2016年12月10日土曜日

2016ジブリ忘年会(2016年12月7日(水))

今年はバロッサをお借りして総勢約70名の大所帯。

http://a.scn.jp/pub/1yAak3J

投票結果
1位 トトロ
2位 おソノさんの旦那
3位 シータDX
年々クオリティが増すジブリ大会。いったいいつまでどこまで続くのか‥
なお3クール目放映を記念して今回は勇者ヨシヒコ一行も参戦。
ちなみに、
勇者ヨシヒコ 高森
ダンジョー ザキヤマ
メレブ 中山
仏 山谷
ヒサ 山田
ムラサキ なっちゃん(NA社)
皆さん今年もお疲れ様でした!

2016年11月8日火曜日

【HSN】2016初冬の入笠山探検隊


アルバム「2016初冬の入笠山探検隊」

思い返せば宏美さん入笠山初陣の2年前は雨で、星はひとつも観えなかった。
寿退職の送別会を入笠山のハウスで。宏美さん送別会@入笠山(HSN)は怨念にも似た「星空リベンジ」の使命をも帯びつつ、仲間たちは続々と参集して総勢10名の大軍団が結成された。

2016年11月5日(土)
富士見Jマート駐車場に11時集合予定。傷だらけ号、横濱号、TB号のクルマ3台ともみな優秀で10:35に集まり早速山登りに入る。首切清水で小休止の後に展望台へ。八ヶ岳連峰を最大級の青空が取り囲む。このまま天候がもってくれれば星空リベンジも可能なんだが..

今夜の星空に希望が持てるような青空と笑顔
 11時過ぎ、ハウス方面の細道へ入ると三澤さんの軽とたまたますれ違った。さっそく小屋へ連れて行ってくれる。天体観測の人が寝てるのでまずはその部屋以外、12畳×3部屋を借り切る。真ん中を宴会場、左右を男女部屋に分けてまずは荷物を運び入れようとしたその時!!

<第1話>ミサワ村突然の来襲
魔物が現れた!
我ら勇者ヨシヒコ一行に立ち塞がるように魔物が現れた!
メレブが呪文で応戦する
何の呪文を覚えたのか?
 どうやら呪文では倒せないようだ。ダンジョーが斬り掛かる!
ダンジョーのコスチューム、低予算で作り過ぎてボロボロ..
なかなか手ごわい魔物だ。ヒサとムラサキも心配そうに見ている。
ムラサキの肩には鳥も居る。両名完成度高し
こうなれば総力戦しかない。
右から魔物、ヨシヒコ、メレブ、ムラサキ、ダンジョー、仏
 どうにか魔物をやっつけた。しかし一安心したのも束の間!
祠(ほこら)の中に2匹目の魔物カンダタが居た!
(続く)



2016年9月22日木曜日

<3年連続出場&5名全員完走!>ツール・ド・東北2016

連続3回目の出場となる2016ツール・ド・東北。復興支援を目的に2013年から始まった同大会だが、我らは第2回の14年大会から参戦。
ここまでを振り返ってみると下表の通り、監督を除く延べ出場選手は12名になった(数字はkm)。

2014年大会(初参戦)

東雲の自転車を借りて初出場(初自転車大会)、緊張の面持ちで女川の町を走るtanakabucho。この写真はまだ20km地点、これから悶え苦しむ地獄の登り坂に幾つも遭遇することになる
2015年大会

津波で流された女川駅が高台に移って開通していた。前年14年のライドではまだビルが横倒しになったままの旧女川町内を走ったがこの年からバイパスに変わった。我がチームの100km参戦も始まった
そして今年もやって来た2016年大会‥
星野総監督と宮臺の初参戦に、何と170km南三陸フォンドに中山と宮臺が挑むと言う新たなステージを迎えた2016年大会。
中山傷だらけ号に二瓶、tanakabuchoローラ号に堀内、宮臺は諸般の事情で単独、そして総監督も諸般の事情で新幹線はやぶさ号立ち席特急券でそれぞれに向かった石巻。

2016年9月17日(土)
いわきまでは晴れていた常磐道を選んだローラ号は「ニッポンのチェルノブイリ」を未だ見ていなかった堀内ヒデキの社会科見学を兼ねて広野ICで降り、車でしか通過出来ない富岡〜双葉〜南相馬の国道6号線を北上する。
この区間は帰宅困難高濃度区域で「いちえふ(福島第一原発のことを今はこう呼ぶ)」のすぐ脇を通る。自動車以外、即ち歩行者・自転車・軽車両・原付・自動二輪車の通行は禁止されている。途中の信号はすべて黄色点滅、要は停車しないで走り抜けなければならない区間で、交差する道や家々の入口はすべてバリケードで封鎖されていてそこかしこに警備員や警官が立って居る。

この区間14kmの建物はすべて放置され片付けさえもされないからまるで営業中のように、そこら中に看板が出たままになっている。しかしパチンコ屋は傾きガソリンスタンドは廃れ、中古車屋の中古車も放置されて生い茂った雑草に埋もれている。ファミリーマートも1店舗放置されたままそこに残る。街道沿いの立派な家々も主を失ってただただ建ちすくんでいる。

ENEOSの看板は出ているが営業はしていない、片付けにも入れない区域。家々1軒ずつの前もバリケードで封鎖されている。この状態は6号線開通時から変わっていない

震災から5年6ヶ月。使い古された言葉だがここだけ時間が止まっている。
とは言え時間は進む。
今は建っている建物もやがて痛み腐り傾き倒れる。この街道沿いをすべて更地にして棄てる時期が来る。
6号線の開通は往来を良くしたが、何も手がつけられない現状をさらけ出したものとも言える。
もう取り外されて暫く経つが、tanakabuchoが再開通後初めてここを通った時はまだこの看板がバリケードの向こう側に有った。原発は雇用とカネを生み、地元を潤した。
長い期間に渡って恩恵を受けた住民も沢山居たはずだ
やがて南相馬で帰宅困難高濃度区域が終わると今度は原発事故でなく津波被害が大きかった地域に入る。シュウイチが住む南相馬だ。
東日本大震災
津波浸水区間
ここから
の看板とともに一面の枯れ野原に風景が変わる。野原には除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグと呼ばれるでかい黒い袋がまるで堤防のように積まれている。
南相馬市小高区に入る。何だか横浜市鶴見区のような政令指定都市風ネーミングである。
小高区に入るとようやくヒトの生活臭が漂い始める。すき家も現れる。
6号線を左に折れ、まだ不通区間の常磐線桃内駅〜小高駅間のサビサビ線路の踏切を渡って突き当りを右折、暫くして右折すると正面に小高駅。

