から埼玉県の北上尾駅間がちょうど37.3kmだ。
雨は上がっている。
札幌駅始発の特急オホーツク1号は旭川で何人か降り、自由席は50%ほどの旅客で定刻発。
オホーツク(Okhotsk)
【おまけ】2015年10月撮影 スラントノーズのオホーツク
石北トンネルの手前で車掌のアナウンスが流れる。
「北見峠を走行中です。この辺りは列車の走行に大変厳しいところで、5月になっても積雪は3㍍有ります。間も無く標高634㍍の上越信号場を通過して4,329㍍有る石北トンネルに入ります。石北は石狩と北見をつなぐものと言われています。トンネルの通過に4分ほど掛かります。ご辛抱下さい」
かつては蒸気機関車が喘ぎながら登っただろうこの峠をスバルのターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンの特急オホーツクは難なく登る。標高634㍍は東京スカイツリーと同じ高さだ。
石北本線上川〜遠軽間には4つの信号場が有る。上川駅から向かって中越、上越、奥白滝と下白滝の各信号場で、いずれもかつては駅だったが付近から住民が居なくなって廃駅になり今はポイントや設備を管理する作業場になっている。下白滝は2016年の廃駅なので記憶に新しいが、他の3つは物凄い山奥に有り、とても利用客が居たとは思えない「元・駅」で有る。
元 上越駅、現信号場、標高634㍍。車窓からの撮影なのでぶれてしまった
2015年10月にレンタカーで白滝シリーズ(上白滝駅・白滝駅・旧白滝駅・下白滝駅と4駅「白滝」が続き、白滝駅以外は秘境駅で翌春ひとまとめに廃駅になった)に訪れたことが有る。あの時は季節外れの台風が我らの目的地 知床に上陸・鎮座して温帯低気圧で留まり、石北本線も釧網線もまる1日運休で、その日の宿 網走蟹づくし旅館 友愛荘から一歩も出られないと言う嵐の夜を迎えたのだった。もちろん行きがけの白滝シリーズ駅の撮影も嵐の中だった。

特急オホーツクは1013丸瀬布駅で運転停車、特急列車同士の交換。遠軽駅はもうすぐだ。

遠軽駅ではレンタカー、目的地は遠軽神社御朱印、稚内でのレンタカーでは辿り着けなかったオホーツク海を見に道の駅オホーツク紋別、紋別厳島神社御朱印。帰りの特急大雪まで3.5hのアイドルタイムの有効利用。雨は上がってオホーツク海は晴れて来ている。
ガリンコ号を見学。昼メシを喰って遠軽駅へ戻る。
縁がある、の語呂で人気だと言う遠軽神社の御朱印帳は、社務所が留守で買えなかった。
御朱印自体は配布版を貰って来た。
初代ガリンコ号
閑話休題、ガリンコ号の先っぽにはウルトラセブンのマグマライザーのようなドリル(スクリュー)が4本付いていますが、「ネジを回すと食い込んで行く」のはアルキメデスの原理、だそうです。知ってた?
ガリンコ号のドリルはその名も「アルキメディアン・スクリュー」です。

1424発、遠軽駅からの戻りは旭川行き
⑨キハ183-1501大雪4号。先ほど遠軽駅まで乗ったオホーツク1号が終着の網走駅から満を持して戻って来た車両。遠軽駅はスイッチバックなので走る向きを変えて自由席5号車を先頭に、改めて石北トンネル方面へ向かう。自由席は4割ほどの埋まり具合。
旧い気動車特急はおしなべて窓が汚く車窓を楽しめない。何とかならんもんか。
途中の信号場を確認しながら、1619、特急大雪4号は定刻に旭川駅に到着。
大雪
1番線1632発富良野線 普通列車 富良野行きに乗り換え。この旅程で初の特急以外の列車で有る。向かうのは美瑛駅。
訪れる目的は3つ有って、

