ツール・ド・東北(TdT)には2014年の第2回大会から皆勤賞で同じコースを走り定点観測を続けてきた。
初回参加の年、女川港に近い七十七銀行の建物はまだ横倒しになったままで道はボコボコ、いたるところに鉄板が敷かれていた。その鉄板の上を、滑らないように注意しながら自転車で走行した。
ライフル射撃場へ上がる道中最初の急な登りの手前右側には仮設住宅がずらりと並び、沿道でおばちゃんおばあちゃん達が「ここから登りだよー、がんばってー」と手を振って応援してくれた。
サングラスの奥に涙が滲んだ。
前年に使われた駐車場も仮設住宅に変わり、我々の駐車場は雲雀野埠頭とやらまで遠ざけられ不便になった(スタート地点の石巻専修大学まで8kmも有り、しかも駐車場は砂利)。
女川市街地へ出る道は毎年変遷した。今はバイパスが貫いている。
総じて、仮設住宅が大きく減っている。
津波で完全に流された女川駅は高台に移り、目を見張る綺麗な駅へ変貌を遂げて津波から4年後の2015年3月に開通・再開した。おかげで道中最初の女川AS(エイドステーション(補給所)。女川汁(つみれ汁)が出る)へは高台へ漕ぎ登る羽目になった
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高台へ移転して鉄道も再開した女川駅前広場(新・女川AS。2015年撮影) |
女川ASから次の雄勝ASまでは道中で上り下りが一番厳しい難所だが、その道(御殿峠、リアスブルーライン)沿いにも高台の集落が建ち始め、指ケ浜、分浜、水浜と集落が復活した。水浜の大漁旗にはいつも元気づけられる。TdTの行程で一番好きな景色だ
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毎年ありがとう!(2019年撮影) |
雄勝ASは15m以上の津波を被り2018年まではASも仮設風だったが、スーパー堤防の工事が着々と進み、2019年のASは例年よりは少し良い高台へ移った。ここでは例年ホタテ焼きを喰わせてくれる。ここ数年は塩むすびも出るようになった。
雄勝ASから峠に有る1km弱の釜谷トンネルまでだらだら坂を登るが、その途中に雄勝側の3.11津波の到達標識が出来ていた。津波はこんな山奥にまで!である。
国土地理院の地形図で見ると標高は20mを超えている
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まさしく「こんな山奥にまで!」で有る(2019年撮影) |
峠を越す釜谷トンネルを通過すると快適な下り、下り切ったところで100km以上のフォンドは直進、65kmは左折。ちょうどこの下り切った橋の右側手前に悲劇の大川小学校が有った。
大川小学校の児童たちはわずか数㍍高台まで走れば間に合ったものを、大人の判断ミスで大勢がそのまま校庭に残されて津波に呑まれた。小学校には車も有ったので、ピストン輸送ででも、今自転車で降りて来た釜谷トンネル方向へ数十㍍も運んでやれば何の問題もなかった。
大川小学校前はTdTのコースには入っていないが、手を合わせに立ち寄るライダーも多い
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大川小学校跡地(2017年撮影) |
上の写真の右隅の拡大写真がこれ
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斜面右中ほどの小さな白い札が津波到達の高さ。わずかここまで駆け上がっていれば児童はみな助かったのに、そこにいた大人たちは罪深い。大人の言うことを守ったがために亡くなった児童が哀れだ(2017年撮影) |
2014年〜19年のゼッケンの推移
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2014年 |
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2015年 |
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2016年 |
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2017年。折りたたみ自転車でのチャレンジ |
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2018年。チームの参加ライダーは最多の8人を数えた |
2019年。サングラスも6年連続参戦!
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昨年までは招待ゼッケン枠だったのに今年は一般参加 |
もう激しいアップダウンは無いが北上川沿いのラスト20kmは単調な道、且つたいていアゲンストなので面白くない。65km組は途中に平椀を出してくれる大忍寺の河北AS、ここには津波で亡くなった大川小学校児童の慰霊地蔵が有る
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快晴のラスト20km北上川上流方向(2019年撮影) |
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同 河口方向。遠くに見える新北上大橋の右奥が大川小学校跡地。写真を撮っているここも津波到着地だ |
コース途中に有ったココストアもみなファミリーマートに変わった
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2015年撮影 |
TdTの普遍のテーマ「応援してたら、応援されてた」。
毎年野宿して走るだけで何のカネも落として来ない我々ですが、今後も出来る限り参加させて下さい
感謝とともに(了)
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