シュウイチの家は多分これだろうと家のそばを巡回するが表札も無くシュウイチが居るかもわからずもちろん何の連絡もしていないので、とりあえず駅前のPに駐車し、tanakabuchoは再開業した小高駅を覗いて時刻表と乗車駅証明書を頂戴した。小高駅からまだ東京方面へは行けず、仙台方面も相馬駅までだ。


♫どこかで掛け違えてきて 気がつけばひとつ余ったボタン♫
はMr.Childrenの名曲「くるみ」
駅舎から出ると堀内が何やら地元民と親しげに話し込んでいた。近づくと紛れも無くシュウイチで有った!
聞くと①ツイッターを見ていた②そろそろかと外を見ると堀内らしきヒトが居た③後方に見える初心者マーク付きの軽バンが愛車④買い物は原町方面へ出なければ出来ない と言った状況だそうだが何しろ元気そうで良かった。何もお土産を持って来なかったことを侘びつつ、小高駅の証明書を見ての通り時刻は13時を回り石巻専修大学14:45集合に間に合わないばかりか星野総監督石巻駅着15:17にも微妙な時間になって来ている状況であることから(目的地まで何しろまだ130km以上有るのだ)、我々は惜しみつつも再開を約束して別れた。
来年はシュウイチもツール・ド・東北に出場するそうだからその時は同じ道を来てここでピックアップしよう。

3.11をtanakabuchoに書かせると長くなる。3.11南相馬市の犠牲者数は約1千人。これから行く石巻市は約3千5百人余が亡くなった。道中の町々でも多数の犠牲者が出た。津波は天災、原発事故は人災。5年6ヶ月経過。改めて合掌。

さてこのままでは間に合わないし紙面も尽きるのでペースを上げる。南相馬ICから再度常磐道に乗る。南相馬鹿島SAでなみえ焼きそばの昼飯。相馬、山元、亘理、岩沼、名取、多賀城、塩釜、利府、松島、奥松島と名だたる被災地を通過してやがて石巻。なみえ焼きそばは他のメニューより少々調理時間が掛かり、昼メシを喰い終わって南相馬鹿島SAを出たのが14時10分。あと110km、石巻駅での総監督迎えは10分遅れと目星を付けていた。

そんなこんなで総監督石巻駅ピックアップはおおよそ予定通りの15:20。マンガッタンライナー車両で運用の15:24発あおば通行きが総監督の到着と入れ替わりに発車した。

マンガッタンライナー車両の運用予定はわからないらしいから、偶然見られたのは相当ラッキーだ
15:50頃
相当早く着いて時間を持て余していた宮臺と受付で合流。キャンパスの軒下で雨宿りして傷だらけ号を待つ
16:20頃
傷だらけ号到着、受付を済ます。時間が遅くなってしまうので風呂はパス
17:00頃
コープみやぎで晩飯&朝飯の買い出し。宮城県限定販売ウィスキー「伊達」も買う
17:45頃
雲雀野駐車場着(相変わらず砂利)、タープを立てて宴会&仮眠場所確保
18:20頃
宴会開始

こうしている間も雨はずっと降り続く。天気予報を見る度に降水確率が上がる。 
とりあえずキリン秋味を開け鮪、烏賊、鯵などの刺し身を喰う。伊達の水割りも飲む。みな様々買って来た晩飯を喰う。銚子のちょうしたのサンマの蒲焼缶や魚肉ソーセージも喰う。
明日170km組は5:30集合、6時から順次スタート。4時起きで片付けて準備して遅くとも5時には駐車場を出発しなければならない。寝場所は傷だらけ号にふたり、ローラ号に監督、タープの下の寝袋に残り3人。たまに雨粒がtanakabuchoの顔に落ちて来てその都度目が覚めたがどうにか寝た。雨が吹き込んで寝袋は結構濡れた。せっかく持って行ったテントを立てりゃ良かったんだが、仮眠と言う事でどうかご容赦を。

写真はここに!

2016年9月18日(日)天候:雨
4時起床。雨が一時的に上がっている。この機にびしょ濡れのタープとブルーシートを手早く片付ける。ゴミを段ボールにまとめる。サイクルウェアに着替え、ゼッケンを付ける。雲古もする。
そうして5時。暗い砂利道ぬかるみの中をスタート地点の石巻専修大学に向けて漕ぎ出す。雨が降り出しやがて本降りになる。
全く以てこの駐車場は非道いもんで、足元は悪いわ遠いわ(駐車場からスタート地点まで9km弱をまず漕がなければならない)、津波が来たら一撃だわで、どうせならここをスタート地点にしてくれた方が手っ取り早い。
もっとも津波危険地帯だからここでのスタート/ゴールは無いとすれば、せめて駐車場を高台に上げてもらわないと、ライド中に津波に車をさらわれたらかなわんのよ。

雨が降り続く中、170kmのふたりはスタート列に並び、6:30に出発した。中山が所要9時間50分で16:20ゴール、宮臺がそれより少し早くて15:45位のゴール(所要9時間15分)だったからふたりとも本当に大したもの。
60kmの3人が9:20スタートでちょうど4時間後の到着だから、170km組の図抜けた速さがわかろう。改めて拍手!

