2022年11月13日日曜日

♪冬が来る前に/塩の道と大糸線(西)

「敵に塩を送る」
上杉謙信が武田信玄へ送った義塩、が事実として有ったならば運ばれた道は千国(ちくに)街道の塩の道、呼称:千国古道。

今は国道147、148号線で有り、JR大糸線。フォッサマグナの西端を糸魚川駅から松本駅まで、線路をつなぐのが大糸線。
今でも塩の道祭りが道中の長野県小谷(おたり)村で毎年行われている。

今春JR南小谷駅近くの売店で酒と共に買った「ほおずき書籍『古道 塩の道(著者:府川公広氏)』」と言う本が私を塩の道へ誘(いざな)った。

上越と信州をつなぐ大糸線と国道148号線は急流姫川沿いに作られ、暴れ川で幾度も壊滅した。対して塩の道は元々、姫川を避けて峠を越す山道だったのでこれら開発や災害に巻き込まれずに今に残った、と言うのが著者の談。
しかしそれにしても塩の道は、山奥過ぎる道を踏んでいる。

大糸線根知駅から、フォッサマグナパークを左手に見て南東に登る根知谷上流の「しろ池」の東側、廃集落戸土(とど)から続く鳥越峠みちに、珍しい「陽刻」のお地蔵さんが有ると言うのに惹かれた。

本の情報(ネットにも上がっている)と国土地理院1/25,000地形図で調べると、我が自転車「快速しらかば号」なら辿り着けそうに見えた。

我が心をわしづかみにした、陽刻のお地蔵さん。凸の文字で「左 ゆみち」「右 よこ川」と彫ってある(写真はネットから拝借)

折しもJR大糸線のJR西管轄区間(糸魚川駅~南小谷駅間)は廃線の危機に瀕している。

大糸線JR西区間(以下、大糸線(西))へは過去に2度行っている。一度は糸魚川から全駅寄りながら車で国道を南下した「廃線されても代替道路はしっかりしているか」のチェック旅。
2回目は実際に列車に乗って「無くて良いかどうか」を感じた旅だ。

糸魚川駅から大糸線に乗ると大きく左にカーブして最初の姫川駅を過ぎたところにセブンイレブン糸魚川大野店(新潟県)が有る。
国道も大糸線も姫川に沿って南下するが、このセブンから北小谷(きたおたり)に有る次のコンビニ(ローソン小谷店、長野県)までは何と30.4kmも有る。離島やへき地ならともかく本州の国道沿いに30kmもコンビニが無い場所なんて恐らくここだけだろう、それが即ち大糸線(西)区間なのである。

長野県最北のローソン。次のコンビニ(糸魚川のセブン)まで30.4km

実際に車で走ればこの区間は、ほとんどがトンネルで有ることがわかる。狭い国道を大型がブンブン飛ばしている。トンネルの間のわずかな境目ごとに、大糸線の駅に降りる道がある。大糸線もトンネルと鉄橋を駆使して難所をトコトコと走り切る。

日に上り下り合わせて15本ほどしか走らない大糸線(西)の、唯一の交換駅が根知駅。1日に3回、上り下り列車が並ぶ時間が有る。

1038根知駅交換。
根知駅から「しろ池」まで車で20分。
ここで「塩の道千国古道自転車乗り」と「大糸線(西)撮り鉄」が繋がった。

自宅から根知駅までは約300km、安曇野ICまで高速道路。時間調整は長野県最北のローソン。
雪が降れば自転車には乗れなくなるし、大糸線(西)もいつまでもつかわからない。11月半ばのワンチャンス。車のタイヤはスタッドレスに履き替えてある。

そんなプランで土曜の午前10時20分に、計画通り根知駅に居た。


早速撮影ポイントを物色する。
ドローンで撮るなら駅東側の畑の間の道路から、スマホで撮るなら駅南側。迷ったがドローンだとガタンゴトンとか踏切の音が入らないのでここはスマホ撮影を選択した。

やがて踏切音と共に糸魚川方向からの列車が1両編成で到着した。フォッサマグナパーク見物らしい2人が降りる。
右側から糸魚川駅行が1両で到着。めでたく根知駅に2台が並んだ。1両✕2が1038、同時に根知駅を離れていく。課題①をクリア。

上り下り列車交換。動画はここに

次はしろ池駐車場に車を停めて、積んできた自転車「快速しらかば号」で陽刻お地蔵さん探し。
しろ池に着く前に「塩の道資料館」に立ち寄らねばならない。

明るく拓けたこの谷には奥深くまで人が住んでいる。糸魚川シーサイドバレースキー場の大駐車場が延々と並ぶ。ブームはとうの昔に去ったが、山の上から日本海を観ることが出来るスキー場で、距離的には富山や新潟からの客が中心だろう。温泉も有るので冬は賑やかに違いない。

油断して塩の道資料館に寄らないまま、しろ池駐車場に着いてしまった。ルートの下調べは済んでいるので自転車を降ろしてヘルメットに手袋を付け、行動食を入れたナップザックを背負う。

登って来た道を下る途中の、雨飾山絶景の場所にお地蔵さん、かわいそうに蜘蛛の巣を被っていたので枝で払いのけた。道中の無事を祈念させて頂く。

立ち入り禁止の看板がものものしい岩魚養殖場を越して、自転車で急登する。きのこ盗難防止の見張りが居る。この時期はどこもものものしい。
秋の渓流釣りで松茸山なんかに不用意に近づくと皆血走っていて、猟銃で撃たれそうな勢いで怖いことがある。
やがて簡易舗装路が終わると北小谷小学校戸土分校廃校跡、ここ(旧)戸土集落は長野県だった。新潟県側からしか入れない長野県。既に戸土集落は離村しており、この分校は昭和49年閉校らしい。

