2014年7月3日木曜日

あの桃源郷が蘇る!

あの桃源郷が蘇る!
20年以上前からやってることが変わっていないことが素晴らしい?(トシはとりましたケドね)
  • 「東源協の桃源郷を探す旅」 1993.8.21-22 西丹沢 世附川釣行記録がデジタル3部作でいま蘇る!
  • 参加者詳細:ヒデ→詠源の義弟 ヒサトミ→堅牢なるドレイ(現在はタイ人化)

9308Yoduku1.MP4 - https://drive.google.com/file/d/0B6iTFLfJ1EQvLXZqenVqU2V2bGM/edit?usp=sharing

9308yoduku2.MP4 - https://drive.google.com/file/d/0B6iTFLfJ1EQvdEN2ZmJuZXVQaE0/edit?usp=sharing

9408Yoduku3.MP4 - https://drive.google.com/file/d/0B6iTFLfJ1EQvaGJnR2ZPdGNFMWc/edit?usp=sharing

【特別バージョン】

  • 現代の走れメロス〜正明は激怒した〜男だ吉川東源協会長佐倉マラソンでサブスリー達成(95年3月)

佐倉サブ3.MP4 - https://drive.google.com/file/d/0B6iTFLfJ1EQvZXQ3Z1cwa0Jrd0E/edit?usp=sharing

2014年6月19日木曜日

「戦後日本」の代名詞は…新幹線にウォークマン 「発明百選」公表記事に寄せて

 「戦後日本」の代名詞は…新幹線にウォークマン 「発明百選」公表記事に寄せて http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/140618/cpd1406181954018-n1.htm

ひと言(年齢はtanakabucho当時)

  • インスタントラーメン
    カップヌードルが初めて我が家に届いた時は興奮した(7歳)
  • マンガ・アニメ
    一番想い出深いのは大友克洋「童夢」かな(19歳)、それとも星野之宣「月夢」(15歳)か。
    いずれも「夢」が付く
  • 新幹線
    (0歳)初めて乗ったのは5歳位?
  • ウォークマン
    青春真っ只中の15歳。家に1号機完動品有り!
  • ウォシュレット
    もう16歳にもなっていたらしい
  • 家庭用ゲーム機・ゲームソフト
    ファミコン(19歳)スーファミ(24歳)プレステ(30歳)ドリームキャスト(34歳)プレステ2(36歳)Xbox(38歳)等々大半のマシンは未だ我が家に有る
  • 発光ダイオード
    秋葉原ラジオ会館と九十九無線へ通った(16歳)
  • ハイブリッド車
    いまだ未所有…
  • 魚群探知機
    バス釣りに足繁く通ったのは30歳の頃
  • トランジスタラジオ
    良く自作した(13歳頃)。RCサクセションは16歳。高校の屋上で煙草を吸って停学になった(実話)
  • 回転ずし
    元禄寿司が元祖らしい(4歳頃)。池袋では若貴廻し寿司
  • 公文式教育法
    行かず
  • 小型(軽)自動車
    tanakabucho初代所有はダイハツハイゼット360ccツースト(18歳)
  • スーパーカブ
    専らヤマハパッソルだったがカブにも乗った(16歳)
  • ヤマハ音楽教室
    娘を通わせた(30歳)
  • リンゴ「ふじ」
    毎年青森の知人宅から贈ってくれる。ありがたいことだ
  • 人工皮革
    偽皮ジャン(←懐かしい!)を良く着た(14歳頃)
  • 電子式卓上計算機
    液晶電卓にビビった(9歳)
  • 自脱型コンバインと田植機
    「さなえ」ですね(7歳)。POSのさなえは48歳w
  • カラオケ
    初めて唄ったのは確か石川ひとみ「まちぶせ」17歳の頃だったと思われる
    (バイト先(西友調布店)で酒を飲まされてパッソルで事故り勘当されたのもこの頃)
  • 自動改札システム
    実は武蔵野線が導入の先駆けだったのだ!(9歳)
  • 郵便物自動処理装置
    郵便番号7桁化は34歳
  • クオーツ腕時計
    オートマチック派だったな
  • ブラウン管テレビ
    カラーテレビは4歳頃
  • CVCCエンジン
    ホンダ「カッコ」インテグラに乗っていた(24歳)
  • コンビニエンスストア
    ノミネートされているとは素晴らしい。86年入社(22歳) 
と言う具合にほとんどラップしていました。素晴らしきかな64年(昭和39年)生まれ!

2014年6月8日日曜日

♫伊代はまだ〜16だから〜♫

♫伊代はまだ〜16だから〜♫松本伊代ならぬ松山・伊予の写真をUPしました。

いよの店は大阪のSM店よりは相当のんびりしているが、放置プレーはせずに点検を宜しく頼みたい

http://goo.gl/photos/6Q94FsEG6O








2014年6月2日月曜日

TGK一ノ瀬大会(JOI8)