コースの両脇に仮設住宅が並ぶ。仮設住宅に身を寄せているお年寄りが道端に出て来て旗を振って応援してくれる。仮設じゃなくとも、不便な生活を強いられているだろう住民のみなさんが声援してくれる。
「応援してたら応援されてた。」3年続きで応援されてしまいました(T_T)

今日は宮臺の大切なお妃と姫が、昨日の監督よりも1時間早い14:17分着で石巻駅へやって来る。今回の最大ミッションとなるお迎え係は監督だ。本来の計画は60km組と関係無くお迎えに行く計画だったが作戦を変更、ゴール済みの堀内・tanakabuchoを積んで一旦駐車場へ行き、宮臺と中山の車を回収してゴール地点の近くまで持って来ておくことにした。
監督は駐車場から宮臺号に乗り換えて、石巻駅でお妃と姫を積む。
残りの2台を堀内とtanakabuchoで運んで来て時刻は概ね15時。宮臺から15:30〜15:45の到着見込みとツイートが入り、ゴール地点へ移動して待ち構える。中山も宮臺からは遅れるものの30分落ちくらいで戻って来そうだ。まったくこのふたり、170kmをこのスピードで駆け抜けて来るとはまったくどうかしてる。

やがてふたりのゴールは対象的で有った。

これ以上無いヨロコビを体現してゴールする宮臺パパ
いつも以上にクールに「170km走って来ましたが何か?」的な中山
そう言う訳で中山の「人間の心を探す旅」は無事に終えた。
来年はアスリート澤田社長の参戦も予想され騒々しくなるかも知れぬ。
いったいtanakabuchoは次回何kmをどの自転車で走るのか?
その辺のことはまた少し先まで置いておこう。

二瓶の登場が少ないので最後に1枚
スタート前なのにグロッキー状態の二瓶
写真はここに!

Special Thanks to,

  • Ishinomaki, Onagawa, Ogatsu and other Ju-min no minasan,
  • CRM Members of FM,
  • So-Kantoku,
  • Megumi-tsuma and Hinano chan,
    And also, O-en shite kureta Unyo-Bu no minasan.

(了)

2016年8月14日日曜日

我が愛車ブリヂストン・リアルストリーム(ニックネーム未定)・ファースト・インプレッション

我が愛車
ブリヂストン・リアルストリーム(ニックネーム未定)・ファースト・インプレッション



パワーアシスト(PA)付き自転車でtanakabuchoが今年のTdT60kmに出ることについて、ずるだとか詐欺だとか情けないとか軟弱だとか、tanakabuchoもそこまで落ちたのかとか、そこまでして出たいのかとか、まぁそう言った意見も聞かないことは無いし言いたくても言えない奴もいるだろうから、今日はPAリアルストリームのファースト・インプレッションを「フラット」にお届けすることにしましょう。

この週末、
結局まったく観えなかった夜半のペルセウス座流星群行脚で連日明け方に眠り睡眠不足のまま中途半端に目が覚めたtanakabucho。「夏休みの宿題は涼しい午前中にやりなさい」と言う小学校担任の先生の教えを思い起こし(確かにあの頃午前中はしのぎやすかったが、今は一晩中熱帯夜で朝から暑い)、家事を終えて10時に愛車で出発。

3回めのTdTに向けてここまでに揃えたギアは、
  • PA自転車(ブリヂストン リアルストリーム つや消し白)
  • ヘルメット
  • 水を飲むボトルと取付台
  • iPhone取り付けミノウラ金具
  • チャリダー用ポロ1着
    (尻パッドパンツとグローブは昨年揃えた)


それなりのチャリダーに変身したtanakabucho、今日の課題は、
① 登り坂の種類ごとにPAの効き方を確認する。PAには強・標準・エコ(+PA無し)の4つのスイッチが有る
② それぞれの状況での、バッテリーの消化具合を確認する 
③ とりあえず長距離を走って距離を今一度カラダに馴染ませる

幸いなことにtanakabuchio宅は多摩川が流れる谷沿いに有り、北には深大寺を越える高台、南にはよみうりランドが鎮座する多摩丘陵が有る。多摩丘陵を越えた向こう側の若葉台に妹家族が住んでいる。北の深大寺方面は一旦深大寺で登り坂が尽きる。しかし南方面には多摩ニュータウンに代わる住宅地が続々と開発されていて登り道には事欠かない。
そんなわけで南へ、或いは南西に、交差点で登り道が有ればそこを選ぶやり方で25kmまで行き、折り返し後は大半は下りの帰路を合わせてちょうど40km走った。

前置きが長くなったがようやくファースト・インプレッションを伝えよう。

「この自転車はtanakabuchoが単独では行けないところへ運んでくれる、魔法の乗り物である」

  • そもそもATBだが車で言うなら4WDではなくAWD、ヒトしか歩けない道幅の道へも突っ込んで走れる。まずは踏み出しが速い
  • オンロード・オフロードを問わない
  • 苦しい登りの時は内装8段ギア変速を駆使してもっともPAを得られるギアを探すことが出来る
  • これらの結果、高排気量の車と同じような安全性を得られる。
  • 即ち、3千cc以上のエンジンの車の良い所はゆとり、余力。ふらふら走っている車がいれば一気に抜き去って「君子危うきに近寄らず」を実践出来る。この自転車も同じく、危険を感じれば躊躇なく一気に抜き去れるポテンシャルを持てる

漕がないのでは無い、漕ぐので有る。更にPAと言う機械に踊らされて滅茶苦茶漕ぐのである。
少し漕いだらエンジンが掛かる中国の原チャリとは違う。
そもそも原チャリではない。

「そもそも原チャリではない」‥走り終えて、張って気怠いフトモモにその言葉をヒシと感じたtanakabuchoで有った。

(了)

2016年8月12日金曜日

2016夏の入笠山

今年(2016年)のBSC2ボーイ隊キャンプは8/6(土)~8/10(水)の4泊5日@入笠山農協ハウスキャンプ場。毎日晴天、毎晩満天の星空で雨は一滴も降らず。
昔あれだけ雨(嵐)に悩まされた入笠山の気候も、温暖化で変わったのに違いない。
雨が多い→笠を持って入る山→入笠山。好天狙いなら8月上旬が良い。
以下、ダイジェスト

鹿肉はもも肉だけかと思ったら超一流品の背ロースも有った! ステーキを鹿スープとサラダで食す。背ロースステーキにはポン酢がベターだが、忘れて来たのでレモン酢でいただく。これがまた美味
入笠山へ40年通っていて初めて行った「御所ヶ池」にはイモリが沢山居た。オニヤンマとシオカラトンボが引っ切り無しに産卵をしている

最後にみんなで喰った鹿もも肉の塊り。赤身同士なら牛より鹿の方が絶対に旨い!

