2022年11月29日火曜日

「廃線前の北海道」最果ての乗りつぶし旅

--はやぶさ1号で上陸--

<初日>
サッカーW杯初戦でドイツに金星、その興奮冷めやらぬ早朝から今回の旅はスタートした。
0532最寄り駅の初電に乗車、
0550JR武蔵境駅から中央線快速。大人の休日倶楽部フリーパスをここから使い始める。
この列車が遅れちゃうと元も子もないと言う運命の快速。過去2回は遅れずに0632東京駅発のはやぶさ1号に間に合っている。
気温11℃で暖かい朝。
0623定刻に東京駅に到着。ほっとしつつも足早に、はやぶさ1号のホームへ移る。パス10%OFFのNewDaysでサントリーReserve水割り缶を買い、
0632はやぶさ1号出発進行。

今日は平日なので8号車オフィス車両の指定を取ったが今や有名無実化、普通の車両になっていてこれじゃWeb会議なぞ出来やしない。オフィス車両を遊ばせておくわけにも行かないだろう、何せこのはやぶさは8号車を含めて全席満席である。
全国旅行割に今年最後の大人の休日倶楽部パス設定週。
最果ての列車も混雑覚悟の旅になりそうだ。

1053新函館北斗駅に到着。乗り換えは案の定の阿鼻叫喚。乗客平均還暦超えで北斗9号は走る。

新函館北斗駅のこれは毎度嫌な時間。元は無人駅とは言えそもそもホームが狭すぎるんだよ、設計ミス極まりない!

ここで今回の旅程をおさらいしておこう。知る人ぞ知る、マニア垂涎の塗りつぶしルートである。


初日は帝都をはやぶさで発ち、釧路経由釧網本線で網走まで1,592.2kmを乗る耐久戦。
これをクリアしたら2日目は千切れている根室本線の代行バスを使って新得駅まで行く。

まずは初日のトピックスから始めよう。
  • はやぶさ1号が青函トンネルに入る直前の「青函トンネル入口広場」を車窓撮。遠くに津軽海峡が観える。ここでドローンを飛ばしたのは竜飛岬石川さゆり・太宰治旅の時だった
  • 新函館北斗駅の混雑するKIOSKで「鰊みがき弁当」を購入、これは美味かった!
    お供の酒は函館慕情。乗り換えの南千歳駅ではほとんど何も売っていなかったので、新函館北斗駅で買っておくのが正解
  • かつてトワイライトエクスプレス札幌駅行きを早朝に上から眺めた長万部駅北側の跨線橋は撤去されていた。跨線橋から北を観ると左は函館本線山線、右は室蘭本線の分岐点、素晴らしい景観だった。老朽化もあろうが、葬式鉄が集まる前に片付けたんだろうきっと
  • 北斗9号が通過するニッポンの秘境駅No.1「小幌駅」を車窓撮。No.1を認めざるを得ない駅。飯田線の金野駅と同じく、普通(各停)列車にも通過されます
  • 南千歳駅で石勝線0km標を撮影後、おおぞら7号で釧路までのんびり。翌日泊まる新得駅にも停車
  • 1839釧路駅着、買い出しに走るが駅弁屋は閉まっている。構内のセブンイレブンで小弁当に酒、つまみ、北海道時刻表を購入し、
  • 1852発釧網本線4736D キハ54-521は花咲線カラー
釧路駅発網走駅行き4736D

心配していたが楽に座れた。平日で良かった。以下、釧網本線内の乗客の出入り
  • 1856東釧路駅 2人下車2人乗車。乗っていためっちゃ美人(多分マスク美人では無い)はここで下車
  • 1903遠矢駅 1人下車、今12人
  • 釧路湿原駅 0,0
  • 細岡駅 0,0
  • 茅沼駅 0,0
  • 1945標茶駅、かつてSL冬の湿原号で来た駅。6人下車、みんなヤング
  • 磯分内駅 0,0 どうやらもう一人いたみたいだ、7人居る
  • 2009摩周駅 4人下車(内、ヤング2人)
  • 2033川湯温泉駅 女子が+1
  • その後の乗り降りは無し
  • 2200網走駅着 最後は4人だった。夜汽車で網走駅。寅さんとリリーの初めての出逢いを思い出すがもちろんこの4人にそんな浮いた話は有るわけもなく
長い釧網本線。足を投げ出してウトウトさせて貰いました

--網走駅22時--

2200に真っ暗な網走駅に放り出されると、目に入るのは駅前の東横インと左手のすき家しかない。
寒さを内側から暖めるしかない、すき家で命拾いした、なんてのは大げさで気温は5℃。むしろ暖かい網走の夜だった。ビールと牛丼生卵味噌汁の後は徒歩5分で民宿ランプ。
厳冬期に着いたならば、すき家はもちろんシェルターに違いない。