  1. この美しい名前の駅を見てみたいこと
  2. ご当地入場券入手
  3. そして、富良野・美瑛ノロッコ6号で復路を引き返すことだ。

富良野線では旭川側から、

  • 西御料
  • 西瑞穂
  • 西神楽
  • 西聖和

と何故か「西」が付く駅名が4駅続く。

美瑛駅からは首尾よくノロッコ6号の自由席に座れて(この列車はノロッコと言う名前だが美瑛駅→旭川駅間はノンストップで一般の列車よりかなり速い)、旭川駅に着くとディーゼル機関車の撮影会。7番線に回送の「風っこそうや号」も入線していて旭川駅は撮り鉄のお祭り状態。富良野・美瑛ノロッコ6号車内では乗車証明証も配布された。
DE15 1534
さて、臨時特急ニセコを除くJR北海道レギュラー10特急のラストと言う名誉を飾るのは
⑩電車特急789系カムイ42号。カムイで2駅、滝川駅まで乗って、今夜は新十津川に泊まる。来年5月に廃止予定の札沼線 新十津川駅は最終日早朝に訪問予定だ。
新十津川の宿も晩メシ付き。利尻昆布焼酎「りしり」を呑んで、明日の早朝勝負に備えよう!
10番目のレギュラー特急「カムイ」
本日の総乗車時間は4h21m、総距離は302.3km

the DAY-5(最終日)
9/8(土)新十津川の朝は曇り・濃霧、ニセコは晴れ、長万部は曇り

最終日の今朝も早起き、0600 宿にタクシーを呼んで滝川駅への道すがら、新十津川駅に寄って貰う。札沼線浦臼駅と新十津川駅間13.8kmは、列車が1日1往復しか走らない「日本一の閑散路線」で来年5/6がラストラン。既にカウントダウンが始まっている。失くなる前にもう一度来られるだろうか?
列車は1日1本10時発、終電が午前10時と言う「日本一終電が早い駅」でもある。
すみ丸ゴシック体が良い
0632 滝川駅発特急ライラック4号で札幌へ。ライラックはこの行程で2回目。ビジネスシャトルなので混むと嫌だなと思い予め指定席を取っておいたが今日は日曜日で車内はガラガラだった。
0733 札幌駅着は1番線。向かいの2番線から
No.11臨時特急ニセコが0757発。指定券は満席だった。3両編成中先頭車両のみの自由席の列に三十数番目で並び座席を確保、これで北海道11 個目の特急もゲットした!
札幌駅から新函館北斗駅まで5h21m、この行程中最長の乗車時間(新幹線はやぶさより長い!)になる。
特急ニセコ号の自由席は混雑、通路にもヒトが立ち、景色は見えず周りのシャッター音がやかましい。
余市でだいぶ降り通路に立つ人々はいなくなった。ニセコでまた席が空く。指定席はぎゅうぎゅう、自由席はすいていて結果はオーライ。
晴れた空に羊蹄山が美しい。
函館本線 山線は前日に乗った石北本線同様に雑木林の中の坂道を縫うように走る。石北本線は北見峠をピークに登り下りするが、山線は幾度かの峠をトンネルで越す。中でも銀山駅〜小沢駅間にある稲穂トンネル(1,776メートル)が強烈だった。やがて倶知安、ニセコ、ブナの北限・黒松内そして長万部。
函館本線 山線に特急が走るのは多分また何年も先だろう。貴重な特急ニセコ
何年か前(まだトワイライトエクスプレスが走っていた頃)和室四畳半の部屋膳に毛蟹1杯とタラバの脚が設えられ、温泉の1階銭湯は使いたい放題、1泊2食付で6千円位だった長万部の温泉民宿に泊まったことがある。早朝には、大阪を出て札幌へ向かうトワイライトエクスプレスを長万部通過時刻を想定して温泉民宿からほど近い跨線橋へ赴いて見送った。
宿のおバ(婆)ちゃんは「温泉街の方に新幹線の出口が出来るんですよぉ」と嬉しそうだったが、おばちゃんの寿命と北海道新幹線の開業のどちらが早いかは良く知らない。晩メシの時はふすまを開けて階段下に向かって「おばちゃん、ビール」と言うと「ハイヨ」トントントンと運んで来てくれる寅さん風宿だった。
翌日の仕事は函館に有り、朝のスーパー北斗で函館へ向かった(その後、白鳥、はやぶさで帰京)。