2016年8月5日金曜日

西表島奇譚(5)=最終稿=


ここまでのJOI-Xはこんな感じだった。

6/16(木)晴れ
三々五々石垣入り、買い出しの後に17:30石垣港発18:15西表島上原港上陸。
この日にミトレアキャンプ場に集ったメンバーは、
沖縄F3 當間御大、足立長老
東京東源協島部 トミオカ隊員、オオノ隊員、tanaka隊長。ジンちゃんとemiさんの戦線離脱は残念。
星は観えず、
島カレーと、當間御大渾身の激ウマ「若鶏丸焼き」を頂いて寝る

 6/17(金)晴れ
昼に那覇から奴隷ふたり(M型・T型)到着、
浦内川ジャングルクルーズ&トレッキング
夕方からみんなで釣り
タマンのマース煮、ミーバイ出汁の味噌汁
今夜も星は観えない

6/19(土)快晴
A組: ゴムボート釣り組(御大と奴隷2人)
B組: マングローブ林探検組(その他4人)に別れて西表島を堪能。そして今は夕刻。
ピナイサーラの滝から無事帰還したB組はまったりしつつ晩飯の支度を開始。
やがてA組も一旦帰還。
夕方の釣りは希望者のみ。

残った御大、長老と隊長は小柳ルミ子「星の砂(作詞:関口宏、作曲:出門英と言う異色コンビの作品)」を皮切りに昭和歌謡オンパレードをYouTubeで鑑賞。オジサンたちは徐々に太田裕美やキャンディーズに移り始める。
晩飯はタマンの刺身(これも激ウマ!さすが高級な鯛)、スパゲティミートソース、魚のすり身汁、にんにく揚げその他いろんなものを喰ったように思う。
やがて夜釣りの時刻。

tanaka隊長は釣りに行かずサザンクロス(南十字星)の観察。最終の晩にようやく晴れたが満月前夜の月明かりが恨めしい。
且つ南十字には近くに「ニセ十字」が有る。南十字ははっきり言って余り明るくないし4個の星の明るさもばらばらだからニセ十字の方が目立つ。

  • 南十字の探し方としては北斗七星の柄杓(ひしゃく)の延長線上の曲線を南方面の水平線(地平線)まで下ろして、まずニセ十字を見つけてからホンモノを探すのが宜しい
  • 恨めしいほど明るい月を木の陰に隠し、どうにかサザンクロスの「かけら」を観ることが出来た
ここから10m下がったテン場敷地内ギリギリの木陰から南十字星を観た。右の方が南になる
夜釣り組も日付が変わらない内に帰還。何でも仕掛けを投げると我が隊の人魚(トミオカ)が泳ぎ始めるので釣りどころじゃ無かったらしい。釣り人の皆様にはご愁傷様。

6/20(日)この日も快晴
  • 今朝は上原港7:50発のフネに乗る。パンを焼いて朝飯を喰って、7時過ぎに港へ送ってもらう
  • 8:30石垣港着
  • 9:30頃石垣空港着
  • 石垣空港のフードコートで石垣牛焼肉丼(これも(゚д゚)ウマー) 
  • 少々お土産を購入
  • 10:35発のフライトは羽田へ一直線、3時間後には東京のヒト

~西表島、それは海とジャングルと滝、野生生物、サザンクロス。これらだけを満足しに行く島。ニライカナイ、マブイを拾いに行く島~

浦内川を占拠している(資)浦内川観光社だけは気に入らないが百歩譲ってそれも島の為だとするならば、西表島よいつまでもジャングルと共に!
(了)

2016年7月30日土曜日

田んぼアート@行田 アクセス心得

田んぼアート@行田 アクセス心得
  • 場所:古代蓮の里
  • 住所:埼玉県行田市小針2375
  • 駐車場:古代蓮の里敷地内に有料駐車場(1回500円)があるのでここに停める。無料駐車場も有るが遠いのと、有料駐車場の駐車券提示でタワーのエレベーター代400円が半額200円になるので有料駐車場の方が断然お得だ。車を出るとき駐車券を忘れずに
  • 田んぼアートの見方:タワーに登って上から見る。田んぼアートは上から見て普通に見えるように計算して植えている
スライム
  • タワー:エレベーターが1基しか無く定員たった11名と言うしょぼい代物。エレベーターに乗るには整理券が要る。階段は昇り下りとも使えない
タワー。田んぼアートが先かタワーが先か
  • 整理券の貰い方:タワー1階の販売所でエレベーター券を買うと番号が書かれた紙も一緒に渡される。駐車券の提示を忘れずに。場内放送で番号が呼ばれるのでそれに合わせてエレベーター乗り場へ行き、列に並ぶ
  • 場内放送:蓮の公園の中でも整理券番号を伝える場内放送は聞こえるから、蓮を見たり蓮の写真を撮ったり、ポケモンGOでもして時間を潰すと良いでしょう
元々の名物は蓮
  • 場内:行田のB級グルメ「ゼリーフライ」やアイスクリーム、焼きそばの屋台も出ていてメシも喰える。暑ければ車の中で涼めば良し
  • 田んぼ:アートには2本のあぜ道が有り自由に入れる。色とりどりの稲が有って楽しい。タワーの上から見る完成図をイメージして観察するといい良いだろう
  • 整理券番号:自分の前の番号が呼ばれたら、タワー1階に入ってエレベーター待ちの列に並ぶと良い
  • エレベーター:11人しか乗れないがわずか40秒ほどで着くから、思ったよりも回転は早い。埼玉県民のおばちゃんたちと乗り合わすエレベーターは笑いが尽きない。
【当日の埼玉おばちゃんたちの会話実録】
  定員11人って、お相撲さんだったらどうすんのよ
  (積載キャパシティ750kgを標準体重で割っています)
  あらーほんとにお相撲さんだったらひとり分ね、ガシャコ!
  (ガラケーで唐突ににエレベーター内の写メを撮る)
  仲間に「早く乗りなさいよ」と言われて乗った最後のおばちゃんがブー!
  最後のヒトは降りて下さい……
  • タワー展望台:ドラクエの田んぼアートは絶景だがガラスの反射がもの凄くてせっかくのアートを台無しにしている。カメラ用リフレクターが3つ用意されているからこれを使えばマシな写真を撮ることは出来る
  • ドラクエ田んぼアートのサイズ:かなり大きいので広角のレンズ(カメラ)で無いと収まらない
お見事!
  • 待ち時間:午前中早い時間で60分〜90分(7/24(日)10:30到着で90分待ちだった)、11時を回れば120分以上。午後遅いと整理券配布が打ち切られることも有りそうだ。早く行くに越したことはない
  • トイレ:案内板はタワーの建物の裏側を指すが、建物内のトイレの方が綺麗で涼しい
良い休日を!