民宿ランプで充実のひと晩の後、翌朝は0730チェックアウトで網走駅へ向かう。気温は昨晩と同じ5℃で暖かい。
朝めしにランプパン。ランプの女将さんは可愛らしかった、また逢いに行きたい女性のひとりになった。

ランプから網走駅へ向かうにはデンジャラスな踏切を渡る必要が有る。

石北本線に加えて車庫の線路が2本有るのに遮断機が無いDANGER ZONE

ちなみにランプには「音鉄部屋」が有る。線路に一番近い民宿の部屋12畳が、おひとり様泊にも提供される。泊まったところでしかし、音鉄するほどの列車も通らないだろうに。

ここでJR北海道の廃線危機についてもおさらいしておこう。
  • ①乗って来た函館本線の新函館北斗駅~長万部駅区間も廃線候補だ。但し貨物の幹線なので、旅客輸送は無くなっても線路は残る
  • 釧路駅~根室駅の花咲線は前回乗った。海岸線を併行道路と並走している
  • ②昨晩乗った釧路駅~網走駅の釧網本線
  • ③これから乗る石北本線も、北見以東の存続は怪しい。遠軽、もしかしたら旭川までに縮まるかも知れない
  • ④留萌本線は石狩沼田駅~留萌駅間の来年3月廃線と、3年後の深川駅~石狩沼田駅間廃線が決まっている。今日これから乗りに行く
  • ⑤滝川駅からの根室本線は既にもう6年間も、途中の東鹿越駅~新得駅間が代行バスになっている。もはや時間の問題だ。途中の観光地富良野へは旭川から富良野線で行けるが、
  • ⑥その富良野線も廃線候補である
  • ⑦明後日は岩見沢駅から苫小牧駅へ室蘭本線を南下するが、幹線の千歳線と併行しているのでここも廃線候補
  • ⑧日高本線は鵡川駅〜様似駅間が廃止されてから久しいが、短い盲腸線となった苫小牧駅〜鵡川駅間の21年度の営業係数は1,185(100円稼ぐのに1,185円掛かる)。これもお荷物。お荷物は捨てるために有る。3日目に乗る
  • 函館本線山線は以前臨時特急ニセコで乗ったことが有り今回のルートからは省いたが、北海道新幹線開通で廃線が決まっている
JR北海道は全線赤字で北海道新幹線が札幌開業すれば赤字が更に増す。ローカル線の足切りを表明しているが、これら路線を廃線廃駅したところで赤字削減額はたかが知れている。
つまり、北海道ドリームを掲げる新幹線札幌延伸はローカル線どころではない巨額の赤字を連れて来る。
それでも新幹線札幌延伸にこだわるのは緊急時に道民を本州へ避難させるルート確保でこれは国策。即ち北海道は国鉄にしてしまうのが分かりやすい。同じく民営化された郵便局はどうだろうか、恐らく北海道では赤字で、全国でその赤字を埋めているに違いない、鉄道もJR北海道にサバイバルさせるのではなく同様の考え方で良いはずだ。

熱くなったが閑話休題、今回の乗りつぶし旅では上記①~⑧の路線を3泊4日で一気にやっつける。これによりJR北海道の廃線候補路線を完乗することになる。どうか最後までダイヤ通り走って下さいJR北海道様!

本日の乗車距離 1,592.9km
新規完乗路線 釧網本線

--石北本線開業90周年--

<2日目>
0745民宿ランプをチェックアウト
0806網走駅発6082D キハ183形特急大雪の発車を待っていると、北見駅0647発網走駅0753着の普通列車4521Dが着いて数十人の高校生が吐き出された。
ひとつしかない駅の改札に、かわいそうに並んでいる。ローカル線の鉄道利用客の主役は高校生。学校がスクールバスを出せば列車は要らなくなる。

網走駅高校生の行列

遠軽駅でスイッチバック、白滝駅を通過し大雪は難所石北トンネルへ登る。
石北本線開通90周年の記念すべき年。キハ183形特急大雪はあえぎながら登る。

旭川駅乗り換え、電車特急ライラック22号→深川駅前でラーメンの後に留萌本線に乗車。
今日は金曜日なのでさほどでも無いが、週末は「葬式鉄」が溢れておぞましい光景になる。そんなことも考慮して、留萌本線乗車は平日に組んだ。
深川駅〜留萌駅を結ぶ留萌本線沿いには通行料無料のバイパスが整備されていて、留萌本線廃線準備は整っている。

始点深川駅1328発4927Dの次の駅が難読駅北一已(きたいちやん)。その後はさほど魅力的な車窓も無いまま、一両編成のキハ150形は1425終着の留萌駅に到着する。この列車は折り返し1617発4928D深川行きになる。