これが分校なのかそれとも民家か

周辺には定住者は居ないので有ろう2軒の民家と、幾つものお墓が有る。人が住んでいた証と言うことか。
人の声がするので何だろうと登って行くと、林道にチェーンが掛かったゲートの手前に白地鉱泉なる水汲み場が有って、数人の土民が水を汲んでいた。自転車で近付くと、この先は抜けられませんよと言う。

ゲートの脇を通して自転車を上げようかと考えたが、まずは自転車を地球ロックして徒歩で進むことにした。その先は、さすがの快速しらかば号でも太刀打ちできない砂利道の急登だった。自転車を置いて来たのは正解。汗をかきながら10分ほど登ると分岐が有り迷う。既にスマホの電波は無く、GPSを頼りに直進する。
やがて送電線の鉄塔に辿り着くが、GPSが示すお地蔵さんはこの辺から山中に少し入ったところ。鉄塔の少し下の倒れた道しるべの奥に踏み跡が有った。勇躍突入する。恐らく多分この辺なんだろうけど、お地蔵さんは見つからない。そもそも大きさも判らないので藪に埋もれていたらわからない。もう少し踏み込もうか迷ったが、林道の方角がわかる内に戻ることにした。それでもやや遭難にビビりつつ、どうにか林道に戻る。

陽刻お地蔵さん探しに突入した場所。地図を見なおすと、場所は恐らくここで合っている

林道を下って先ほどの分岐を今度は左へ。今下って来た林道と平行の道なら、まだお地蔵さんの可能性は有る。登って行くと左に大きく深い谷が現れた。さっきのお地蔵さん探しでもう少し踏み込んでこの谷に落とされていたなら、間違いなく彷徨っていたところだ。たったひとりで少しの水しか持たず、電波も圏外。こんなところで遭難していたらと思うとぞっとする。

やがて上空に電線が現れ、鉄塔の高さまで登って来たことを確認する。
周囲を窺うと谷へ降りる林業用作業テープの目印が有ったので、テープを見失わないところまで降下してみる。捜索するがお地蔵さんの手がかりは無かった。あきらめて林道へ上がり、陽刻地蔵さんには縁がなかった、遭難しなくて良かった、熊に遭わなくて良かったと思い直して、来た道を下った。
もう一方の林道からの降下地点付近。お地蔵さんが居そうな匂いがするんだが..

自転車をつないだゲートまで戻ると先ほどの土民は既に居らず、ちょうど軽トラに乗った御仁が鉱泉の点検に来たようだった。「飲めるんですか?」と聞くと「少ししょっぱいよ」とのことだったので水筒のふたにすくってひと口頂いた。多分無臭の硫黄分だろう「呑む温泉」の味がした。美味しかった。ご馳走さん、と告げて坂を下る。

途中でさっきの土民たちが道の真ん中に座っていた。自転車が通るのにどこうともしない。何なんだあの土民連中は(しかも家族連れ)。

こんな道を登って来たのかと思うくらいの急坂をスリップ寸前のフルブレーキで下った。養魚場を越えて坂の途中の絶景のお地蔵さん。遭難からきっと守ってくれたに違いない。ありがとうございました。

車にそそくさと自転車を積むと、次は大糸線「小滝駅」での列車撮影。塩の道資料館は後回し。首尾よく列車の到着に間に合った。撮影後はまたも根知谷へ、塩の道資料館を探しに戻る。まったくもの好きである。

何とこの時の小滝駅では、糸魚川駅行き列車からひとりの客が降りた。中年女性で、駅から国道に出て糸魚川方向へ歩き始めたから県道に入って小滝川を渡ったところに有る小滝地区の住民と思われる。
JR西が発表する小滝駅の乗車人員(乗車客)はここ数年ずっと2人/日であり、その内のひとりに邂逅したのだから興味深い。

閑話休題、古い民家をそのまま使った「塩の道資料館」は県道から右の高台に上がった古道に有った。入場料400円を払うと管理人兼案内係のご婦人が1階から屋根裏部屋まで丁寧に、説明してくれた。庄屋さんの家、太い柱に分厚い床。農機具が並べられた屋根裏部屋は驚くほど広い。
このお宅のご主人が使っていたのだろう、蓄音機が何台も並んでいる。京都のお寺に納めた丸太を運ぶ橇(そり)は、太い1本の桜をくり抜いたもので4㍍も有る。山の中で、貧弱な道具で、小柄な当時の民がどのようにしてこれを作ったのか。不思議としか言いようがない。ちなみに歩荷(ぼっか)が担いだ塩は約48kgだったそうだ。

ようやくやって来た塩の道資料館。奥が庄屋さんの古民家

ご婦人に、さっき探しに行ったが見つからなかった、と、陽刻のお地蔵さんのことを聞いた。ご婦人はその存在を知らなかったが、戸土のゲートの上だと言うと、「鳥越峠の道だ。あの道はもう長いこと草払いもしていないから今は通れない」と言う回答だった。結局は自転車を結んだあのゲートが「とどのつまり」なので有った。

まさに「とど(戸土)のつまり」を地で行く道しるべ

そう言うわけで、今年の塩の道探訪は終わった。
もう一度小滝駅へ戻る。今度は鉄橋を渡る大糸線の列車を撮るのだ、鉄分補給はまだ続く。
♪冬が来る前に/塩の道と大糸線(西)(了)
さーて、飯田へ向かおう!

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