好天に恵まれた東源協(東日本源流協会、英略称TGK)
【JOI8】一ノ瀬高原釣りキャンプ回顧
  • 411号線をひた走り、休憩に入った道の駅たばやまは満天の星空。
    ここからおいらん渕を越えて山登り、林道では鹿を追いかけながら登る
  • 深夜3時近くにキャンプ場到着。寒い。星は更に近くなったが夜明けも近くなり残念ながら輝きを失って行く
  • 乾杯、一服ののち真っ暗な中をテン場へ荷物を下ろし、4:40にはテント2張り設営を終えるという元気さ。前回川っぺりに張ってブユの襲撃に遭ったので今回は長老ポイント(道に迷った会長を迎えに行った時のテン場)にサイトを構えた
  • 仮眠の後、釣りへ。3枚目の写真に有る通り恐らく2月の大雪が溶けて流れる時に山を削った。川底には砂が堆積しており釣りにならない場所が多い。
    ここは前回ジンちゃん大野ちゃんへ釣りのレクチャーをしながら詠源がヤマメを釣り上げたトロ場だが跡形も無い
しばらく貸切だったが土曜午後になってキャンプ客が集まって来た
  • 7枚目: 久々の会長朝礼。一同気合が入る
  • 8枚目: 道祖神? 所々に祀られ、御供えがある
  • 9枚目: 久々の会長と焚き火のツーショット。やはり似合う
  • 10枚目: iPadアプリと全く同じ星が全部観えた!
  • 12枚目: ジンちゃんを継いだ大野ちゃんの正統派ポーク卵。極秘の下ごしらえで卵をふっくら仕上げている
  • 13〜15: 一ノ瀬高原から青梅街道へ下る途中、思わず車を停めて見惚れたビッグスケールなバレー。日本と言う国は本当に緑が深い
  • 16枚目: 花魁(おいらん)堂。おいらん渕悲劇伝説の供養に村人が建てたそうだ。観光地図に載っているものの辿り着くのが難しいと言う、変な名所(迷所)
  • 17と18: 休憩に寄った奥多摩湖。山村の農事暦は年間時計のような作りで素晴らしい。奥多摩湖貯水率は現在90%と安心だ
↓キャンプ写真
https://www.dropbox.com/sh/zlbtvjcp8261auv/AABSZS0geDIB3I1NlfckS49Xa

↓キャンプ場のブログ。早速6/1のページに我らの写真がupされました!
一の瀬、山奥の暮らし http://blog.tenkara.com/

久々に会長の朝礼、薪割り、焚き火を堪能した素晴らしいキャンプだった!
雑木林、川、直火、満天の星空そして渓魚に感謝!

2014年4月29日火曜日

銚子電鉄探訪



GWの中日を狙ってかねてから機会を伺っていたローカル線銚子電鉄を探訪して来た。
高速の車も人の出も鉄ヲタの出も、みな少なくどこもすいていて快適、狙い通り。
すべての写真は↓ここ↓に
https://www.dropbox.com/sh/3cwh9lx9zzhjj1v/2dv6aou8zT

終点「外川駅」のドンツキ
外川駅とデハ801。ここから順に銚子駅へ向かってみよう!
(デハとはJRで言うモハのこと)
次は犬吠駅。中の売店で犬吠駅の佃煮屋が佃煮を売っている
路線図。銚子~外川間計10駅、全6.4km
灯台下からの太平洋。
眼で実際に見ると地球が丸く見える。
広角レンズのカメラが欲しいところ 
犬吠埼灯台。朝は見ての通り快晴だった
君ヶ浜駅。駅はくたびれているが君ヶ浜海岸公園は絶景だ
海鹿島(あしかじま)駅。「関東最東端の駅」と案内がある。
昔アシカが生息していたとか。
2000系外川行きがやって来た
あしかじま駅からわずか400mの西海鹿島駅
難読「かさがみくろはえ」と読む。西あしかじま駅からたった500m
本銚子駅。もとちょうしが正しいが、本調子と語呂合わせで縁起担ぎも。
跨線橋に撮り鉄ヲタ1名。後刻合流して一緒に2000形を撮った
観音駅。直営たい焼き屋内蔵。小倉満タンたい焼き130円、旨し!
仲ノ町駅。右側が本社で左が駅。車庫が有って楽しい
終点/始発の銚子駅。JRホームの端から銚子電鉄の電車が出発する。
以上で全10駅各駅停車の旅は終わり!
(ここからはうんちく編その他)
本社併設仲ノ町駅改札脇にあるグッズ展示
観音駅に内蔵された銚電直営のたい焼き屋
問題は笠上黒生駅横に放置されていたこれだが..
廃れてしまった「澪つくし号」らしい..
http://www.choshi-dentetsu.jp/mio/mio.htm
銚電ホームページでは運行見合わせ中との記述だが
どう見ても京王5000系。
左の最小電気機関車デキ3は1922年ドイツ アルゲマイネ社製だそうだ
元は京王線2000系
tanakabuchoの生まれ育った場所は調布の京王多摩川駅の近く。子供の頃はまだ京王多摩川駅が終点だった。その頃京王線を走っていたのがこの2000系。京王の鉄道車両変遷ページ(下記URL)を見ると2000系は1957年デビュー(tanakabuchoは64年生まれ)、1984年に全車廃車。その内一部の車両が伊予鉄道へ売られ、更に銚子電鉄が買って今に至る。
廃車の年から30年経っていまだ現役とは、涙がちょちょ切れる(TдT)
http://www.keio.co.jp/train/museum/history/postwar03.html

ちなみに京王線の同じページに5000系も出ている。tanakabuchoより1年早いデビューだ。
【参考】富士急行 京王5000系塗装 - 写真共有サイト「フォト蔵」 http://photozou.jp/photo/show/1344777/201969417
上記銚電2502形のアイボリー塗装がそっくりなのがわかるだろう。

更にちなみに、地方路線は京王の車両を好んで買うことが多い。その大きな理由は車両の長さ。他の鉄道会社は20m、京王は18mなのでホームが短くカーブが多い地方路線には重宝するのだ。
逢えて良かった京王2000系車両。
銚子電鉄と沿線の住民と一緒に末永く頑張って欲しいものです
(了)