市内観光に充て、留萌港近くに新しく出来た道の駅。観光案内所でマンホールカード。ドローン空撮して1545位に駅へ戻ると既に10人以上が改札待ちに並んでいた。週末はホントにおぞましいことになろう。発車10分前位に改札。座って動き出すとたちまち車窓は闇に包まれた。北国の冬はつるべ落とし、乗り鉄も悪くないが暗くなるとまるでつまらない。

しかしこの日の道中はまだまだ長く、何と深川→滝川→東鹿越→代行バス→新得まで行かなければならないのである。ケツにムチを入れる。

深川駅から滝川駅は特急ライラック。
滝川駅1757発根室本線快速狩勝3483Dはキハ40-1707。 

サボの「快速」の文字が素敵

--快速狩勝--

赤平駅 5人下車
茂尻駅 2人下車
芦別駅 19人下車
上芦別駅 3人下車
今7人(家族連れ3人含む)
富良野駅 3人乗車で10人
布部駅 プラマイゼロ
山部駅 家族連れ3人下車
下金山駅 1人下車
金山駅 1人下車(翌日明るい時に見たら川の名が砂金川。金が獲れたんだね、ここは)

終着東鹿越駅まで残ったのは可愛らしい女子(仮称:A子)ひとりと我々おじさんふたりの計3人だった。
乗り降りの計算が少々合わないが残ったのは3人だった。

A子は手慣れたふうに、駅前に待っている代行バスの後ろの方に乗り込んだ。
代わりに折り返しの列車3488Dに乗り込んだのは初老のご婦人ひとりとジャージ姿のJKふたり。彼女らは逆ルートで東鹿越駅へ運ばれて来ていた。ひとけの無いこんな暗がりに若い女子なんて都会じゃあり得ない。
東鹿越駅で待っている代行バス109便

バスはふらのバス(株)の大型観光バスで、災害で線路が千切れた2016年からもう6年以上この任務に就いている。こんな使われ方は観光バスとしては不本意だろうが、コロナ禍で稼働が減ったことも有り、駐車されたまま錆びつくよりは良いだろう。

なんとなく嬉しそうに走るバスの車内で気づいた。音が静かで快適だ。リクライニングも出来る。
ガトゴトガタピシプシュプァーン、幾度となく繰り返される「ワンマン運転は一番前の扉からお降りください」放送その他、五月蝿かった騒音が何も聞こえない。
乗り換える手間はあるもののもしやこの代行バスの1時間は、ディーゼルカーの角張った座席に揺られて来た乗客達のひとときの安らぎになっているのかも知れない。

--ぽっぽや--

幾寅駅(映画『鉄道員(ぽっぽや)』の「幌舞駅」)、落合駅と立ち寄る。乗降客はもちろん居ない。
快適なバスの車内

落合駅前が道道1117号線の起点だった。北海道は広い。道道の番号が4桁も有る。
鹿が危うくバスに轢かれそうになる。
暗い狩勝峠国道をバスはひた走る。
小一時間の乗車で、見えて来た町は新得。
新得駅前にバスが着くと、一緒に乗って来たA子は電車に乗るために駅舎へ入った。彼女はこの先どこまで行くんだろう。

駅から徒歩数分の宮城屋旅館に投宿。本日ラストのバスが快適だったお陰で(?)わしらにも元気が戻っている。

石油ファンヒーターで暖かい部屋に荷物を置いた後は徒歩5分のセコマで明日の朝めしを調達。夜のセコマもこの町では貴重なオアシスだ。
駅方向へ緩やかな坂を上り、旅館並びの居酒屋で焼き鳥(豚バラ)、鰊、シシャモと酒の晩飯。
新得出身のご主人と札幌出身の女将、気のいい夫婦で楽しかった、根室本線廃線の話をすると「確かに石勝線だけ有れば困らんな」とご主人。聞くと車で1時間の帯広は生活圏だが、ばんえい競馬は未経験だそうだ。
良く呑んで23時の閉店に合わせて退散。暖かい部屋でよく眠る。

本日の乗車距離 527.5km
新規完乗路線 石北本線、留萌本線、根室本線
累計 2,120.4km
旅はいよいよ佳境へ。後半3日目と4日目(最終日)のプランはこちら

--北海道の重心地--

<3日目>

朝めしはセコマクリームパンにソフトカツゲン

カツゲンはいつも胃に優しい

07:30宿を出て、駅前を散策の後に0759発の代行バス104便に乗る。

北海道を海岸線で切り取って指の先に乗せるとそこが新得と言うことか。もちろん北方領土も入れるんだよね

ありがとう、ふらのバス

乗客はわしらの他に旅行者ひとり、通勤客かな?のおじさんがふたり。
昨晩は寄らなかったサホロリゾートが最初の停留所(乗降客無し)、落合駅(婆ちゃんふたり乗る)、幾寅駅(その婆ちゃんふたり降りる)。婆ちゃん達は駅のお掃除でもしてくれているんだろうか?