2016年7月23日土曜日

西表島奇譚(4)

写真はここに!
ここにも!

ピナイサーラの滝を目指してヒナイ川河口の入口からテープの目印に沿って歩き始める。たまに目印を見失う程度の、危なくは無い道だ。マングローブの川底からやがて草付き、そのうち林に入り徐々に高度を上げて行く。
舐めていてクロックスで入ったのは失敗だった。トレッキングにはそれなりの靴で入るのが良い。
やがて3〜40分歩いただろうかひと尾根越えて川沿いに出ると、そこは昨日ジャングルクルーズで上がった浦内川と同じようなジャングル風の川で、今にもピラニアが出て来そうな雰囲気を醸し出している。一旦川から離れてまた高度を上げる。次に川と出会ったのはカヌー墓場(カヌー置き場)。
そう、このピナイサーラ滝トレッキングの基本コースはここまでカヌーで来て、最後の30分を滝まで歩くものだったのだ。
ピンクのテープを見失わないようにジャングルの中を進む
やがてサキシマスオウノキを目印に、登山道は反対側の左岸に移る。とは言え橋は無いから、適当な渡河地点を探して川を渡る事になる。

サキシマスオウノキ。幅広の部分がフネのボディやまな板に利用された
周りのツアー客は皆ガイド付きで、小さな子ども連れも居ればふたりの綺麗な姐ちゃんを連れてはしゃぎまくるけしからんガイドも居る。
ここからの上りは正直キツイ。岩場を幾つも越える。
まさかカヌーで出た爽やかツアーの最後がこんなにキツイ岩登りとは!こんなの聞いてないよ!と、ハーハーゼイゼイ、息を切らしている客がほとんどだ。もちろん中には滝上を目指す健脚チームも居るには居るが。
我が隊の女子達は頑張って弱音を吐かずに最後まで登った。誠に立派であった。

カヌー墓場
渡河してから苦闘30分。着いた滝はそれなりに立派だった。但し、更に滝上方面へ歩かなければ滝壺に辿り着けない構造になっていた。
滝下の溜まりに大ウナギがいた。
近くに居たガイドに聞くと滝上にもヒトが多く居るので、ここの水は飲まない方が良いとのことだった。見た目も澱んでいて飲みたくなる水では無い。
滝の清水を補充することを目指してここまで上がって来た我々にはダメージが大きかった。
  • やがてスコールが来た
  • 干潮の内にヒナイ川河口を渡り道路まで戻り切らなければならない
  • 個々の飲み水も底をつきつつある

そう考えるとここで昼飯を喰う余裕は消え、一刻も早い下山に目標を切り替えざるを得なかった。
早々に滝を後にする。
スコールを浴びながら我が隊の人魚が言った。
「天と地がつながりましたね」
一瞬まさにそう感じた、ピナイサーラ滝の清冽なスコールだった。

ピナイサーラの滝全景。正直なところ遠くから見ていた方が迫力がある
下りは元の道を忠実に辿る。
スコールが降って岩が滑りやすくなっている。尻もちはつかないまでも実際何度も滑り、渡河したところでtanaka隊長のクロックスのバンドが壊れた。持っていた紐で応急措置をして下山を続ける。
下りは退屈だ。
暑いし飲み水は底をついた。
やがてヒナイ川の河口に出て、置いておいた釣竿を回収する。
橋までがとても遠い。
有るはずが無いことは分かっていたが道に出れば自販機が有るのではと言う幻影にとらわれ始めた。
ゴムボートを出して釣りをしているM型T型奴隷にようやく連絡が付いたが、奴ら釣りの真っ最中で車で迎えに来ようと言う気は無かった。
無性にドクターペッパーが飲みたかった。
どうにか道路に出た。
小休止の後、カンカン照りの歩道を歩き始めた。
30分ほどの距離だったが遠かった。
キャンプ場へ向かう最後の上り坂がきつかった。
キャンプ場に着くとそれぞれ飲み物を探してともかくも無事の帰還を乾杯した。
弁当に持って行ったおにぎりは焦げ飯で喉を通らず、昨日奴隷達が運んで来た廃鶏の唐揚げはゴムのようで歯が立たなかった。
時間は15時過ぎ。うどんを茹でて大根おろしで喰う。素晴らしく美味だった。

(続く)

2016年7月9日土曜日

西表島奇譚(3)

6/18(土)