本編へ戻る。
長万部を過ぎると新函館北斗駅までに停車するのは森駅のみ。
但し赤井川駅で交換の為、5分停車。左側、噴火湾の駒ケ岳は初日の方が晴れていた。
大沼駅で再度5分の運転停車、スーパー北斗を先に通す。
1304 大沼駅発
仁山駅でまた運転停車。所要時間が掛かるわけだ。
1318 定刻に新函館北斗駅着。今回の旅程はJR北海道の不断の努力のお陰ですべて定時発着運行。冬の間だったらこうは行かないだろう。四合瓶に1/3ほど残っていた利尻昆布焼酎りしりはニセコの中で空になった。
倶知安~ニセコ間では車内販売も行われた
新函館北斗駅構内のKioskで最後のサッポロクラシックと北海道時刻表を2冊買い、1339発のはやぶさ28号。全席満席。どうやら台風影響で新千歳⇨羽田行きの客が流れて来たらしい。
はやぶさは青函トンネルにドライと初日に書いたが、上りのJR北海道は違った。1357にトンネルに入り1419青森上陸とこと細かに教えてくれる。青函トンネル通過速度を140km/hから160km/hに上げる計画が有るとも喋っていた。抽選で北海道の幸が当たる大人の休日切符利用アンケート用紙も配られる。

北海道新幹線は毎年50億円を超す赤字を出すが、いくつも無い観光資源に頼るJR北海道の姿勢は良く分かる。やがて新青森駅で乗務員交代、東京まではやぶさを運転したかろうが、北海道新幹線に於けるJR北海道乗務員の役割はかわいそうにもわずかにここまで。
満席で立ち席券も売られデッキに立ち尽くすヒトも満載のはやぶさ28号。新幹線は乗る、と言うより「運ばれる」だけだ。サッポロクラシックを1本呑んだ以外は特記事項無く、台風接近中の東京駅に1804着。
乗車時間と走行距離(特急列車のみ。旭川〜美瑛間は片道23.8km)
  • 9/4(水)10h33m 1,385.5km
  • 9/5(木)9h24m 525.4km
  • 9/6(金)3h40m 259.4km
  • 9/7(土)4h21m 302.3km 
  • 9/8(日)10h39m 1,214.4km
  • 乗車合計 38h40m
  • 距離合計 3,685.0km は地球の半径6,371 kmの57.8%、北極点から北緯45°線が走る幌延にちょっと足りず(北極点から赤道までちょうど1万km)、か。
東京の台風は22時過ぎから暴れ始め、首都圏に上陸した台風としては過去最大級の風雨をもたらした。各鉄道路線も早々に終電を切り上げた。
復路に東北の特急をあと1、2本乗ろうか、なんて欲張ってたら帰宅も危うかった。
ともかく台風の交通規制より前に家に着き、家の周辺のモノが飛ばされないようヒモで括り付け、最北端到達証などこの旅の戦利品を整理して、台風情報を聞きながら寝た。翌日は8時頃まで首都圏のJR線は予告運休と出ている。明日は明日の風が吹く。

GWの宝島遠征に加えまたひとつ大きな目標を達成してしまった。今後は更に目標設定のハードルを上げなければならない。この次は何処へ行けば良いのか。悩める50代で有る。

Special thanks to JRH, JRE, OkaChan & Hokkaido-no- minasan!
この葉書は宗谷岬郵便局で9/6に投函して、9/12に届いた。結構掛かりましたね、日数が

【P.S.】滅多にやらない乗り鉄でわかったこと2つ
①セーブすべきは宿泊費
②車窓が退屈な時に紀行文をまとめられて仕事が早い(レンタカーではこうは行かない)
(了)