昨晩は真っ暗闇で誰一人見かけなかったが、明るい今朝も道中また誰一人見かけない。
定刻に東鹿越駅着。みんな降りて停まっている車両2478Dに乗り込む。

線路が千切れて始終点になり何やら脚光を浴びた感だが、実際は路線有数の過疎駅、ほぼ秘境駅

--おにぎり茶屋--

昨日は滝川駅から根室本線を南下して来たが、今日は富良野駅で降りて富良野線を旭川駅まで北上する。
富良野線728Dはキハ150形2両編成。美瑛や富良野の観光地を擁する富良野線も廃線対象だ。コロナ禍が無かったとしても観光客だけじゃ線路はもたない。新千歳空港や札幌駅から観光バスの方が便利だ。
富良野駅、7分の乗り継ぎで旭川行きに乗車。
1038美瑛駅。前回はここからノロッコに乗った。
1110旭川駅着。
宗谷本線比布駅にちょっと寄り道。
1235に旭川駅へ戻り、旭川駅前ビルのおにぎり茶屋で感動の昼めし。無条件でお奨めします!
このおでん定食が何と600円!本当は白ご飯だが、白ご飯欠品でいなり3個になった

駅へ戻りKIOSKで買い足しの後は1400発3026M、この旅3回目の特急ライラックで岩見沢駅。
時刻表では室蘭本線への乗り継ぎに6分有るはずが実測約2分で跨線橋を走らされる。まったく、何時間かに1本しか列車を走らせないくせに何故ここだけ急がせるのか訳が分からない。

室蘭本線はまたもキハ150 1470D。こいつにはもう乗り飽きた。
ノーザンファームの安平、早来を通って苫小牧駅。漆黒の闇を日高本線苫小牧駅〜鵡川駅往復キハ40-1785(2231Dと2232D)。そしてこの旅最後の普通列車、苫小牧駅〜東室蘭駅は448D生きた化石キハ143-153。やがて1953東室蘭駅に到着!

3日前に新函館北斗駅に上陸してから北上の後は南千歳駅からほぼぐるりと左回り一周して事実上ここ東室蘭がゴール。達成感は素晴らしいが普通列車の長時間乗車を舐めていた。長く乗るには特急のリクライニングシートが要る。

真ん中辺のループをぐるり左回り完乗。道内であと乗っていないJRは学園都市線と函館本線渡島半島の支線のみ

初日は民宿、昨日は旅館。今日は温泉大浴場付ホテルにグレードアップ。
最終目的地への到着時刻も、初日2200から日に日に1時間ずつ縮まっている。これはいい、だいぶ楽だし気分も上がる。
旅行割でホテル代は半額近くになり、1,000円の北海道クーポンも貰えた。

至近の居酒屋でホッキ貝刺し、タコ刺し、特製イカゴロ刺し、室蘭焼き鳥にザンギ。酒は根室「北の勝」と最北の酒蔵国稀酒造の「国稀」。美味かった。いつかさっちゃんと一緒にザンギを食べたいものだ。
カラオケスナックへ行く元気は何故か無く、珍しくおとなしく沈没。

本日の乗車距離 461.7km
新規完乗路線 富良野線、室蘭本線、日高本線
累計 2,582.1km

--日本一の坂--

<4日目>
ホテルの朝食の後、0900開店に合わせて駅レンタカーへ。レンタカーは大人の休日倶楽部パスのオプションで込み込み5,000円と安い。それに室蘭は3時間で制覇出来るこじんまりとした街で、最終日の息抜きにちょうど良い。

室蘭ツアーはこんな感じだった
0900 駅レンタカー屋発
0920 地球岬。スカッと晴れてたら素晴らしいんだが、あいにくの曇り空

水平線は少~し丸いかな
0940 JR室蘭駅
0950 旧室蘭駅(観光案内所)
徒歩で日本一の坂
何故か日本一の坂。後ろの廃屋が倒れて来そうで怖い

1005 戻る。旧室蘭駅でD51と館内資料の見物
1030 白鳥(はくちょう)大橋展望台

なかなかの景観。橋が赤けりゃサンフランシスコ

1050 道の駅
1110 白鳥大橋を渡る
1125 中嶋神社お詣りと御朱印

立派なお宮さんでした

1145 小がね 輪西店(12時に予約しておいた)
室蘭カツどんはご飯と鍋が別に出て来て豪華感が高い

やっぱカツどんはお昼のホームラン王ですね!

1220 発
1230 レンタカー返却
1339 東室蘭駅発 北斗12号に乗車。ここから東京駅までは特急と新幹線に「運ばれるヒト」
1540 北斗12号車内で聞いた競馬ジャパンカップは外れ
1552 新函館北斗駅着。最後のビールはサッポロ SORACHI1984ホップ。最終レースも外れ
1620 〃 発 新幹線はやぶさ40号
1900 サッカーW杯コスタリカ戦キックオフ。新幹線のWi-Fiはパンパンだ 
2032 東京駅着
...コスタリカに黒星...