昨日の朝の下見で長老から教わったピナイサーラの滝。何だか毎日滝ばっかだが西表島には海とジャングルと滝しか無いのである。
干潮時刻は昼過ぎ。
よって11時頃に潮の引いた河口を渡りマングローブ林へ突入、更にジャングルを突破すれば恐らく目的の滝に着いて潮が満ちるまでに戻って来られる。ま、そんな呑気な作戦を描いた。
歩き出した我々のずっと先にひと筋落ちているのがピナイサーラの滝。直線で歩けばさほどの距離は無いように、歩き始めた時は見えたんだが
潮の引いたヒナイ川の河口の浜をピタピタと進み、途中膝丈の渡河で川の向こう岸には難なく着いた。そこからが難儀だった。ぬかるみに足を取られ沈み始める。やがて足が抜けなくなった大野隊員がワタシモウダメデスと呻いて脱落。足を抜こうと奮戦する大野隊員を置き去りに、マングローブ林の中を、巨大なカワニナに顔を近づけつつ、腰をかがめて進むがやがて立ち行かなくなって退却。
大野隊員のところへ戻ると既に泥からは抜け出て、仁王立ちしていた。
一旦退却。
今一度、もう少し広そうなところから富岡隊員が単独チャレンジを試みるがものの1分で敗退。
河口に目を移すと、シベリア抑留難民のような列がぞろぞろと何やら川の上流へ向かっている。もしやピナイサーラの滝に向かう一行かと後を付いて行って尋ねると、一行は研究者の集団で、滝まで歩いて登るとのこと。
こりゃラッキー!と言う事で目印のブイが付いている入口の木に釣り竿を置き、水と昼飯を持って研究者集団の前に入らせて貰う。
道中ところどころ道は解りにくいが、ピンクのテープを目印に進めば大丈夫。少し遠回りをしたものの「滝でうまい水を汲んで昼飯!」を目標に歩き始めた。
(続く)

【参考】
ピナイサーラの滝への道の情報 - 沖縄離島ドットコム


2016年7月8日金曜日

西表島奇譚(2)

6/17(金)続き

ジャングルクルーズから帰った我々は夕方からの釣りを目指して釣り仕掛けの準備に余念が無い。
いつのまにか那覇からやって来た奴隷ふたり(M型エンジンとT型エンジン。ちなみにエンジンとはゴムボート用人力エンジンの事を指す)は買い出しなどの雑用の間に仕掛けを作る。
狙いは我々には馴染みの薄い「タマン」だと言う。見るとぶっ込み仕掛けを作っている。
船浦港の堤防にはキャスティング出来る浜も有り堤防は内外とも釣りになりそうでなかなか良い。
タマンには、沖縄F3の連中は燃えるものが有った。
同じキャンプ場のキャンパー、風来坊2人組が70cmは有ろうかと言うタマンを上げて共用冷蔵庫に入れくさった。それを見てF3に火がついた。「今の内にこの魚を持って写真撮るか」という風に火がついた。火はもう少し違う方向に点けてもらいたいものである。

長老タクシー乗車組と徒歩組に別れて船浦港へ。
非タマン組の我々は中通しオモリにキツネ針、イカ餌でミーバイ狙い。
腐るほどあたるがあっという間に根に引き込まれる。それでも何とか2匹上げて味噌汁の出汁用に。御大は良型タマンを上げる。
夜釣りまで粘る奴隷ふたりを置いて順次テン場へ帰還。
御大はタマンのマース煮(これは無条件に旨かった!)、
ミーバイ出汁にアオサと油揚げの味噌汁、
マース煮のツユに八重山そばの麺を投入。
ウィスキー白州はほぼ空になり、西表島の夜は今日も更けゆく
右が御大の上げたタマンのマース煮。絶品
(続く)

2016年6月19日日曜日

JOI-X 20周年記念大会@西表島奇譚(1)

JOI(June Of Islands、6月の島)は今年でジャスト20年。遡れば1996年の三宅島がスタートだ。
その後三宅島「雄山」の2000年の噴火を機に式根島が主戦場となり、昨年は奄美遠距離遠征にシフト。そして記念すべき今年の第10回大会は(小笠原とともに)東洋のガラパゴスと言われる「西表島」遠征に決まった。
東京発組は最大5名だったところ残念ながら2人の都合が付かず、3人になった。沖縄F3(エフキューブ)からは4人の計7人。キャンプ地は上原港に近い、ミトレアキャンプ場に決まった。
石垣発西表島上原港行きフネはひとり2,060円、往復割引有り、直行で4〜50分、鳩間島経由だと1時間強。
さて今年の珍道中、果たしてどうなりますか‥

写真はここに!
ここにも!


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2016年6月16日(木)
アウェーのANA羽田空港カウンターに持ち込んだ石垣島行きスーツケースは32kg。隊装備を持っているから減らしに減らしてもこれが限界だった。大きさも超過で自動預け機では預けられない。
ホームのJALなら+20kgオーケーのところだが融通利かず、仕方なく4kg分を機内持ち込みサブバッグに移し28kgにして、超過料金2,500円を支払って積む(30kgオーバーだと+1,000円)。
ラウンジを使えず、B1のFMでバドワイザーを買って下々の民と共に飲む。搭乗時刻ギリギリに富岡隊員が登場。同じ飛行機で石垣島へ向かう。大野隊員は別便で先行だ。

機窓から与論島、伊江島、伊良部島、多良間島を観ながら石垣島へ。
石垣島空港到着後は離島ターミナル直行バスに乗車。540円、所要時間は30分。ここで先発買い出し組と合流予定である
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昨年の奄美以上の非日常を、きっと西表島なら味わえるだろう。だがしかし、南西度とジャングル度が増す分、更に厳しいキャンプになるに違いない…
例によって構想半年滞在4日の島キャンプ、今年の作戦会議(会議名: Lerche(レルヒ))は某月某日ひばりヶ丘の居酒屋および五反田のタイ料理屋で厳かにもキッチリと行われた。
今回初参加となり既に石垣島往復チケットを入手していたL社E嬢は運悪く某プロジェクトメンバーにアサインされて仕事が忙しくなり、行けなくなりそうな雰囲気が漂って来た。やがて奄美の海女ジンちゃんがリタイヤを表明。さらに後日E嬢も正式リタイヤとなって、東京発5名は3名にシュリンクされたが、それでも前を向き視線はキッチリと南西諸島方面を捉えていた

石垣島だと厳しいが西表島でなら南十字星が観える。以前読んだ記事がずっと気になっていた。西表島はサンゴの隆起でなく火山性の山で、いわば海岸線しか平坦な場所は無いようだから、きっと南十字星の観える場所は南に開けた高い丘の上、そう言うところへ晴れた晩に行かなければ観えないだろうと考えた。
そうなると難問は、夜酒を飲まずに運転する輩が居るか?と言うことになる。
これには解が無い。
取り急ぎiPadにステラHDアプリを入れて、後は現地で考える事にした。

結論から先に書いてしまうと南十字星4個のバッテンの内、左上の1個だけ、キャンプ場から観えた。
敗因は満月前日の月が明る過ぎたことに尽きる。全天球晴れの最終日の晩。全くもって残念であった..