最終日の乗車距離 1,034.1km
累計 3,616.1km。
26,620円の大人の休日倶楽部パスでkmあたり7.4円となりました。
高いか安いか、試すなら、線路が有る内に行きましょう!

降雪積雪の前に済ませて良かった廃線候補完乗。
以上でモノ好き道中終わり、正確な運行をありがとうございました、JR北海道殿!

今回もきっぷはいい感じに汚れました!

(了)

2022年11月15日火曜日

♪冬が来る前に-2/飯田線秘境駅探訪Again

「飛び道具とは卑怯なり」
もとい、
「飛び道具(ドローン)で秘境駅」

飯田線秘境駅探訪は2年前に、小和田駅下り&上り登山を中心に北から千代駅、金野駅、為栗駅、平岡駅(泊)、伊那小沢駅、中井侍駅、小和田駅と秘境駅をひと通り回ったのだが、やり残しがふたつ有った。
ひとつは車で行ける最強の秘境駅「金野駅」まで折角行ったのに、ドローン空撮をし忘れたこと、
もうひとつは「ニッポンの秘境駅No.5」田本駅に辿り着けなかったことだ。

2年前の金野駅。ご覧のようにドローン飛ばしスペースが広い

今回のプランは呻吟を重ねて、超マニアックな「金野駅発着の箱ダイヤ乗り鉄」企画となった。その行程は、
0630 金野駅に到着。駅前にクルマを停める
0648 伊那松島行き1501M
0651 千代駅で降りる。千代駅探索Again
0657 豊橋行き1400M
0713 田本駅で降りる。初散策
0720 伊那松島駅行き1503M
0734 金野駅で降りる。0744頃に金野駅を通過する普通列車528M豊橋駅行きを撮影する
0825 飯田駅行き1507M
0852 毛賀駅で降りる。この辺は乗り継ぎの時間調整
0900 天竜峡駅行き202M
0911/0914発 天竜峡駅乗り換え、1504M中部天竜駅行き
以下、主要駅の時刻
0922 金野駅 飯田線で最も乗降客数が少ない駅
0937 田本駅 駅へのアプローチは山道
0947 為栗駅 駅へのアプローチは吊り橋のみ
1006 中井侍駅 茶畑の底の駅
1011 小和田駅 駅へのアプローチは30分以上山道を下る
1016 大嵐駅
この先、5,063mの大原トンネルを通る
1023 水窪駅着、下車
1105 豊橋行き特急伊那路を撮影
1106 水窪駅発511M
1112 大嵐駅
1117 小和田駅 2022年度ニッポンの秘境駅 第3位
1122 中井侍駅 〃 10位
1140 為栗駅 〃 13位
1148 田本駅 〃 5位
1201 金野駅(GOAL) 〃 6位
と言う、マニア垂涎の箱ダイヤである。

きっぷは、土日のみ販売されているJR東海「青空フリーパス」が有り、気兼ねなく乗れる。このきっぷは天竜峡駅で買えるので、金野駅へ行く前に立ち寄って入手する。

この区間の普通列車1日乗り放題。おとな2,620円


素晴らしい計画だったが、天候悪化の予報も有り、帰路の渋滞も考慮して、このフル計画は前泊した飯田のホテルで少々縮小された。
絞り込んだ結果、
1) 金野駅を通過する普通列車を撮影、駅上空を空撮
2) 田本駅へ徒歩で到達
3) 美和ダムの道の駅長谷に寄りたいので飯田線乗車を省略して、早めに退散する
と言うシンプルなものになった。基本的には撮り鉄>乗り鉄なので、飯田線に乗るのが少し面倒になってしまったのだ(笑)

そう言うわけで0730金野駅到着を目指して、飯田のホテルを0620頃に出発した。
低いところはところどころ霧が深い。やがて金野駅の入口にかなり近づいたところで絶景の雲海に出会った。山城のような風景が眼下に拡がる。

ホントに山城のよう

そして金野駅への右折。この林道は途中からクルマ1台ギリギリ幅の崖(がけ)道になるので運転にかなり自信が有る者以外は入らない方がいい。但し、秘境駅オタ以外の車は来ないので、すれ違いをさほど心配する必要は無い(すれ違いは不可能)。2kmほど進んで手前集落の最後の人家、狭い林道はここから、と言うところに有ったのが無念の看板。
鉄道駅なのに、金野駅まで行けませんとはどういう事か!
万一金野駅で降りた人が居たらどうするのか!
迂回路は無いのか!
等とほざいても無駄(誰も乗り降りしないんです)。
まったくもう

引き返さざるを得なかった。
元々の箱ダイヤ飯田線乗車計画で、きっぷを買ってここまで来ていたらくじけていたところだ。
しかし今は違う(笑)、次の「田本駅探索」に切り替える。

田本駅は前回、降り口がわからず時間も足りずに諦めたが今回は下調べ済みだ。
有った、有りました田本駅への下降案内看板。コーラの販売機が目印です。

降り口はガードレールの切れ目。多分、田本駅、と書いてある

ガードレールの切れ目は向かいのコーラ販売機が目印。販売機側の手前50㍍位の所に駐車出来るスペースが有る

小和田駅もそうだがなぜ駅との往来がこんな山道なのか。ちょっと下り道を追ってみましょう。
降り始め。既に道としてやる気なし

竹捨て場。コンクリートうちっ放しのこんな道がずっと続く

ところどころガードレールが現れる

この辺は平坦でやや楽

強烈な下り(帰り道が嫌になる)

やがて唐突に現れる線路とホーム。川面に近い小和田駅よりも、かなり中腹を貫いている。先にトンネルが観えるが、足元もトンネルだ。右の崖下がプラットホーム

駅に入る唯一の階段。Not バリアフリー

そして到着。駅名標をはじめ、ホームは綺麗



急坂を下ること15分弱、やがて田本駅への入り口階段が現れる。人の声がしたが誰も居ない。暫くすると駅のホームのスピーカーから飯田線上り下りとも数分遅れているとのアナウンスが流れた。人の声はこれだった。

あいにく電車はしばらくやって来ないのでドローンを飛ばした。トンネルに挟まれたわずかな場所で、駅である必要は本来は、無い。

帰りは急登なので杖になりそうな枝を拾って、息を切らしつつ休み休み登って20分強。小和田駅に比べると距離は半分以下の軽登山。小和田駅の難易度がわかる。

上の道路に辿り着いた頃、列車到着の音がした。飯田線は気動車で無く電車なのでレトロ感が無いところは少々残念だ。


帰路は、ニッポンの原風景と紅葉を楽しみながら下道を北上した。道の駅でりんごと干し柿干し芋などを買う。この時期は色んなものが美味い。
やがて伊那で三峰川沿いに右折して高遠、美和ダムから道の駅 南アルプスむら長谷。お目当てのクロワッサンはやはり店頭売り無し、但し試食品が出ていたのですかさず1個頂く。
高遠は城下町で、城址公園の桜祭りは素晴らしい。歴史を感じさせる、落ち着いた町だ。

ここからは更に原風景度が高まる国道152号線高遠スケッチ街道で茅野。
右に入れば入笠山だが、今年は一度も行けなかった。思えば今年のキャンプも1回きり、釣った魚もイワナ1匹だけだった。アクティビティが減っているのは寂しい限りだ..

かくして、2日間走行距離860kmに渡る♪冬が来る前に~作戦は無事に幕を閉じた。
しかしこう言う旅は行ったら行ったでまたやり残し課題を残す。
雪が溶けたらまたきっと、塩の道陽刻お地蔵さん探しと飯田線金野駅へ出かけているに違いない。
Special Thanks を 塩の道資料館管理人&案内人のご婦人へ
(了)

2022年11月13日日曜日

♪冬が来る前に/塩の道と大糸線(西)

「敵に塩を送る」
上杉謙信が武田信玄へ送った義塩、が事実として有ったならば運ばれた道は千国(ちくに)街道の塩の道、呼称:千国古道。

今は国道147、148号線で有り、JR大糸線。フォッサマグナの西端を糸魚川駅から松本駅まで、線路をつなぐのが大糸線。
今でも塩の道祭りが道中の長野県小谷(おたり)村で毎年行われている。

今春JR南小谷駅近くの売店で酒と共に買った「ほおずき書籍『古道 塩の道(著者:府川公広氏)』」と言う本が私を塩の道へ誘(いざな)った。

上越と信州をつなぐ大糸線と国道148号線は急流姫川沿いに作られ、暴れ川で幾度も壊滅した。対して塩の道は元々、姫川を避けて峠を越す山道だったのでこれら開発や災害に巻き込まれずに今に残った、と言うのが著者の談。
しかしそれにしても塩の道は、山奥過ぎる道を踏んでいる。

大糸線根知駅から、フォッサマグナパークを左手に見て南東に登る根知谷上流の「しろ池」の東側、廃集落戸土(とど)から続く鳥越峠みちに、珍しい「陽刻」のお地蔵さんが有ると言うのに惹かれた。

本の情報(ネットにも上がっている)と国土地理院1/25,000地形図で調べると、我が自転車「快速しらかば号」なら辿り着けそうに見えた。

我が心をわしづかみにした、陽刻のお地蔵さん。凸の文字で「左 ゆみち」「右 よこ川」と彫ってある(写真はネットから拝借)