買い出し組は石垣事務所の奴隷も駆使して、大量の食い物飲み物を石垣島港離島ターミナルへ運び込んだ。まだ物足らず買い足しに行く。そのスキに箱詰めを整えヒモを掛けて、いつ帰って来ても良いように船着場近くに積んだ。
結局16:10発のフネには間に合わず、17:30発鳩間島経由の最終のフネで西表島へ渡った。フネのデッキの荷物置き場をほぼ我々の荷物で占領した。

ほぼデッキを占領した。大型スーツケースと映っているダンボールはすべて我が隊のものだ

今回タクシードライバーをかって出てくれた沖縄のロバート・デ・ニーロこと足立長老は買い出しを當間御大と大野ちゃんに任せて、レンタカーを借りるために一足早く大原港へ渡っていた。
石垣島からフネが着く港は2つ有って、南部に大原港、北部に上原港。キャンプ場は上原港にほど近いが、レンタカーの都合で長老は大原港へ。大原港から上原港までクルマで1h掛かるから難儀である。

そんな長老タクシーに上原港へ迎えに来て貰った我々は港から早速キャンプ場へ。
西表島ミトレアキャンプ場は、昨年の奄美大島ドレンキャンプ場に負けず劣らず素晴らしい。清潔なトイレに洗面所、24h無料の温水シャワー!
炊事場の流しも使い勝手良いし常設の据え置き型テントには扇風機付き、共用の冷蔵庫も有って文句の付けようが無い。そして何と言ってもハンモック。暑さを凌ぐには外で寝るのが最高だ。
ウミガメが産卵するプライベートビーチを有した点のみドレンキャンプ場に軍配。
ミトレアキャンプ場から海(船浦港)までは徒歩5分だ。

翌日那覇の奴隷も加わって概ね定位置が形成された。ひなたは暑いから必然的にここにいるのが一番多くなる
キャンプ場でひと息つくまでも無く御大は雛鳥の丸焼きに取り掛かる。重たかろうが何だろうが、この為にダッヂオーブンを運んで来ているんだからさすがである。
鶏には下ごしらえが施して有って、お腹にはピラフも詰まっている。炭を熾しガスコンロでメシを炊きカレーも作る。ボリューム満点の若鶏だけでも腹一杯になる。かなりくたびれていたtanaka隊長は宴会途中で抜け出し、扇風機付き固定テントで撃沈、久々の爆睡。

ダッヂオーブンで焼いた、當間御大による丸焼き若鶏。お見事!
本格的アクティビティは翌朝からである。
例によって暑いので早起きして、良く冷えたビールを飲んで、残っていたカレーを中心の朝食。
浦内川クルーズを始め、ゴムボートをどこから出せるのか、釣り餌は何が良いのか、その他アクティビティに関する諸々の情報が圧倒的に不足していた。食卓の片付けを女子に任せ、長老タクシーで下見に出る。
釣り場はキャンプ場を下ったところにある船浦港で何とかなりそうだった。
釣り道具屋はやる気の無い店が1軒有るのみだが、最低限の仕掛けと餌は手に入る。釣り人のほとんどは渡船で出るから、釣具屋の需要は少ないのだろう。
浦内川は浦内川観光と言う会社によって自分の川のように専有されている川で、トレッキング、ジャングルクルーズ、マリユドゥの滝見物もみな浦内川観光の船着場からで無いと行けない。従業員は西表に遊びに来てそのままはまった居候たちばかりの様子だ。
ともかくも一旦キャンプ場へ戻ると、女子たちは暇を持て余して「帰りが遅い」と怒っていた。
協議の結果、今日のプランは以下のように決まった。
  • 長老タクシーで乗り場まで送ってもらい、10時半発の浦内川ジャングルクルーズ船に乗船して、上の船着場からマリユドゥの滝経由カンピレーの滝トレッキング
  • 長老はクルーズ船には乗らず、那覇から来る奴隷たちを港でピックアップして釣り場へ運ぶ
  • クルーズ船が下の船着場に戻って来たらまた長老タクシーにピックアップしてもらって、キャンプ場、夕方から船浦港で釣り
残りご飯に若鶏の残りを細かくしたものを混ぜて握って、まるで炊き込みご飯のようになって美味そうなおにぎりを持って出かける。