折しもJR大糸線のJR西管轄区間(糸魚川駅~南小谷駅間)は廃線の危機に瀕している。

大糸線JR西区間(以下、大糸線(西))へは過去に2度行っている。一度は糸魚川から全駅寄りながら車で国道を南下した「廃線されても代替道路はしっかりしているか」のチェック旅。
2回目は実際に列車に乗って「無くて良いかどうか」を感じた旅だ。

糸魚川駅から大糸線に乗ると大きく左にカーブして最初の姫川駅を過ぎたところにセブンイレブン糸魚川大野店(新潟県)が有る。
国道も大糸線も姫川に沿って南下するが、このセブンから北小谷(きたおたり)に有る次のコンビニ(ローソン小谷店、長野県)までは何と30.4kmも有る。離島やへき地ならともかく本州の国道沿いに30kmもコンビニが無い場所なんて恐らくここだけだろう、それが即ち大糸線(西)区間なのである。

長野県最北のローソン。次のコンビニ(糸魚川のセブン)まで30.4km

実際に車で走ればこの区間は、ほとんどがトンネルで有ることがわかる。狭い国道を大型がブンブン飛ばしている。トンネルの間のわずかな境目ごとに、大糸線の駅に降りる道がある。大糸線もトンネルと鉄橋を駆使して難所をトコトコと走り切る。

日に上り下り合わせて15本ほどしか走らない大糸線(西)の、唯一の交換駅が根知駅。1日に3回、上り下り列車が並ぶ時間が有る。

1038根知駅交換。
根知駅から「しろ池」まで車で20分。
ここで「塩の道千国古道自転車乗り」と「大糸線(西)撮り鉄」が繋がった。

自宅から根知駅までは約300km、安曇野ICまで高速道路。時間調整は長野県最北のローソン。
雪が降れば自転車には乗れなくなるし、大糸線(西)もいつまでもつかわからない。11月半ばのワンチャンス。車のタイヤはスタッドレスに履き替えてある。

そんなプランで土曜の午前10時20分に、計画通り根知駅に居た。


早速撮影ポイントを物色する。
ドローンで撮るなら駅東側の畑の間の道路から、スマホで撮るなら駅南側。迷ったがドローンだとガタンゴトンとか踏切の音が入らないのでここはスマホ撮影を選択した。

やがて踏切音と共に糸魚川方向からの列車が1両編成で到着した。フォッサマグナパーク見物らしい2人が降りる。
右側から糸魚川駅行が1両で到着。めでたく根知駅に2台が並んだ。1両✕2が1038、同時に根知駅を離れていく。課題①をクリア。

上り下り列車交換。動画はここに

次はしろ池駐車場に車を停めて、積んできた自転車「快速しらかば号」で陽刻お地蔵さん探し。
しろ池に着く前に「塩の道資料館」に立ち寄らねばならない。

明るく拓けたこの谷には奥深くまで人が住んでいる。糸魚川シーサイドバレースキー場の大駐車場が延々と並ぶ。ブームはとうの昔に去ったが、山の上から日本海を観ることが出来るスキー場で、距離的には富山や新潟からの客が中心だろう。温泉も有るので冬は賑やかに違いない。

油断して塩の道資料館に寄らないまま、しろ池駐車場に着いてしまった。ルートの下調べは済んでいるので自転車を降ろしてヘルメットに手袋を付け、行動食を入れたナップザックを背負う。

登って来た道を下る途中の、雨飾山絶景の場所にお地蔵さん、かわいそうに蜘蛛の巣を被っていたので枝で払いのけた。道中の無事を祈念させて頂く。

立ち入り禁止の看板がものものしい岩魚養殖場を越して、自転車で急登する。きのこ盗難防止の見張りが居る。この時期はどこもものものしい。
秋の渓流釣りで松茸山なんかに不用意に近づくと皆血走っていて、猟銃で撃たれそうな勢いで怖いことがある。
やがて簡易舗装路が終わると北小谷小学校戸土分校廃校跡、ここ(旧)戸土集落は長野県だった。新潟県側からしか入れない長野県。既に戸土集落は離村しており、この分校は昭和49年閉校らしい。

これが分校なのかそれとも民家か

周辺には定住者は居ないので有ろう2軒の民家と、幾つものお墓が有る。人が住んでいた証と言うことか。
人の声がするので何だろうと登って行くと、林道にチェーンが掛かったゲートの手前に白地鉱泉なる水汲み場が有って、数人の土民が水を汲んでいた。自転車で近付くと、この先は抜けられませんよと言う。