ジャングルへ向けて出発!
浦内川は西表島の中央にある標高312mの桑木山付近を源流とする流程18.8kmの沖縄県内最長の川。船着場(≒河口)から約8kmの軍艦岩まで満潮時に海水が遡り、ここがクルーズ船の終着地点。ここから山道を2kmほど歩くとマリユドゥの滝、そこから15分でカンピレーの滝。この山道は、途中から島を横断する長大なエコツアーのコースになる。横断エコツアーは許可を得ての入山が必要だ。
フネはヒルギ(マングローブ)やサキシマスオウノキ、昔この川沿いに有ったと言う稲葉集落のことなど、船頭の軽妙な説明を聞きながらちょうど30分で軍艦岩に到着。
時刻は11時、迎えのフネは2時間後の13時。もう既に携帯は圏外だから行動はそれなりに慎重に。健脚當間御大はハイピッチで山道をズンズン進む。女子3人+tanaka隊長はマイペース。トンボ採りの学者おじさん、オーストラリア人家族、女子旅ふたり組が一緒に下船。
やがてマリユドゥの滝。
事故が有ったとかで、滝のそばまでは降りられず展望台からの鑑賞のみ。ジャングルの景観。
直径120mほどの丸い滝壺(淀)を持つので丸淀→マルヨド→マリユドゥと言う単純な命名。南西諸島の果てのジャングルの滝としてはもっとロマンチックな命名理由が欲しいところ。この滝の250m上流にカンピレーの滝がある
上流のカンピレーの滝はマリユドゥの滝とは打って変わって拓けたナメ滝風。ここで昼メシのおにぎりを喰って引き返す。12:40船着場に戻る。フネに着くと船頭が泳いでいた。我らが自称人魚のトミーも泳ぎ出す。中洲では沢山の蝶々が水を飲んでいる。人魚が上陸して蝶々も驚いたことだろう
船頭によると汽水域で暮らす海水魚はここまで上がって来る。淡水性のボラが4種類もいる。岩の上流を見れば泳ぐのはユゴイ。汽水域に棲息するスズキ目の魚。まったく生態系のおかしな川である。
(続く)

2016年3月11日金曜日

天皇陛下「国民が心を一つに寄り添って」 おことば全文

天皇陛下「国民が心を一つに寄り添って」 おことば全文

東日本大震災5周年追悼式
 東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
 このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
 地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
 こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
 あれから5年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
 困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
 日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
 今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

3.11によせて-2

被災地対応のはずが、週が明けた3/14(月)からは全く別の問題に切り替わった。
「東電計画停電(輪番停電)問題」で有る。これにより大震災対応は東北の600店舗から関東圏3,400店舗にまで波及・拡大してしまった。

3.11は津波被害と原発被害(東電問題)の2つに分けて考えなければならない。

即ち双葉町と陸前高田市の被災内容と復興方針はまるで異なる。
我々の3.11戦後処理が大変だったのも、被災地対応のみで無く、首都圏店舗も巻き込まれたことに他ならない。被災地対応だけなら実は何十分の一の労力で済むほど楽だったのだ。

下表は12年4月にまとめた時系列の対応ダイジェスト。3/27(日)の「首都圏約3,400店の中食を3便体制から2便体制に減便」と言った辺りが対応の白眉。ストコン検証に1週間欲しいと言うメンバーを「現状を1週間放置出来ない、たとえ失敗してでもやる。すべての責任は取る」と説き伏せ、「一発勝負の繰り返し」が始まった。
「誤爆」も一度有ったが戦時中につきどうかご勘弁を。

4/8(金)開始で準備が整っていた中食供給再開は前日夜の地震で棚上げになった。
もしこの地震の時刻がずれていたなら、来なかったなら、もう少し早く東北店舗へ中食商品が入り始めただろう。
みなの挫折を誘うまさに大きな一撃だった..


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東日本大震災時系列対応ダイジェスト
イベント
対応等
3/11(金)
1446
震災発生

1715
対策会議初回
①通信不通店舗数 972
3/12(土)
600

同 642店舗
1000
②商品供給拠点損壊により、東北6県+新潟県店舗のオンライン発注を停止。商品供給を送り込みに切替え
3/14(月)

現場からの報告
東北沿岸部22店舗が全壊または水没
いわき営業所管轄31店舗退避により完全閉鎖
郡山営業所管轄5店舗完全閉鎖
茨城県・千葉県で完全・一時閉鎖約30
この時点での非営業店舗数は上記+αで約90
(数時間~数日間程度の一時閉鎖店を除く)
③首都圏で「計画停電」始まる
3/20(日)
3/24(木)


東北第2Dを新潟へ移転
池袋からの人的支援第一陣出発
3/27(日)
1000
首都圏中食減便
④東海以北の首都圏約3,400店の中食を3便体制から2便体制に減便
3/31(木)

BB未通残4
長期休業店以外のBB回線未通店舗(NTT工事待ち)は4店舗。内3店舗はINS回線で営業。
この時点の長期休業店は、
全壊・水没=36店、
原発立ち入り禁止地区=8店の、
44店舗
4/7(木)
2332
東北最大余震
⑤新潟県を含む東北7件で瞬間最大300万戸が停電
4/8からの中食供給回復計画が一旦棚上げになる
4/14(木)~5/8(日)
1000
⑥東北地区オンライン発注を温度帯(供給センター)ごとに順次再開
5/19(木)
1000
1500
⑦日本全国新3便化
(米飯3便 10時締め当日配送→15時締め翌配に変更)
6/26(日)

復興店舗
⑧福島県川俣町仮設住宅建設地に出店
最終的な長期休業店(営業再開不能)は、全壊・水没=36店、原発立ち入り禁止地区=8店の、計44店舗 (上表3/31時点が最終)
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① 一時的にしろ1千店舗近くが急に視界から消えたと言う恐ろしさはなかなか分かるまい
② 発注地区10と12をぶった切った。秋田や新潟の健常地域も含まれてしまったが工場が10と12に有るんだから当時は仕方ない。今後は小回りの利く運転をしたいもの
③ 輪番停電などと余計な事を..(電力不足はこのあと真夏まで続き、毎朝冷房が効かない通勤電車に乗るはめになる)
④ 一発勝負の連続で痺れに痺れた減便対応
⑤ つうこんのいちげき!
⑥ 商品からっけつのお店が棚を埋めようと発注すれば新店と同じことになる。この「回復時のもの凄い量の発注」には要注意。順次回復する方法を考えなければならない
⑦ なし崩し的に勝ち取った
⑧ 川俣町は軍鶏(シャモ)が旨い
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  •  多方面に渡ってきちんと対応した3.11戦後処理だったが、汚点を残したとすれば店舗会計をきちんとやり切れなかったことだ
  •  そんなこんなで我々を強くしてくれた3.11。DR訓練も3.11以降年2回に固定して10回を迎えた。 5年と言う歳月は振り返るには丁度良い時期。
    見直して備えよう、次の災害に!
(了)