ゲートの脇を通して自転車を上げようかと考えたが、まずは自転車を地球ロックして徒歩で進むことにした。その先は、さすがの快速しらかば号でも太刀打ちできない砂利道の急登だった。自転車を置いて来たのは正解。汗をかきながら10分ほど登ると分岐が有り迷う。既にスマホの電波は無く、GPSを頼りに直進する。
やがて送電線の鉄塔に辿り着くが、GPSが示すお地蔵さんはこの辺から山中に少し入ったところ。鉄塔の少し下の倒れた道しるべの奥に踏み跡が有った。勇躍突入する。恐らく多分この辺なんだろうけど、お地蔵さんは見つからない。そもそも大きさも判らないので藪に埋もれていたらわからない。もう少し踏み込もうか迷ったが、林道の方角がわかる内に戻ることにした。それでもやや遭難にビビりつつ、どうにか林道に戻る。

陽刻お地蔵さん探しに突入した場所。地図を見なおすと、場所は恐らくここで合っている

林道を下って先ほどの分岐を今度は左へ。今下って来た林道と平行の道なら、まだお地蔵さんの可能性は有る。登って行くと左に大きく深い谷が現れた。さっきのお地蔵さん探しでもう少し踏み込んでこの谷に落とされていたなら、間違いなく彷徨っていたところだ。たったひとりで少しの水しか持たず、電波も圏外。こんなところで遭難していたらと思うとぞっとする。

やがて上空に電線が現れ、鉄塔の高さまで登って来たことを確認する。
周囲を窺うと谷へ降りる林業用作業テープの目印が有ったので、テープを見失わないところまで降下してみる。捜索するがお地蔵さんの手がかりは無かった。あきらめて林道へ上がり、陽刻地蔵さんには縁がなかった、遭難しなくて良かった、熊に遭わなくて良かったと思い直して、来た道を下った。
もう一方の林道からの降下地点付近。お地蔵さんが居そうな匂いがするんだが..

自転車をつないだゲートまで戻ると先ほどの土民は既に居らず、ちょうど軽トラに乗った御仁が鉱泉の点検に来たようだった。「飲めるんですか?」と聞くと「少ししょっぱいよ」とのことだったので水筒のふたにすくってひと口頂いた。多分無臭の硫黄分だろう「呑む温泉」の味がした。美味しかった。ご馳走さん、と告げて坂を下る。

途中でさっきの土民たちが道の真ん中に座っていた。自転車が通るのにどこうともしない。何なんだあの土民連中は(しかも家族連れ)。

こんな道を登って来たのかと思うくらいの急坂をスリップ寸前のフルブレーキで下った。養魚場を越えて坂の途中の絶景のお地蔵さん。遭難からきっと守ってくれたに違いない。ありがとうございました。

車にそそくさと自転車を積むと、次は大糸線「小滝駅」での列車撮影。塩の道資料館は後回し。首尾よく列車の到着に間に合った。撮影後はまたも根知谷へ、塩の道資料館を探しに戻る。まったくもの好きである。

何とこの時の小滝駅では、糸魚川駅行き列車からひとりの客が降りた。中年女性で、駅から国道に出て糸魚川方向へ歩き始めたから県道に入って小滝川を渡ったところに有る小滝地区の住民と思われる。
JR西が発表する小滝駅の乗車人員(乗車客)はここ数年ずっと2人/日であり、その内のひとりに邂逅したのだから興味深い。

閑話休題、古い民家をそのまま使った「塩の道資料館」は県道から右の高台に上がった古道に有った。入場料400円を払うと管理人兼案内係のご婦人が1階から屋根裏部屋まで丁寧に、説明してくれた。庄屋さんの家、太い柱に分厚い床。農機具が並べられた屋根裏部屋は驚くほど広い。
このお宅のご主人が使っていたのだろう、蓄音機が何台も並んでいる。京都のお寺に納めた丸太を運ぶ橇(そり)は、太い1本の桜をくり抜いたもので4㍍も有る。山の中で、貧弱な道具で、小柄な当時の民がどのようにしてこれを作ったのか。不思議としか言いようがない。ちなみに歩荷(ぼっか)が担いだ塩は約48kgだったそうだ。

ようやくやって来た塩の道資料館。奥が庄屋さんの古民家

ご婦人に、さっき探しに行ったが見つからなかった、と、陽刻のお地蔵さんのことを聞いた。ご婦人はその存在を知らなかったが、戸土のゲートの上だと言うと、「鳥越峠の道だ。あの道はもう長いこと草払いもしていないから今は通れない」と言う回答だった。結局は自転車を結んだあのゲートが「とどのつまり」なので有った。

まさに「とど(戸土)のつまり」を地で行く道しるべ

そう言うわけで、今年の塩の道探訪は終わった。
もう一度小滝駅へ戻る。今度は鉄橋を渡る大糸線の列車を撮るのだ、鉄分補給はまだ続く。
♪冬が来る前に/塩の道と大糸線(西)(了)
さーて、飯田へ向かおう!